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第53話
車で送られて屋敷の方に戻ったものの、さてこれから何をしようかと畳の上で唸ってしまう。
家事は舎弟達の仕事らしくそれほどやらなくてもいいといわれているし、持ってきているのはスマホくらいのものだ。
今日は『SILENT BLUE』の定休日で、夜になったら医師の北条に診察してもらいに行くことになっているから、それまで何をしていようか。
正直、ここに住むのはこういう時間があるのが心配だから躊躇っている部分はある。
最初からいないことと、いるはずの人がいないことでは少し違う。
竜次郎が不在の間に寂しさを育ててしまうのではないかという不安が拭えない。
「(駄目だ……こんなことじゃ)」
時間があるときは己を磨く。
店のバックヤードで休日に何をしているかという話になったとき、オーナーが言い放って「ですよね……」とスタッフ一同乾いた笑いになったことを思い出す。
『SILENT BLUE』にやってくる『社会的成功者』である客達も、あくまで一時の息抜きにきている風で、くだを巻いて長居したりはしない。一流の人間は無為な時間を過ごさないものだ。
湊には別に一流の人間になりたいという願望はなかったが、少しでも有能な人間でいる方が周囲の人達が助かるだろうというのはわかる。
今やるべき事はなんだろうと考えて、先日怖くなって途中までしか確認できなかった中尾のデータに全部目を通しておこうかとスマホを手に取ると、着信が入っていた。
母親からだというのを確認して、一瞬、目を疑う。
母から、しかも電話というのは家を出てから一度もなかったからだ。
少しの逡巡の後、かけ直したがつながらない。
早朝の着信であることもなんとなく気になり、ふと、近くだから行ってみればいいのかということに気がついた。
在宅かどうかわからないが、散歩がてら行けば時間も潰れるだろう。
誰かに言うべきなのか、しかし現在家の中には誰もいないし、誰かがついてくるとか車で送るとかいうことになると、もしも母が在宅だった場合驚かせてしまうだろう。
ただでさえ避けられているのだ。この上ダークサイドの人達と関わりを持っていることなどわざわざ教えて不安にさせたくはない。
「(近所だし、すぐ戻るからいいよね)」
一応竜次郎には実家の方を見に行ってみる、とメッセージを送っておく。
屋敷の裏口にも立ち番などはいない。
親に隠れてこっそり家を抜け出す子供のような気持ちで、湊は屋敷を抜け出した。
見慣れた景観が、ほとんど何の変化もなく広がっている。
湊が十八年間住んでいた小さな一軒家は、多少経年劣化や荒れた様子は見えるものの、ほとんどその佇まいを変えることなくそこにあった。まるで時を止めてしまったかのように。
五年というのは長いのだろうか。それとも短いのだろうか。
つい最近まで、湊もこの家と同じように時を止めてしまっていた。
湊が置かれている現状を考えると、動き出した事が良かったのかどうかはまだわからない。
それでも少しずつ自分と竜次郎、そして周りの人たちにとっての最良を考えていきたいと思っている。
玄関の扉の前に立ち、出て行くときに鍵は持って行かなかったので、インターフォンを押す。
特に反応はない。
カーテンなども閉まっているし、やはり母は不在なのだろうか?
……否、人の気配がするような気がして、もう一度押してみたがやはり反応はなかった。
一応、と扉に手をかける。
それは……、簡単に開いた。
刹那、『SHAKE THE FAKE』の時の事が頭を過ぎる。
「(なんか少し、嫌な、気配が)」
母は普通の会社員だった。
実家にあんな事が起こり得るはずがないとその懸念を振り払い、それでも慎重に家の中に一歩を踏み入れた、その時。
「ッ……!?」
後頭部への衝撃。
何が起こったかわからないまま、湊は意識を失った。
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