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第37話

「湊!無事か!?刺されたとき「なんじゃこりゃあ」ってちゃんと言ったか!?」  バックヤードに一歩足を踏み出せば、湊の顔を見るなりの望月のこの調子に我が家感を感じて苦笑した。 「えっと…ちょっと一ギャグ入れられる雰囲気ではなかったですね…」 「まあ…そうだよな…。俺もいざというときのために練習しとこう」 「そんな事態にならないようにすることを考えろ阿呆」  ビシ、と脳天にチョップを落としつつ、桃悟が溜め息をつく。「誰が阿呆だ!」との望月の反論を無視して湊へと向き直った。 「中々ハードな精神修養になったようだな。本当にもう大丈夫なのか」 「はい。色々とご迷惑をお掛けしました」 「特に迷惑はかかってない。月華に貸しを作れた…と言えなくもないしな」  何やら悪い笑みになった桃悟に、逆ではないのかと聞き返そうとした時、フロアへと通じるドアからのっそりと人が入ってきた。  ツーブロックのベリーショートに人のよさそうな垂れ気味の目元。ウイングカラーのコックコートに身を包んだ、鹿島一輝だった。  湊を見ると嬉しそうに顔を綻ばせる。 「お疲れ、桜峰。もう体調はいいのか?」 「お疲れさまです、鹿島さん。ご迷惑をお掛けしましたが復帰しました」 「お前食細いしあんまり食べないし少食だから心配してたぞ」 「三回も重ねて言われるほどではないと思いますが…」  鹿島は『SILENT BLUE』の厨房に立つ男である。その腕前はすぐに五つ星レストランの厨房でメインの皿を任せてもらえるほどのもので、容易に自分の店くらい持ててしまうのではないかと思うのだが、この場所で働いているということは彼にもまた何か事情があるのだろう。  スタッフの管理栄養士のような存在でもあり、湊も鹿島の賄いで健康を保たせてもらっている。 「そういえば鹿島さん、また料理を教えてもらってもいいですか?」 「もちろん。俺の一子相伝のレシピをいつでも伝授するよ」 「い、いえ、もう少し普通の……飢えた男達の腹を満たしそうなメニューを」 「ああ、精のつく料理をメインに?」  にやりと意味ありげな返しをされて、色々筒抜けだなと頭を掻いた。 「う、うーん…、それはあんまり必要なさそうかな…?余ってそうというか……」  あまり意味深なことをするとまた竜次郎に「煽るな」と怒られてしまいそうだ。  竜次郎と料理の話をしているときに、極道のシノギは自分にはできそうもないが、家事なら役に立てるのではないかと少し思ったのだ。  軽くそのことを話すと、鹿島はうんうんと感動したように何度もうなずいた。 「その心意気やよし。料理は食べさせたい相手がいてこそだよな。わかった。極道の男たちの胃袋を掴んで離さない珠玉の家庭料理を伝授する!」 「お、俺の料理レベルに合ったメニューでお願いします」 「料理は愛情だ、桜峰!」 「が……がんばります……!」  愛はとかく奇跡を起こすものらしい。  話をしているとミーティングの時間になり、軽い情報の伝達が行われて解散した後、湊だけが望月に呼び止められた。 「戻ったら一番に眠兎を指名させろってお客様がもういらっしゃってるから、VIPルーム行って」 「え…どなたですか?」 「行けばわかる」  急かされてオーナーが商談に使ったりその他SPなどを連れている要人を接客するときに使われるVIPルームへと急ぐ。  ノックに応える声があって入室すると、湊は喜びと驚きの声を上げた。 「…八重崎さん…!」 「約七十二時間ぶり…。元気?」 それは、『SHAKE THE FAKE』で親交を深めた(…と思う)美貌の天才、八重崎木凪だった。

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