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第62話
だが、伸ばされたはずのその手は、いつまでたっても触れてこない。
「……………?」
疑問に思い恐る恐る目を開けると、眉を寄せた竜次郎はさっと手を下ろしてしまう。
「あの……怒ってない……なら、この距離感は…一体…?」
車の中でも少し距離があって、それがなんだか寂しかった。
どうしていつものように手を伸ばしてくれないのかと、一瞬前に安心したそばから不安になっている。
「……怖いんだろ」
「え?」
苦い表情で指摘されて、ようやくまだ手が震えていることに気づいた。
寒くもないのに指先が冷たい。
そうか、自分は恐ろしかったのだな、とどこか他人ごとのように思う。
母がいなければもっと取り乱していただろう。竜次郎が来るのが遅かったら、どうなっていたかなんて考えたくもない。
だが、北街に関することは全ては過去の、狭い世界で生きていた幼い湊が作り出した恐怖心の残滓なのだ。
暴力を恐れなかった八重崎のことを思う。
あの容姿にあの能力だ、きっと湊以上に危険な目に遭っているだろう。動じないのは、慣れているというのもあるかもしれないが、助けに来てくれる三浦や、彼を必要とする確固たる居場所があることをきちんとわかっているからではないだろうか。
だとしたら、竜次郎と出会った時点で湊にとって北街のような人々は恐れるべきものではなくなっていたのだ。
竜次郎が隣にいることを許してくれた時、湊は自分がそこにいることを赦せた。
もちろん暴力は怖い。己に向けられる強い負の感情を快く思える人は少ないだろう。
それでも、一人ではないから乗り越えられる。
今湊が怖いと思うのは、竜次郎がいないことだけだ。
「竜次郎が触ってくれたら、平気になると思う……」
「…お前な」
聞き分けのない子供を諭すような口調に首を振る。
「言いたいことを我慢しなくていいっていってくれたよね。時間の許す限りでいいから……竜次郎……、一緒に、いて欲しい…」
震える手で、竜次郎の手を取った。
それを見下ろした竜次郎は何やら難しげな顔で唸る。
やはり、今は迷惑だろうか。
ごめん大丈夫仕事が終わるまで待ってる、と引きかけた手を力強い手が掴み直した。
「竜次郎……?」
「………………いいか湊、俺はな、お前にはなんも怒ってねえが、あのクソヤローにはすっげえ怒ってんだよ」
「う、うん……」
「その憤りがうっかり漏れて動作が乱暴になったりするかもしれねえだろ」
「竜次郎は大丈夫だよ」
断言すれば二度目の「お前な」に思わず笑顔がこぼれた。
「竜次郎の『お前な』好き」
「ったく……相変わらず舐められてんな俺は」
「信頼されてるって思えばいいんじゃないかな」
「裏切られて泣いても知らねえぞ」
「うん……、俺が泣いても、離さないで」
馬鹿、と小さな罵倒が聞こえて、湊は寝室へと攫われた。
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