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第1話

「羽柴くん、窓口対応お願いします!!」  焦ったように同僚の女性職員に声を掛けられて、羽柴清彦は顔をあげる。時刻は16時45分。窓口が閉まる僅か前だ。 「あー…はい、わかりましたー…」  けだるげな返事で答えたのは、何もこんな時間に来なくていいだろう、という思いがどこかにあったからだ。羽柴は綴じていた書類を机の上に置くとカウンターへと向かう。  三月から四月にかけてのこの時期は、転出者、転入者で窓口対応が莫大に増える。はあ、とため息をつきながら羽柴はちらりとフロアを見た。  だだっ広いワンフロアには、カウンターが並んでおり、向かい側には納税課の職員たちが疲弊した顔を浮かべている。週末のこのタイミングで、何を急ぐ必要があるというのだろうか。  羽柴も小さく、相手に見えないように溜息を吐いた。まだ業務時間内だ、集中せねば、と背筋を伸ばす。  窓口に来ていたのはワイシャツにジャケットを羽織った男性だった。薄いブルーのシャツは皺がよっていて、アイロンが十分にかけられていないのがわかる。  立ち尽くした姿は羽柴よりも低い。短く切られた髪は見たものに柔らかな印象を与える。  見たことがない顔だ。住民課に配属されて三年にもなればだいたい窓口にやってくる住民は一度や二度くらい見たことはある。それがない、ということは転居者だろうか。  印象に残りにくい顔だな、と思いながらも、羽柴は男のシャツの皺をじっと見た。 「お待たせしました。いかがされましたでしょうか?」  作り笑いを浮かべながら窓口に立つと、男性は一枚の紙を机に置く。  『離婚届』と書かれた書類は、正直言ってこの時間には見たくないものだった。  ――めんどくさいな。  手続き上であれば、できないこともないが、全く別の種類の申請様式だ。手間取るな、と表情に出そうになる。 「すみません、転入届と離婚届って同時に出せますか?」  ざわめきの残る空間で、聞き取りづらい声でぽそりとつぶやく。やっぱりか、と内心で呟きながら羽柴は用紙を受け取った。 「あー…はい、大丈夫ですよ。こちらにおかけください」  苦笑しながら椅子を差し向けると、男はすみません、と頭を下げる。 「…ええと、豊田さん、ですね。はい、ちょっとお時間かかりますが」 「大丈夫です。…お忙しいところすみません」 「いえ」  書類を受け取りながら、羽柴は名前を見る。トヨタノリキ、と小さなフリガナが振られた文字は、どこか硬い印象を受けた。

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