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〈後日譚〉織姫と彦星の距離で

「愛してる」  そう言ってから、相手に届くまで十五年。 「私もだよ」  返事もやっぱり十五年で、合計三十年。なんとも気の長い話だ。  世間では、毎年七夕に二人が逢瀬出来ますようにとお願いしながら夜空を見上げる。  だけど、実際には、織姫と彦星の間にはそれだけの距離があるらしい。  プラネタリウムで、全員が眼鏡越しに作りものの夜空を見上げている。子供たちも飽きないようにとの配慮か、アナウンスはアニメなどからさりげなくエピソードを交えて時折くすりと笑わせてくれる。とはいえ、今時の子供は宇宙を駆ける鉄道の話を知らない方が多そうだ。  肘おきで重ねた手が動いて、左手に指が絡んだ。夏の星座の話で、頭上には天の川が輝いている。  遠くなったり近くなったり、流星群が降ってきたり。点滅する大きな星を掴もうと、子供たちが腕を伸ばして指先を閃かせ、時折パチンパチンと掌を打ち鳴らす音がする。  ああ、掴まえようとしているのかと、大人たちの口元が緩む。  肩口に、そっと小さな頭が寄せられた。最近そんな風にさりげなく甘えられるから、哲朗は顔がにやけてしまって、でも今なら誰にも見えないからと、引き締めることもなく存分にでれでれした表情で、絡まった指を逃さないようにやや力を込めた。  長距離専門のトラック運転手である哲朗は、体格も良い上力が強い。事務仕事と芸術の趣味で繊細な仕事をする恋人の体を損ねないようにと、力加減には気を配っている。  三十分ほどの上映時間はあっと言う間にすぎて、眼鏡を返して一旦全員退場する。別のプログラムを見たい人は再入場するが、二人はそのまま外に出た。  少しだけ冷房を効かせていた館内で冷えた体に、外気が心地よい。もうじきツツジも散る頃合いの生け垣を横目に、哲朗と実はゆっくりと公園の中を進んでいく。  流石に外では手を繋げないから、たまに腕が触れる程度の距離で隣にいる。それだけでも二人とも自然と微笑みが浮かぶのだった。 「わったん、なんかさ、さっきのってさ」  哲朗より頭一つ分小さな実は、小さく首を傾げて目を瞬かせた。 「ああ、うん。何言いたいのかなんとなく解る」  哲朗が頷くと、上目で見てから、実は切なそうに目を細めて、とんと体をぶつけてきた。 「もしも、もしもだけど……また同じだけ掛かったとしても」 「ならねえよ」 「でも」 「俺だって、もうこれから同じだけなんて離れてられない」  昼下がり、家族連れの喧噪が遠く聞こえる硬く踏みしめられた土の小道から外れて、灌木の間に実の体を抱き締めながら腰を落とした。  昔から白かった肌には、離れていた年の分だけシミや細い皺が刻まれている。黒く日焼けした哲朗だとて、条件は同じだ。  大学を卒業して実家に戻ってきた実と、同じ県内とはいえ数十キロも離れた場所に住んでいる哲朗が親しくなったのは偶然だった。年も五つ離れていて、夜だけの遊び仲間だった。それが、いつの間にか友人とは言えない情を持っていることに気付いても、互いに心に伏せたまま、哲朗は親の勧めた縁談に乗って結婚せざるを得なかった。 「愛してる。だけど、今夜限り、この気持ちごと俺を忘れてくれ」  最後の日に、ようやく告げた気持ち。泣きながら交わした口付けは熱く、そうして実との繋がりは絶った。そうしないと、互いに吹っ切れないと知っていたから。  勝手に好きになって、でも成就されるはずのない恋だった。自分より若い実に引きずって欲しくなくて、本当なら口にも出さないはずだった。  けれど。  結婚すると告げたとき、実が泣くのを見てしまったから。  好きなんだ。だけどどうしようもない。だからせめて忘れて。  何度も何度も耳元で言い聞かせて、家まで送り届けた。催眠術なんて使えないけど、本当に忘れて新しい恋をして欲しいと願った。  それから、様々な要因が絡んで離婚になって。たまたま点けていたテレビに実が映っていて矢も盾もたまらず会いに行ってしまった。  ただ、その時は、今の実が幸せならそれだけを実感して、また距離を取ろうと思っていた。  いつの間にか地元で名を馳せるようになっていた芸術家。昔なじみで、ただそれだけでいい。まさか本当に効き目があるなんて思っていなかったのに、実は本当に哲朗のことは友人としてしか認識してなくて、それならそれで気軽に傍にいられると思った。けれど、そんなのは有り得なかった。  辛くて悲しい恋愛しかしていない実を、今度こそ自分が幸せにすると己に誓った。  ずっと一緒にいるから、もう二度とこの手を離さないから。  だから傍にいさせて。 「十年なんて、今更無理だよ」  細くて少し茶色がかった髪を指に絡めながら頭を抱く。 「おれも。もしもわったんに再婚話なんて出たら、家に乗り込んで土下座して謝ってでも、絶対誰にも渡したくない」  厚い胸板に頬を寄せている実の口から出たのは、哲朗には思いも寄らなかった激しい感情だった。いつも自分が一歩引くことで、軋轢を作らないように振る舞っていた実の言葉とは思えない。だがそれだけ執着されていると知るのは、思いの外嬉しいものなんだと気付いた。  抱き込む腕の力が強すぎて実の呼吸が止まりそうになり、慌てて緩めた。言葉より先に態度に出てしまうのも、実は解ってくれてはいるようで、しばらく酸素を求めた後にふんわり笑って見上げてくれる。  目尻の笑い皺さえ愛しくて、キスを落とすと今度はあちらから抱きついてくる。 「あー……夕飯より先に、実食いたい」 「じゃ、えーと……おやつってことで」  一瞬で首まで真っ赤になった実を脇に抱えるくらいの勢いで、二人は車に戻ったのだった。  郊外の大型公園を出て、近くの山頂にあるホテルに着く。いくら週末とはいえまだ日も落ちていないからがらがらに空いていた。  互いに休みが合わないから、電話やメールでのやり取りが主で、会ったとしても短い時間だから、初めて体を繋げてから、もうとっくに一ヶ月以上が過ぎていた。  年季の入った客室のドアを閉めるなり、横抱きで唇を繋いだままベッドにもつれ込み、もどかしげに衣類を取り払い合った。  手の平も指先も、そして唇は勿論のこと、体の隅々まで触れて重なり合って、哲朗の下に包み込まれて実は感じ入っている。  学生の頃には異性と付き合っていたという実だが、哲朗と離れている間にずっと同性としか関係がなかったようで、体は受け入れることに慣れてしまっていた。  それを悲しめば良いのか、手間が省けたと前向きに取れば良いのか解らない。  哲朗の前で、実ははっきりとその男に別れを告げた。もう随分前から気持ちは離れていたのに、それでもまだ離すまいと力技に出た男を説き伏せて、きっぱりと振り切った。  強くなったなと思う。  元々芯の通った性格だったけれど、自分が一歩も二歩も引いて、泥をかぶってでも相手をたてる気質だった。  だから、そうまで強く出られるようにしたのは自分かと、それだけで身震いして、元妻には抱いたことのない独占欲でいっぱいになってしまう。  荒く息をついて、吐息を震わせて、混じる声は普段の何倍も甘く鼓膜を揺さぶる。  白い肌を余すところなく哲朗の口で愛撫して、中心は他の何処よりももどかしげに揺れて雫をこぼし続け、敢えて後回しにして太股の内側にかぷりと噛みついた。  ひときわ高く声を上げた実が、眦から熱い線を引いた。  右腿の付け根にある、柔肌を焼いた痕。男と実の繋がりを誇示する印。奴隷のように縛り付けて無理矢理に付けられたそれは、体の中で一番敏感に反応する。  口で覆ったまま舌でその印をなぞり、吸う。さして力を入れなくても、実は全身を細かく震わせてぎゅっと目を閉じた。 「噛みちぎってよ、いっそ」  ささやかに届いた言葉は、本気の色を帯びている。  医師に、いずれ薄くなっていくからと言われていなければ、自分で上から焼くつもりだったらしい。  笑い話で言われたときには血の気が引いた。おとなしげな風貌で、それくらいは簡単にやり遂げる意志の強さを内包している。  声には出さず、哲朗はじっくりと何度も何度も舌を這わせ、これも実の一部として受け入れているのだと示そうとした。  ちゅっ、ちゅっとリップ音をさせる頃には、すっかり脱力した実が白いシーツに薄紅色の肢体を投げ出している。ローションをまとわせた指で後孔の周りから解し始めると、瞼を押し上げた実がじりじりと体の位置を変え、哲朗にも横にならせた。  横臥で上下を入れ替え、そろりと実が哲朗の中心に指と唇を添える。そこはもう随分前から臨戦態勢で、期待に悶えて独自に頭をもたげる姿は別の生き物のようだ。  体格差が大きいから、哲朗からは実のものまで距離があり、その分ほぐしている箇所は丸見えで、指を足しながらじっくりと広げていくさまを見てしまう。中が見えるくらいにじりじりと横に引けば、流石にそれは恥ずかしいのか腰がくねる。  それでも哲朗のものを離そうとはしないで、全ては無理でも咥内いっぱいに頬張っているのが判るから、今にも放出してしまいそうな己を戒めながら、実の好い場所を探る。  ビクリとしなり、勢いよく吸われて、二人同時に声が挙がる。  どくんと跳ねた中心が熱い飛沫を撒いて、実の顔と腹を汚していく。  放心状態からいち早く復帰した哲朗が上半身を起こそうと腹に力を入れると、実も反応してちろりと先端を舐めた。 「ごめん、みのる」  謝りながら顔を見て、陶酔したようにちろちろと哲朗自身を舌で綺麗にしている様子に、少し柔らかになりかけていたものが威力を取り戻した。  あ、と吐息されるそのささやかな刺激すら愛撫になり、もう熱い粘膜に包まれたくて我慢できなくなる。  早く孫を、跡継ぎを。  親族からのプレッシャーに、妻とのまぐわいではこんな悦楽は感じられなかった。義務ではなく、ただ互いの欲するままに抱き合うのは、なんという心地よさかと四十路を過ぎて初めて知った。  体勢を変えて、大きく下肢を開いてからあてがうと、汚れたままの顔を綻ばせて、早く頂戴と表情で、そして下の口で強請られる。  もう一度濡らしてからじわりと腰を進めると、細く息を吐きながら、実は眉根を寄せた。  みちみちと音が聞こえそうなくらいに引き攣れた皮膚が健気だ。許容ぎりぎりに受け入れようとするそこに気を配りながら、それでも止める事は出来ないし、それは互いにしたくない。  蠢く襞が、奥へ奥へと誘う。じっくりと進めてから引こうとすれば、今度は待って待ってと引き留め縋りつく。その感触が病みつきになりそうで、敢えてゆるゆると味わってしまう。  こんなに小さくて、それでも哲朗のものをいっぱいいっぱいに含んで味わい、根本まで打ち付ければ今この中は自分で満たされているんだなと実感する。  一度放出して少しは余裕があると思っていたのに、異物感に慣れた実が瞼を上げると、どくんと鼓動が跳ねて腰に熱が溜まっていく。薄ぼんやりとした照明に、短い睫の先に留まっている雫が煌めいた。  大丈夫だからと、哲朗が実のために加減して耐えていると判断して囁かれて、作ったものではない微笑に下半身が暴走を開始する。  悲鳴じみた嬌声と共に細いからだが跳ね、翻弄される。逃がさないように腰を掴んでいた手を離して、ベッドに縫いつけるように両手の指を絡めた。  前回、〈しるし〉を確認するためにじっくりと隅々まで調べつくした体。その際に、しるしではなく目を引く部分があった。きっとそれは学生時代にコンプレックスだったろうなと思ったし、しるしの方が重要だったから敢えて口にしなかった。その場所に、哲朗はそっと唇を寄せた。  色の違うその部分は、薄紅に染まった全体よりも更に紅が濃く、少し硬い。ちろちろと舌先で外側から静かに刺激すれば、しるしの部分に負けず劣らず腰がびくびくと跳ねた。涙が顔の脇へと流れていくのを目の端に捉えたが、痛みを感じているわけではないらしい。  前の男に十分弄られている筈だしな、と胸の奥にじわりと黒いものが湧くのを堪え、丁寧に舌を這わせて中心も少しえぐるように差し込んでいく。 「そこ、は」 「痛い?」  荒く息をついて、それでも哲朗の問いに実は小さく何度も首を振った。  それならと安心して続けながら、下半身もゆるゆると動かし続ける。引くときに見つけた好い箇所を小刻みに突いていると、感極まった声が上がる。それでも、刺激が弱すぎて達するほどではないから、哲朗の官能を刺激する甘やかな声を断続的に漏らしながら、体全てを預けてしまっている。  通常ならば、他の部分よりも盛り上がっている箇所が、へこんでいる。それでも感じているということは続ければいいのだろうと、徐々に柔らかくなっている中心を周りごと軽く吸ってみた。 「っや、ぁぁっ」  一際大きく体が跳ねて、振られた首の激しさにしぶきが散った。  実自身からも透明なものがとろとろと溢れていたが、そろそろ色づき始めている。  二人の間に横たわる〈会えなかった年月〉という空白を埋めるには、きっと織姫と彦星ほどに気長にいかねばならないだろう。  だから焦る必要はないと、丁寧に過ぎる愛撫に、実の方が先に力尽きてしまいそうだった。  なかなかゆっくりとは共に居られない。だから、その分濃厚な時間を過ごしたい。  話なら電話でも出来るから、距離という物理的なものに邪魔をされない今は、ただただ温もりを感じながら触れ合っていたい。  想いは実も同じで……けれどそれすらも口には上らせず、それくらいなら口付けていたいと願う。  下半身がぐすぐずに溶けて。何度か優しく吸っていた胸の飾りが、ふくりと柔らかく突出して。  唇で挟んで少し強めに吸いながら、腰を深く穿った。  愛してる、と告げて、そのまま別離を選んだふたりの十年間は、元から一緒に過ごしていたとは全く違うものだろうと思う。  それでいいじゃないかと、今だから言えるのだろうか。  あの頃知らなかった世界を、ふたりはそれぞれに胸に秘めている。  もう一度思いを告げたらと後悔している間に、実から告げられて、勿論その場で即答した。  それが、季節は違っても、ふたりにとっては七夕と同じ記念日。  そして、もう離れることはないと、別の生き方を選ぶためのきっかけになった日。  会えない日々は、もう辛いだけの思い出なんかじゃない。  次に会うときのために、自分を磨くための準備期間なのだから。      Fin.

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