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第2話

 会場から撤収後、近くのホテルで打ち上げがあった。ツアースタッフは必要最低限だったから、小さな宴会場を借り、打ち上げとしてはわりと豪華だった。立ち見が出たところも多かったらしく、マネージャーの大石さんとしては、ファーストツアーの大成功をしっかり祝ってやりたかったんだろう。 「いいツアーだったなあ」  翔一郎さんは赤い顔で、にこにことさっきから何度も同じことを言っている。昔からのつきあいの大石さんに頼まれて、翔一郎さんはハルをデビュー前からサポートしてきた。曲のアレンジも手がけているし、ツアー成功のうれしさは格別だろう。  ツアーラストを飾ったハルの新曲を、誰もがほめた。でも、全国一緒に回ってきたスタッフはみんな、歌の中の「君」が誰か分かっただろうに、それについては言いあわせたようにふれない。酸いも甘いも知るオトナの優しさってヤツなんだろうか。  俺はと言えば、これからハルと静也君がいつどうするつもりなのか、気づくと二人を観察してしまっている。つくづく、未熟で醜い自分が嫌になる。  静也君はここから少し離れたテーブルで、なかなかのハイペースで飲んでいる。おそらくはこの後のことを考えて、緊張で飲まずにはいられないんだろう。そんな静也君を横目で見ながら、俺もほとんどやけ酒に近い酒をあおる。  うらやましさ、嫉妬、さみしさ、愛しさ、せつなさ。ぐちゃぐちゃに混じりあった気持ちは、酒なんかで癒やせるはずがない。せめて俺も陽気に酔っぱらって、くだを巻いてみたい。 「さっきからぼーっとしてないか? 大丈夫か?」  少しとろんとした瞳で、翔一郎さんが俺の顔をのぞきこむ。 「さすがに少し気が抜けたのかも知れません」  正直に言う。ドラマーとしてはまだまだひよっこだから、こんな長いツアーは初めてで、終わってほっとした。ちゃんと完走できて、しかも翔一郎さんと一緒だなんて、本当に幸せだった。 「うん、ツアーは楽しいもんなあ。気が抜けたせいで風邪引かないようにな」 「翔一郎さんこそ」  俺の言葉に、翔一郎さんがまいったなというふうに、ふにゃりと首を曲げ、表情を崩す。酔っているせいか、その仕草が妙にかわいく見えて、劣情が刺激される。 「また隆宣に迷惑かけたらごめんな」  お約束のフレーズ。もう俺が看病するのは決まったようなもんで、俺はその時になにを食べさせようかとまで、一瞬にして想像する。 「……っと、そろそろ帰らないとまずいかな」  酔って足がもつれた翔一郎さんは、よろけたついでのように、そばにあった椅子にかろうじて座った。明日仕事があるらしいから、確かにもう酒は切り上げた方がよさそうだ。  俺はウーロン茶のグラスを取ってきて、翔一郎さんに渡す。翔一郎さんの左手、長年ギターを弾いてガチガチに硬い指先が、俺の手に触れる。  椎名翔一郎という人の音楽人生が詰まっている、指先のギターだこ。俺の妄想はいつも、そのギターだこを舌でもてあそび、唾液でふやけそうなほど口に含んで愛したい、というところから始まる。我ながら変態だなって思うけど、その細くて長い指と、その指が生み出すギターの音が本当に好きだ。好きすぎて食べてしまいたい、ってヤツなのかも知れない。 「隆宣、大丈夫か?」  俺ははっとして表情を引き締めた。さすがに酔ったらしい。でもここで、俺が翔一郎さんより先に潰れるわけにはいかない。 「そのセリフ、そっくり返しますよ。それ飲んだら帰りましょう」  座ってしまったせいか、翔一郎さんの目はますますとろんとしてきている。それなのに、俺の心配をする。そこが翔一郎さんのずるいところだ。 「あら翔ちゃん、大丈夫?」  ハルと一緒に関係者に挨拶して回っていた大石さんがやって来て、翔一郎さんの顔をのぞきこむ。 「俺、明日仕事なんだよ。そろそろ帰らないと」  少しろれつが回っていない翔一郎さんの言葉に、大石さんがかわいらしく肩をすくめた。 「え、仕事入れちゃったの? いくつか部屋押さえてあるから、泊まっていけば? それとも、タクシーで帰る?」 「うん、泊まってっていいんなら、寝かせてもらうよ……」  今にも寝そうな翔一郎さんが、子供のように目をこする。さすがに大石さんは用意がいい。俺は感心しながら言った。 「じゃあ、ルームキー下さい。俺が部屋まで連れていきますから」  静也君もこっちを見ているのに気づき、手招きする。 「静也君も来て」  びっくりしたような顔をしつつ、静也君はしっかりした足取りですぐに近づいてきた。 「あれ、静也君もあんまり酔ってないみたいね、一緒に行ってくれる?」  俺は翔一郎さんの手からそっとグラスを取り上げて近くのテーブルに置き、荷物を確認する。 「これは晴輝の分ね。ツイン取ってるから、静也君も晴輝と一緒に泊まって、ゆっくり帰ればいいわ」  ツイン、という言葉に、思わず背中がぴくりと反応。さっきの感心は撤回だ。よりによってツイン? わざとか?  振り返ると、気持ちは同じなのか、ルームキーを受け取る静也君の表情が少しこわばっているように見えた。 「悪いねえ、二人とも」  静也君に荷物を持ってもらい、翔一郎さんに肩を貸して立ち上がらせる。翔一郎さんは気持ちよさそうににこにこして、ご機嫌だ。 「仕事って、なんです?」 「誰かのバックでギター弾くんだよ、誰だったっけかなあ……?」  食べていくためには仕方ないけど、そんな稼ぐためだけの仕事なんか、しないで欲しい。翔一郎さんには、作りたい曲だけ作って、やりたい人とだけやって、弾きたいように弾いて歌って、生きていって欲しい。  もちろん、それができる人はめったにいない。昔翔一郎さんがやってたバンドも、あまり売れないまま解散した。音楽で生きていくのは、厳しい。だからこそ俺は、一緒に演奏できる時間を大事にしたいと思う。 「明日何時に起こしますか、家で予習する時間も必要ですよね?」  ホテルの廊下を歩きながら、翔一郎さんの顔をのぞきこむ。 「うーん、リハが十七時だから、昼前にはここ出たいかなあ」 「じゃあ、十時ぐらいに起こして、家に送りますから」   ベタベタに翔一郎さんの世話を焼いてる俺、という周りの認識は、本当は正しくない。翔一郎さんは実は寝坊もしないし、迎えに行っても、準備ができてなかったってことはない。俺は翔一郎さんに、世話を焼くことを許されてる。そう感じる。 「うん、頼むね」  酔いに崩れた笑顔が、近い。緊張で胸が苦しい。酔ってるせいで、俺の胸の高鳴りには気づかれてない、そう思いたい。当然のような顔の下、同じ部屋なんて無理無理無理! とわめきたい俺がいる。  でもこんな機会めったにないから、逃げるつもりはない。眠れない夜になりそうだ。

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