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『へ』

 カイリは月日を追うごとに弱っていった。  けれど彼は、化け物の傍からは去らなかった。  洞窟の奥深くまで行くと、外へ繋がる道がある。  カイリは送られてくる生贄をそこから逃がし続けたが、カイリ自身は必ず化け物の元へと戻って来た。  なぜ逃げない、と問いかけたことがある。  するとカイリは真面目な顔で、約束しましたから、と答えた。  あなたのお腹が空いたとき、僕を食べさせる約束です、と。  化け物の腹は減らない。  元々この体は死んでいるようなものだ。だから、腹など減るはずがなかった。  けれど、それをカイリに伝えることはできない。  化け物がひとを食べなくても良いと知れば、彼は地上へ戻ってしまう。  化け物はカイリのために食材を獲り、燃料を用意し、彼が生活してゆけるものを整えた。  しかし、決定的に足りぬものが、ひとつだけあった。  化け物は『それ』に気付くことができなかった。  カイリは弱ってゆく。  最近では身を起こすことすらつらそうだ。    神さま、とカイリが言った。  神さま。どうぞ僕を食べてください。  化け物は首を振った。  彼を、解放しなければ。カイリはきっと、死んでしまう。  化け物と過ごすうちに髪は伸び、痩せ衰えてしまったカイリ。  彼は化け物に、孤独ではない時間をくれたから。  それは、他の生贄をたすけるためで……化け物のために傍に居てくれたのではないけれど。  彼が一緒に居てくれたことで、化け物は初めて、孤独ではなくなったから。  カイリに報いるのは、いまなのだと、思った。  俺は神じゃない、と化け物は答えた。  俺は教団の罪のあかしだ、と。  かつて民衆の知らぬところで、教団は大罪を犯していた。  神を、ひとの手によって創り出そうとしたのだ。  神は激怒し、神になるはずだった肉塊を、化け物へと創り上げた。  その者を殺すな、と神は言った。その者の死は即ち、神の死だ、と。  化け物はその日から教団の中で暮らすこととなる。  教団は己らの罪状を秘匿し続けた。故に、化け物の存在は教団内部の者しか知らない。  化け物は最初、祀られていた。  祭壇のあるうつくしい部屋に、祀られていた。  しかし化け物の居場所は徐々に追いやられていくこととなる。人間には寿命があるからだ。  代替わりをする度に、彼らの抱く罪は薄れ、畏怖は嫌悪へと変わっていった。  やがて化け物は地下へと幽閉された。  化け物を放逐できない教団は、化け物が逃げ出さないよう、地下へ閉じ込める際に、化け物から核を抜いた。  肉体と魂は離れることができない。  それゆえに化け物は、教団の真下のこの洞窟から動くことができないのだった。  核を抜かれた体は、死人のそれと同等だ。腹など減るはずがなかった。  ではなぜ人間を食べたのです、とカイリが問うた。  他にすることがなかったからだ、と化け物は答えた。  憎き教団からの遣いだ。食べることに罪悪感は覚えなかった。  あなたは食べなくても死なないのですか。  既に死んでいるようなものだ。これ以上は死なない。  化け物の返答に、カイリが痩せた体を動かし、硬い岩肌の上で土下座をした。  それではもう、生贄を食べないでください。ここへ来る子どもたちには、なんの罪もありません。  カイリの言葉に、化け物は胸の痛みをこらえて、頷いた。  頷けば、カイリは去ってゆく。それはよくわかっていた。  わかった。約束しよう。  本当ですか?  俺はもう、ひとは食べぬ。だから、おまえも食べない。ひとを殺すこともしない。おまえは安心して地上へ戻りなさい。  カイリは大きな瞳で真っ直ぐに化け物を見つめてきた。  僕は教団に、あなたの言葉を伝えます。あなたにはもう、生贄は必要ないと伝えます。そうしてから僕は、ここへ戻ってきます。  化け物は耳を疑った。  なにを言っているのだ、この子どもは。  しかしカイリは真剣な顔つきのままで、言葉を続けた。  僕の体力が落ちているのは多分、ここには太陽の光がないからです。ひとは、陽光がないと生きていけないと聞いたことがあります。僕は教団に戻って、あなたはひとなど食べない、無害なものであると伝えます。そして、体を治してから戻ってきます。  戻って来なくて良い、と化け物は答えた。  こんななにもない場所に、戻って来なくても良い、と。  いいえ、とカイリは首を振った。  いいえ、戻ってきます。あなたは僕との約束をまもり、生贄を逃がしてくれました。僕はあなたを信じています。だからあなたにも、僕を信じてほしい。   小さな唇をほろこばせて、カイリが微笑んだ。  アーモンド形のその瞳に嘘の色はなく、化け物は夢の中のように頷いた。  わかった。おまえを信じよう。    カイリは小さな体を引きずるようにして、洞窟を出て行った。化け物はその背が見えなくなるまで見つめていた。    そしてカイリは。  二度とは化け物の元へと戻って来なかったのだ。

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