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第61話
約束の時間には早いが、このまま北条の医院へ行くことになった。
母は自分で病院に行くと言う。
心配な気持ちもあったが、まだ少しお互いに遠慮もある。或いは自分達と行動するよりは安全かもしれないとも思い、北街のことも含めてまたすぐに連絡すると約束して、ひとまず撤収することにした。
去り際、
「あなた、前にも家に来てくれたわよね。今日は助けてくれてありがとう。これからも湊をよろしくお願いします」
わかっているのかいないのか、母は竜次郎に何も聞かずに頭を下げた。
竜次郎は何か少し難しい顔で、「わかった」とだけ答えて、すぐにはっとして「窓は今日中に直させとく」と付け足す。
母は、笑顔で頷いていた。
北条は急な時間変更に特に迷惑そうな素振りもなく、「これまた、大変だったらしいな」といつもの調子で迎えてくれた。
脇腹の傷は経過が良好らしく、何事もなければもう診察は必要ないらしい。
ただ、意識を失わせるために殴られた頭の方は心配なので、念の為この後CTをとりに行く方がいい、ここには設備が無いから、と大きな病院の紹介状を貰ってしまった。
最後に「商売道具だろ」と頬に冷却シートを貼られてハッとして慌てると、「月華に怒られるぞ」とからかわれる。
触診されるとき、少し震えてしまったのに気付いて気を遣ってくれたのかもしれない。
その足で紹介状の病院に行くと直ぐに検査をしてもらえて、問題なしとの診断だった。
体の事は要するにほとんど問題なかったのだが(あとは頰が腫れないことを祈るのみだ)、移動中、ずっと付き添ってくれた竜次郎は言葉少なで、湊はそちらの方が不安になってしまう。
もしかしたら、今回の件で怒っているのではないだろうか。
今まで、義父に暴行されかけたことを話したことはない。別段隠していたつもりはないが、こんな風に知りたくはなかっただろう。
メッセージを送ったとはいえ誰にも言わずに屋敷を抜け出して手数をかけさせたりもしている。
どうしようと思っているうちに屋敷についてしまい、案の定竜次郎は「事務所の方にいる」と玄関先で直ぐに踵を返した。
「あっ…………」
咄嗟に裾を掴むと、肩に突っかけただけだったスーツのジャケットはそのまま湊の方に落ちてくる。
竜次郎が怪訝な顔で振り返り、思わず謝った。
「ご、ごめん」
「どうした、不安か」
「あの、……………ごめん」
聞かれても、自分でもどうしたいのかわからなかった。
そばにいて欲しいと言っていいのか、けれど助けに来てもらって更に手間をかけさせるのは嫌だとも思う。
どうしたらいいのかわからなくなって、スーツのジャケットをぎゅっと抱き締めると。
「………………くっ」
突然、竜次郎が笑いをこらえるように口元を歪めた。
「……竜次郎……?」
「いや、悪い。……すっかり大人になっちまったなと思ってたが、あの頃と変わんねえところもあるな」
「………………、」
何と言っていいかわからず見つめ返す。
その様子は機嫌が悪いようには見えない。
「……竜次郎、あの…怒って…ないの?」
「怒る?なんでだ」
「あの人のこと、特に話してなかったし、勝手に出ていって迷惑かけてるし……」
ごにょごにょと心当たりを話すと、竜次郎は目元を和らげた。
「お前はお前自身のやりたいことや言いたいことを何一つ我慢する必要なんかねえよ」
言い含めるように丁寧に紡がれた言葉を、反芻する。
見上げた双眸は、きちんとまっすぐに湊自身を見つめていた。
「(ああ……だから俺は、竜次郎を怖いと思ったことは一度もないんだ……)」
竜次郎は決して自分本位な欲望をぶつけてきたりはしない。
安心した湊は、伸びてきた手に口付けを待つようにそっと瞳を閉じた。
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