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第4話

気付けば十連休も、残り二日になってしまった。 予定も決まっていなかったので、ダラダラとベッドから出ずにいると、部屋の扉がノックされる。当たり前だが、開けると宏隆が立っていた。 「今日は贅沢にお昼から呑みませんか。ツマミはピザでも取りましょう」 「ああ、いいな」 生返事を返し、部屋着のままリビングに向かう。 宏隆は今日もカッチリしたシャツとパンツでキメている。宏隆の趣味とは違う気がするが、いつ買ったものだろう。頭の片隅に浮かんだ、誰が選んだんだろう、なんて疑問を振り払うように、友宇は勢いよく頭を振った。 「準備はこれでOKですね。何に乾杯しましょうか」 ピザとサラダ、缶ビールが並べられたリビングのテーブルに、90度の位置で座る。 「何でしょうね。新生活とかでいいんじゃないですか」 友宇の適当な答えにも、宏隆はにっこり丁寧に作った微笑みをくれた。 「いいですね。では遅ればせながら僕らの新生活に」 「乾杯」 缶ビールをカチャンと鳴らし、一気に半分を流し込む。空腹だった腹がかあっと熱くなり、まずいな、と思いながらピザに手を伸ばした。 いつもは会話がなくても何も感じたりしないのに、今日は妙に時計の音が耳につく。宏隆も同じように感じたのか、どこからかDVDを出して来た。 「良かったら観ませんか。この主演の俳優さんなんか、友宇さんの好みですよね?」 「え?おれの好み……?」 渡されたのは、数年前に話題になった映画だ。主演の俳優は、今でも第一線で活躍している。清潔感があり、常にカッチリした印象で、好感度も高い。 確かに好きな俳優ではあるが、好みと言われると違う気がする。誤解を招いた理由に思い当たる節はないけれど、まあいいかと映画を見ることにした。 アルコールのせいか、内容がさっぱり頭に入ってこない。眠気に襲われながら、隣の存在感に意識を持っていかれる。 そういえば、恋愛モノにありがちな、隣の恋人が気になってそわそわ、なんて体験を、今初めてしているのだと気付いた。 一時間半の映画が終わると、眠気も酔いも消えていた。温いビールで冷たいピザを流し込み、意を決して宏隆に問いかける。 「あの、宏隆さんの彼氏の話を聞かせてください」 虚を突かれたように目を見開いた宏隆は、すぐに苦笑しながら頷いた。 「はい、ぜひ聞いてください。それで、できれば相談に乗ってください」 「え」 一瞬怯みそうになったけど、すごい勢いで始まった怒涛のようなノロケ話に、友宇の意識は霧散してしまいそうになった。 二十年以上をかけて積み重ねて来た二人のエピソードは、どこまで聞いても終わりが見えない。友宇が覚えていない内容も多く、そんなところまで見られていたのかと驚くこともしばしばあった。 「ね?僕の彼氏、可愛いでしょう」 何度目かの同じ問いに、ついに友宇は音を上げる。 「あの、そろそろ、相談を……どうぞ」 ただ話を聞いていただけなのに、ぜえぜえと息切れしてしまいそうな心境で宏隆を促す。すると、今までのデレデレテンションが嘘のように神妙な顔つきになり、探るような視線を放ちながら口を開いた。 「実は、彼が何かに悩んでいるようなんです」 「!」 一瞬で頭は真っ白になり、隠していたことに後ろめたさを感じる。けれど、次の言葉に頭を殴られたような衝撃を受ける。 「僕の方も、ずっと悩んでいることがありまして。それで、不安なんです」 「ずっと、って。いつからですか?」 「そうですねえ。まあ、ずっと、ですよ。付き合い始めたり、同棲を始めたり、指輪を買ったり。そういうイベントの度に重くなっていった感じですかね。なんて、僕のことはいいんです。それより彼の悩みは何だと思いますか?」 「えっと……」 そんなにずっと前から悩んでいたなんて、友宇は全く気付かなかった。ショックで言葉も何も出て来ない。 視線の先にある宏隆の指で、指輪がきらりと光る。自分の指に視線を移し、さあっと一気に青ざめた。 立ち上がり、ダッシュで部屋に向かう。ドアノブに手をかけたところで、トン、と後ろからドアを押さえられてしまった。背後に重苦しい圧を感じる。怖くて振り向けずにいると、耳元で囁かれた。 「どうして突然逃げるんですか?」 「逃げたわけじゃないです!ただちょっと忘れ物をしてしまって。すぐ戻りますから」 友宇の左手の薬指は、とても軽くなっていた。あのとき、一度外してからの記憶が無い。きっと部屋のどこかに落ちているはずだから、一秒でも早く探しに行きたい。 少しだけ、後ろの圧が弱まる気配がする。恐る恐る窺うと、どこかほっとしたような感情が見え隠れしていた。胸の奥が痛み、思わず抱きしめてやりたくなってくる。 パニックが治まると、途端に宏隆への気持ちが溢れてきた。 「おれも、不安だった。指輪一つで宏隆を縛ってることが」 「俺を縛る?ユウが?……それの何が問題なんだ」 口調も呼び名も表情も、いつもの宏隆に戻っている。見慣れないシャツを掴み、グシャリとシワを付ける。 「だって。ヒロは仕事でめちゃくちゃ出会いが多いじゃん。それなのに、おれがこうして縛ってるから、他の誰とも付き合えない。一生おれしか知らなくてもいいのかなって。おれでいいのかなって。もったいなくないかなって」 「……それはユウも同じだろ。俺しか知らないよな?」 怒りを抑えた声で、縋るような瞳に見つめられながら、静かに問われる。 「それは、そうだけど」 「俺の方がよっぽど縛り付けてるよ。こんな家の中にユウを閉じ込めて。それでも不安なんだ、ユウが他の男を知ったら、俺から離れてしまうんじゃないかって」 「そんなわけないだろ!」 「本当に?」 じっと覗き込むように見つめられ、こくりと大きく頷く。それでも、視線の熱は弱まらない。ふっと息を吐き出した宏隆は、自重するように続けた。 「子供の頃からずっとユウが欲しくて、他の奴に目を向けさせないように頑張ってた。困ってたら一番に助けたかったし、一番に頼って欲しかった。ユウがそうしてくれるように仕向けてた。中学くらいからは、悪い虫が付かないように払ってた」 全く気付いていなかったわけでもないが、正直あまり深く考えてこなかった。そうしてユウが呑気に過ごせるように、守ってくれていたのだと知った。 「え……と、ありがとう?」 「ははっ、こんな俺の卑怯なとこを知られてしまったら、振られるかもしれないと思ってた」 「ばかなこと言うなよ。おれをヒロなしじゃ生きていけないようにしておいて。本当は怖かったよ、手離してあげた方がいいのかもしれないと思っても、捨てられたら生きていけないんだから」 「それは俺も同じだ。でも俺は、何があっても手離してなんかやらないけどな」 「そっか」 「そうですよ。浮気をしたくなったら、ぜひ僕としましょう」 自信を取り戻した宏隆が、胡散臭い笑顔を添えて調子に乗る。 この連休中に、彼のおかげでとてもよく分かってしまった。自分が宏隆以外を知ることは、一生ないだろうということが。すでに心にも体にも侵食されていて、切り離すことはできない。 「……無理」 「あれ、なんで?ちゃんとユウの好みの俳優さんに寄せてキャラ作りしたのに。あの主演の俳優さん好きって言ってなかった?」 言われてみれば、カッチリした服の趣味や髪形、丁寧な話し方は件の俳優に似た雰囲気だったかもしれない。 「覚えて無いし、そういう好きじゃない。それに、おれ相手でも宏隆の浮気現場を見せられてるみたいになってて、なんか嫌だった。妬く」 その瞬間のでれりとした笑顔は、今にも蕩けてしまいそうに甘かった。 「俺も、俺以外の奴にこんな可愛い顔見せんなよって、ずっと妬いてた。でももしかしたら、俺以外の奴になら、今悩んでることを話してくれるかもしれないとも思った」 「いやただのヒロじゃん」 「まあそうなんだけど」 同じタイミングで吹き出しそうになり、ふと気付く。 「なあ、これってさ、おれらただのバカップルって感じになってない?」 「あれだな、プレイってやつだな」 ペシッ!と軽く頭にツッコミを入れ、そのままぐしゃぐしゃと髪形を崩す。情けなく顔を歪めた、見慣れた宏隆が現れる。これはたぶん、友宇しか知らない宏隆だ。 姿勢を正し、胸ポケットから光るものを取り出した宏隆は、友宇の目の前にそれを掲げる。 「取りに来た忘れ物って、コレ?」 「あ、おれの指輪!なんで?」 「玄関に落ちてたから、拾っておいた。外して捨てたんだったらどうしようと思って、なかなか渡せなかった」 「ごめん!寝惚けてたんだと思う……本当にごめん」 「いいよ。手、出して」 軽く言われ、ほっとして左手を差し出す。 薬指に指輪をすっと嵌められ、パズルの最後のピースが嵌まったような心地良さを感じる。 きっとこの指輪も、欠かせない体の一部になっていく。 「おかえりなさい」 営業スマイルの“彼”の顔を作り、宏隆が穏やかに言ってくる。姿の見えなくなってしまった彼氏が、どうやら“彼”の元に戻って来たらしい。 いつもの宏隆になるのを待って、友宇は大きく息を吸う。 「一生、おれはヒロしか知らない人生になるだろうけど、それって最高に幸せだと思う。だから、ヒロもおれ以外を諦めて」 「最初からそのつもりだよ。っていうか、プロポーズみたいだな」 「うん、そのつもり」 「え!」 誰にも見せたくない顔で、宏隆が笑う。奇妙な新生活が、九日目にして幕を下ろす。 十連休の残りは、二人で片時も離れず、ハネムーン気分で過ごそうと思う。

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