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第47話
「中尾 ……」
目を眇めた竜次郎が一歩前へ出てツナギの青年と相対する。
中尾と呼ばれた男は、赤く染めた短い髪をワックスで逆立たせ、左耳には無数のピアス、垂れ気味の目元はしかし鹿島のように人の良さなど微塵も感じさせない凶悪さを滲ませている。作業用のツナギは薄汚れており所々塗料のようなものがついていて、まっとうな土木作業員のようにも思えるが、滲み出るダークサイドの気配が全てを不穏なものへと変えている。
年は自分達より少し上だろうか。パーツだけで見れば長身でモデルのようなスタイル、更に整った顔立ちではあるが、お近づきになりたいと考える一般女性は少ないだろう。
「てめー中尾!勝手に事務所に入ってんじゃねえよ!」
どかどかと遅れてやってきたヒロが怒鳴る。
「うるせえ雑魚が。わめくなよ。…叩き潰したくなる」
狂気を滲ませた脅しに、ヒロは少し怯んだようだった。
「何しにきやがった中尾。人のシマ、しかも事務所に乗り込んでくるたぁ何があっても文句は言えねえぞ」
低い声で応じた竜次郎に、中尾は唇の端を釣り上げ、犬歯をのぞかせた。
「そっちこそ、化石みてえな任侠気取りの博徒一家サマが随分愉快な手ェ使ってくんじゃねぇか」
「……そっちにも来たか。こっちも親父狙った鉄砲玉がオルカの名前出してんだよ」
「しらばっくれるのか?」
「手前ェこそ、あんな稚拙な手口に乗ってやるつもりか?」
『親父狙った鉄砲玉』というのはもしかして自分も関わった一件だろうかと気になるが、誰かに詳しいことを聞ける雰囲気ではないのでとりあえず動向を見守る。
中尾のカチコミ風な登場には驚いたが、彼は手勢を引き連れているわけでもないし暴れ出すでもなく竜次郎と普通に?会話しているように見える。ということは、お客様なのだろうか。
何か極道の作法というか、知り合いの事務所を訪ねるときにはパフォーマンスをしなくてはいけないとか、そういうしきたりか何かがあるのかもしれないと勝手に納得した湊は、話が長くなりそうならお茶を出さないとなあ、と、そっと離席しようとした。
「オイ何だそのガキ」
……ところを見咎められた。
不審だっただろうか。鋭い眼差しで動くなと射竦められて、害意はないと示すために動きを止める。
自分から挨拶するべきなのか悩みかけた時、松平組の男たちが口を開いた。
「テメェ姐さんに失礼な口きくんじゃねー!」
「そうだ、この人をどなたと心得る!」
「…………………はあ!?」
中尾の引いた様子に、まあそれが普通の反応だよなと内心同意する。
「誰が、誰の、何だって?」
「「「「湊さんは兄貴の嫁、つまり姐さんなんだよ!」」」」
……嫁。
それでいいのだろうかと竜次郎を見ると、諦観に満ちた横顔が目に入り、本意な展開ではないことが見て取れた。
ここで黙っているのも何かと思って、とりあえず営業スマイルで挨拶をする。
「初めまして。俺は、桜峰湊といいます。えっと……中尾さんは竜次郎のお友達、ですか?」
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何か物凄く脱力したような間があり、内心「あれ?俺何か変なこと言っちゃったかな?」と焦る。
「湊、お前な……」
「どの辺がッ!お友達に見えたんだよ節穴か!」
げんなりした竜次郎と憤慨した中尾にすかさずツッコミを入れられて、すみませんと小さくなった。
「ごめんなさい……何でも遠慮なく言い合える間柄なのかと……。あの、中尾さんもお茶飲みますか?」
「飲むか!」
仕切り直すように咳払いをした竜次郎が、表情を改めて湊の肩を引き寄せる。
「聞いての通りこいつは俺のオンナだ。ちょっかい出すなよ」
「約束はできねえな。俺はヤクザじゃねえ。カタギさんにゃ手ェ出さねえとか窮屈な世界とは無縁の身でね」
まともに話をする気のない様子に、竜次郎が低く唸った。
「…何かあれば相応の落とし前はつけさせてもらうぞ」
気温が下がった気がして背筋が慄く。
しばらく無言の睨み合いを続けていたが、視線を外したのは中尾が先だった。
「チッ……下らねえ。まあ、野郎なんぞにうつつを抜かしてる腑抜けにこの俺を殺ろうなんて気概はないかもな」
なんだと!?といきり立つ男達を「騒ぐな」と制して、竜次郎は踵を返しかけた男を呼び止める。
「中尾、黒幕の狙いは俺達をぶつけて力を削ぐことだ。てめえんとこもくだらねえ小競り合い起こして隙を作るなよ」
「……てめえの指図は受けねえ」
目つきも鋭く言い捨てて、中尾は帰っていった。
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