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雄の虎獣人(義理の息子) × 料亭の女将(男だけど義理の母)

「おいおい、ここの瓜嬢は……客にぶつかっても土下座すら出来んのか?さっさと土下座してくれんか?女将――勿論、あんさんもや。当然やろ――店の瓜嬢を十分に躾てないっつーのは、上にいる、女将のあんさんの責任やからな」 氷の如く冷たい言葉を聞いて、馨は血の気が引いてしまう。 それは本来ならば最高級客室である【菫の間】にいる筈の《秀多院 氷雨》が、目の前にいて尻もちをついてしまった《砂月》を嘲笑うかのように口元を歪めつつ見下ろしているせいだ。 しかも、単に上客である氷雨が砂月を嘲笑うかのように見下ろしているだけならばまだしも、無言とはいえ砂月が鋭い目付きで睨み付けているのだから尚更のことだ。 「も、申し訳ありません。秀多院様___この御詫びは必ずさせていただきます。ですから、どうか――瓜子である砂月に危害を加えるのは御堪忍なさってくださいませ」 土下座をしながら、馨は誠心誠意を込めて氷雨へと謝罪の意思を露にする。 それは、無論――氷雨が上の立場であるためということもあるけれども、瓜子と呼ばれる従業員という立場にある砂月の居場所を守るためでもある。 世に名を馳せている【秀多院一族】のうちの一人である氷雨を怒らすような不届きがあれば、いくら《乞い之鯉料亭》の瓜子頭である砂月とはいえ立場的にかなり危うくなるというのは目に見えているし、実際のところそれを理由に解雇となり廃人同然となってしまった元瓜子達の悲惨な末路を知っているが故に馨は額が赤く染まろうとも、女将としての誇りなど捨て去ろうとも必死で懇願し続けたのだった。 そんな馨の必死さが通じたのか、それとも僅かに残っている氷雨の良心に届いたのかは定かではないが、つまらなそうな顔をしている彼が砂月に対して暴言を吐くことも況してや暴力で訴えかけてくることもなかった。 しかしながら、その代わりといわんばかりに彼は土下座している最中の馨を満足げに見下ろしながら、ある提案を持ちかけてきたのだ。 「なあ、女将のあんさん……この料亭をほぼ一人の力で纏めるんは、相当な負担になるやろ?まあ、ここの従業員らは他の店より比較的にサービスはきちんとしてるんは認めるわ。やけどな、金銭的にきついんやないか?店の維持費のことや。今は何とか持ちこたえてるようやけど――それもいつまでもつのやら。つまりな、何が言いたいかというと……そんな煩わしい心配をする必要がないように、わいの愛人にならんかということやな。もしも受け入れるなら、一生金に困らんように手配してやるわ」 「……っ____!?」 馨の心の中にある【店の維持費の問題】という不安要素を、ずばりと指摘されてしまい、ごくりと唾を飲み込んでしまう。 それは、一瞬とはいえ――馨が氷雨からの提案に対して目がくらんでしまったという事実だ。 馨が氷雨の提案を承諾したとして、新たに結婚をし彼の後妻として生活を続けていくとしても、【乞い之鯉料亭】の運営が出来なくなるという訳ではない。 今の馨にとって、【料亭の運営を支えていくのに必要不可欠な資金が足りない】という一番の気がかりがなくなり、それを受け入れるには抵抗があるという自分の気持ちさえ殺せばいいだけの話なのだから、無理に気持ちを納得させてしまえば受け入れられなくもない提案だ。 しかしながら、無言のままでいる馨の瞼の裏に浮かんできたのは亡き夫の遺した義理の息子であるセツのあの氷のように冷たい表情____。 更に、その直後に浮かんできたのは旅先の崖から落ちていく亡き夫の恐怖でおののきながらも全てを諦めたかのような、どことなく悲しげな顔____。 暫しの沈黙の後、馨は遂にまっすぐに氷雨を見据えつつ――こう、答える。 「誠に有り難き提案ですが、恐れ多いことながら……その返事は保留とさせて頂き____」 と、馨が全てを言い終える前に怒りをあらわにし冷静さを失った氷雨から、壁に勢いよく体を押し付けられてしまう。 もちろん、顔を歪ませ苦痛をあらわにしてしまった馨だったが、側にいる瓜子頭の砂月が噛みつかんばかりの勢いで氷雨に対して敵意をあらわにしているのが見えたため、必死で無言のまま首を左右に振りつつ制止しようとする。 「いいか?未亡人女将であるお前さんには二つの選択肢がある。はい、と言うか……もしくは首を左右じゃなく真下に振り下ろすかだ。さっさと____」 と、今度は氷雨が唐突に言葉を切ったため、今まで恐怖と不安から固く閉じていた両目を恐る恐る開いた。 さっきまで粗暴極まりなかった氷雨が、嘘のように無言のまま少し離れた場所を凝視して地蔵の如く固まってしまっている。 その理由は、すぐに分かることとなる。 馨や、瓜子頭である砂月――それに客である氷雨までもが見知った男がのっしのっしと足音を立てつつ、此方へと近付いてきたからだ。

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