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第36話

「兄貴、湊さんって高級クラブで働いてるんですよね?いくらぐらいで指名できるんすかね」  湊を送り届けた帰り道、助手席で落ち着きなくそわそわしていたかと思うと笑顔でこんなことを言い始めたヒロに、運転席から鉄拳が飛んだ。 「いっ……てぇ…………!何で殴るんすかマサ兄!」 「お前は黙ってろ」 「ええっ何でっすか?」  ヒロが涙目でマサに文句を言っているが、竜次郎はそれらを黙殺する。  不躾な質問だが、悪気はない。ヤクザになりたいと考える、もしくはヤクザにならざるを得ないような人間は大抵親からまともな教育を受けておらず、人格形成の基礎的な部分ができていないので学校でも人間関係で躓き、結果「空気を読む」「相手の気持ちになって考える」などというコミュニケーションをできないものがほとんどだ。無論、兄貴分を怒らせるようなことを言えば鉄拳制裁が待っている。そこで学ぶことができる者は上にあがれるが、それもそう多くはない。  幼い頃からそういった社会に不適合と烙印を押された人間に囲まれて育ってきた竜次郎には、一々怒るのも面倒という諦観が育っていた。教育は直接の兄貴分であるマサの仕事だ。  或いは知っていたら教えてやってもよかったが、『SILENT BLUE』には神導月華に密談場所として連れて行かれただけで、もちろん何の興味もないので小綺麗なキャスト達の値段など訊ねなかった。  湊はやけにかばうし神導もクリーンだの何だのと主張しているが、法に触れていないというだけで看板も出ていないような店だ。似たような店の相場など安く思えるほど、金が余って仕方のない人間用の価格であることは間違いない。  突然の再会がそんな場所だったことに湊を誑かした神導には怒りを覚える。だが、あの閉じられた場所で飼われていたからこそ、五年間無事でいられたのだろう。  腹を立てているのはいなくなったくらいで湊との関係を諦めてしまった自分に対してもだが……、とりあえず全て神導が悪いということにしておく。  他にも釈然としないことはある。  血眼で探して見つけた……というわけでもなければ、アプローチの末にようやく手に入れたというわけでもなく、失ったはずのものが唐突にその手に現れたかのような違和感が、どうにも拭えない。  全てが自分の目の届かない場所で起こっているのも気に入らなかった。 「(一度手を離した…ツケか)」  竜次郎はそこで何者かの介入を疑ってしまうが、湊ならば『縁があった』と素直に喜ぶのだろう。  再会した湊は随分と大人びて、一瞬よく似た別人かと見過ごしてしまいそうだった。  元々整った顔立ちはしていたが、目立つことが苦手でなるべく気配を消して生きているようなところがあったので、あまり容姿について深く考えたことはなかったのに、素材も仕立てもいいものを身に付け、媚びるわけでも営業用でもない、迎え入れられていると素直に感じることのできる笑顔を浮かべた姿は、触れるのを躊躇うほどに綺麗だった。  正直帰したくなどなかったが、閉じ込めるわけにもいかない。何なら「いいよ?」と平気な顔をして言いそうではあるが、だからこそ必要がないと思わなくてはならなかった。 「代貸」  思考に沈む竜次郎に運転席から声がかかった。 「何だ」 「件の鉄砲玉、結局口を割らなかったそうです。例の半グレがバックにいると匂わせた後、隙をついて自殺したそうで……」 「……奴らが今更鉄砲玉なんざ使って親父殺そうとか少し考えにくいな。……とすると相打ちさせてこの辺の力削ごうって算段か?奴らの方にも同じ手口で鉄砲玉が送られてたら面倒臭えな」 「その可能性はありそうですね。少し連携をとっておいた方がいいかもしれません」 「…………人語が通じればいいがな」  「あいつらと連携なんてありえねー!」と憤るヒロを『まさしくそういうのが面倒だって話なんだが』と半眼で見て溜息をつけば、マサが厳つい顔に苦笑を浮かべた。 「湊さんの方はどうしますか?」 「そっちは日守に任せてある。神導もあいつのことは随分と大事にしてやがるからな。あのビルの中にいる分にゃ危険はねえだろう」  裏社会に身を置く人間で神導月華に直接喧嘩を売るような馬鹿はいないだろう。  …湊に関して心配なのは、ドンパチよりも仕事の同僚だ。  考えなければいけないことが多すぎて、全て投げ出し湊を抱えて失踪したいがそうもいかない。  まあそれでも、今は湊との再会が残念な結果に終わらなかったことを喜ぶべきだろう。 「兄貴、兄貴、男は一度やるとはまるって聞いたっすけどどうなんで」  どうしても男の需要が気になるらしいヒロに、またしても運転席から鉄拳が飛んだ。

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