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第60話
知り合いの警察官に引き渡しておく、と日守は北街を連れて出て行った。
極道の知り合いの警官、というのも不思議な思いがするが、組によって担当のような人がついているのは普通のことらしい。
松平組は喧嘩の仲裁などに入ることも多いので、そういう窓口は必要なのだそうだ。
車を待つ間、とりあえず下半身丸出しのこの格好を何とかしたいと、母に聞いたところ湊の部屋はそのままになっているようなので、使ってしまって申し訳ないとは思ったが、竜次郎に部屋から適当な服を持ってきてもらうように頼んだ。
自分の家だというのに所在なさげにしている母に申し訳なくて、少し緊張しながら声をかける。
「母さん、……大丈夫?顔の他にどこか叩かれたりしてない?」
気遣われて、湊の姿を改めて見た母は、口元を震わせて顔を両手で覆ってしまった。
「湊、ごめんね……、あなたを、巻き込んでしまって」
「そんなこと」
母は首を横に振り、ぽつりぽつりと事の経緯を話し始めた。
離婚した数年後、北街は湊に会わせろと要求してくるようになった。
離婚の原因が子供への暴行だったため、面会はさせない取り決めになっていたが、『子供が望むなら可能なはずだ。とにかく湊に会わせろ』の一点張りだったという。
母は困り果てていたが、高校卒業と同時に湊が失踪した。
心配ではあったものの、元気でやっているというメールが届いたこともあり、家にいない方が安全だと思ったため、探さなかったのだそうだ。
だが、どこかおかしくなった北街は、湊は失踪したのではなく、母が隠したのだと考えるようになったらしい。
『どこに隠した』『何故邪魔をする』そんな電話が長期にわたって何度もかかり、母はここのところかなり参っていたようだ。
警察に行こうと思わなかったのかと聞くと、湊に危害が及ばないならば、二人の間のことだから自分で何とかしなくてはと思ったと言う。
たった一人でずっといろいろなことを抱え込んで、正常な思考ができなくなっていたというのもあるだろう。
「少し前から仕事もしていないみたいで、昼間にもずっと着信があったの。仕事中は困るから着信拒否しても別の番号からかかってきて……無視していたら、とうとう家に」
早朝に近い深夜にやってきた北街は、母を拘束して湊に連絡を取るように迫った。
母は湊との関係の断絶を主張して拒否し続けていたが、結局スマートフォンのロックを解除させられ、北街が電話をかけた。
それが、湊の見た母からの着信である。
経緯を聞いて、湊は愕然とした。
まさかそんなことが母の身に起こっていたとは。
言ってくれたら、などという言葉は傲慢だろう。
今まで一方的な生存報告のみで母を気遣うことすらしなかったのは他ならぬ湊自身だ。
「湊を巻き込む前に何とかしたかったのに……こんなことになってしまって。ごめんなさい」
違うと首を振ったが、母は首を横に振り、はらはらと涙を流しながら謝罪を重ねた。
「あのときも、私が選んだ人のせいで湊を辛い目に遭わせて。本当に、我が子に合わせる顔がなかった。どうしていいかわからなくて、上手く話せなくなって……、ずっと、ひどい態度で、謝れなくてごめんね。ごめんなさい……」
竜次郎の時と同じだ。
母の涙を見て、またしても自分の事しか考えていなかったことに気付かされ、ぐっと奥歯を噛みしめる。
彼女はこの細い体でずっと湊のために戦っていたのに。
湊はただ自分の事を憐れみながら、あの場所で優しい人たちに守られて安穏と暮らしていた。
「ごめん、俺なんか何も……母さんのこと気遣えてなかった。自分の事しか、考えてなくて……」
罰だから母親は自分を見てくれないのだ、なんて、戦わず諦めるための言い訳だった。
北街の接触は湊がまだ家にいた頃からはじまっていたのだから、母との交流を諦めなければ、こんな事態を阻止できたかもしれなかったのに。
言葉に詰まった湊を見て、母は少しだけ微笑んだ。
子供にするように、湊の頬を伝う涙を指先で拭う。
「助けようとしてくれただけで嬉しかった。危ないから来て欲しくなかったけれど……、でも、ありがとう」
赦すことと受け入れること。これが母親というものなのか。
まだ間に合うのならば、今後のことは力になりたいと心に決める。
「でも竜次郎が来なかったら、……」
言いながら、そういえば竜次郎は随分遅いなと首を傾げた。
学生の時はよくこの家に来ていたから、湊の部屋がわからないということはないだろう。
戸口の方を見ると、少しだけワイシャツ姿の長身がはみ出していた。
どうやら気を遣って外してくれていたようだ。
「……竜次郎?」
「…………おう」
「鼻かむ?」
「放っとけ」
振り向かずに応える僅かに涙の気配を感じる声に、自分にとって大切な瞬間を共感してくれる人がいて、それが竜次郎で本当に良かったと思った。
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