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第10話【完】

 一軒ずつコテージになっているモーテルに車が滑り込んでいく。もしかしたらと思っていた実だが、結局何も言わないままに哲朗に続き、室内へと入った。  小さな家のしつらえそのままに、ワンルームの十二畳ほどの広い部屋にキングサイズのベッドが鎮座し、浴室とトイレは独立しているがベッド脇のカーテンを開ければ、ガラス越しに風呂が見えるようになっている。  玄関ドア横の小窓に係の人が手と口元だけ覗かせて、哲朗が支払った金を手に、さっさと戻っていった。  まるで洋画に出てくるような寂れた雰囲気の中にも落ち着きがあり、街中のホテルとは全く異なる趣であるが故に、実はどうすれば良いのか解らず立ち竦んだ。  暖房が入った唸るような音にびくつき、セーターを脱いでソファに放り投げた哲朗が、今度こそと実を後ろから抱き締めた。 「わったん……あの」 「しるし、って何」  露天風呂の騒ぎの時には気付かなかった。そうまじまじと見たわけでもないから見落としたのか、それとも。  そう単なる疑問では済まされない黒い想いが渦巻き、そのまま実のベルトを緩めてスラックスごと落とす。先に下を晒されたことに羞恥が増し、実は哲朗の手に自分の手を重ねて緩く首を振った。 「ちゃんと、おれから言うつもりだった……」  そう、と身を屈めた哲朗が一息にシャツとトレーナーを頭から抜き、殆ど抱き上げられるようにして、うつぶせのままベッドに載せられる。 「ひゃっ」 「悔しいけど、確かに俺、何も知らないし」 「そ、れは」  性急に下着も足から抜かれ、あっと言う間に丸裸になった体を返されて、煌々と点いたままの明かりの下で、実はベッドカバーを握り締めて目を閉じた。 「みのる」  指と唇が、横を向いた実のうなじを辿っていく。びくびくと歓喜に震え始める体を、ゆっくりと丁寧に辿り、脇のラインが弱いことも見抜かれて散々いじられて呼気が荒くなった。  ついに下肢を持ち上げられ、それまで肌で感じていた哲朗の唇が消えたとき、反射的に実は目を開けてしまった。  もう既に雫を零し始めている箇所の傍に吸い付いている視線に肌が焼かれる。  このまま印も焼けて溶ければいいのにと、涙が零れた。 「痛くないか」  そっと指先が触れて、新しく生まれ変わる途中の薄い皮膚から伝わる感触に、敏感な腰が跳ねた。 「こんなとこ、痛いに決まってるよな」  身を沈めた哲朗が実の視界から消え、柔らかく湿ったものが傷跡をちろちろとなぞった。 「ぁ、やっ」  うねる腰は逃げているのではなく、更なる快感を求めていた。  まだ肝心な場所には触れられていない。まずは印を探すためになのか、全身を確かめるささやかな愛撫に、もう待ちきれないと実は全身を戦慄かせ、喉を反らせた。  忙しさにかまけて、自分でも何も処理してはいない。ずっと解していない後ろは、ひょっとしたら哲朗のものを飲み込みきれなくてまた傷つくかもしれない。それでも、もう心が限界を告げていた。  伸ばした腕で哲朗の髪を掻き混ぜ、キスしてと誘う。  熱に浮かされた瞳と声に呼ばわれ、服を脱ぎ捨てた哲朗が被さり、きつく互いに吸い上げながら、手の届く限りの場所を触れ合っていく。  蕩けるような甘い声が哲朗の中心を昂らせ、とっくにその気になっている実自身と擦り合わせると、それぞれから透明な雫が零れてその下へと垂れていく。 「なんか、して欲しいことあったら言ってな。傷付けたくないんだよ……」  長い腕が足の間を割り、その粘液を更に下の部分に塗り付ける。円を描きながら周囲を巡る指先を、ここにちょうだいと入り口が薄く開いて誘った。  実よりも数センチ長い指先が、つぷりとそこから侵入し、しばらく放置されて硬くなっている筋肉を解しながら奥へ奥へと進む。 「あ、すご……内臓って感じ」  感慨深そうに中を探り、実の呼吸に合わせて指が追加された。  事前に自宅で処置はしてきているが、もしも汚れていたらと、いつだってこの行為にはいろんな方面での不安や恐れが付きまとう。  そして、やはりというか、先走りだけでは潤滑液としては足らず、顔を寄せようとする哲朗を実は押しとどめた。 「ポケットに、ジェルが」  しゅううと湯気が出そうなほどに顔を真っ赤にして囁くと、一旦体を離した哲朗が、スラックスからゴムと同じくらいのサイズに分包されたジェルを取ってきた。  ああなるほどと、慎重にそれを破いて指にまとわせてからまた解し始める。  ついでに明かりも抑えてと頼めば良かったと悔やみながら、ついに三本に増やされた指に脳は蕩けて、次第にそんな瑣末事は意識から押し退けられていった。  プロセスに慣れてきたのか、哲朗は実の腰の下に膝を入れて支えると、指を入れたまま実のものにも指を絡め、太股の内側に唇と舌を這わせた。  ちゅっ、ちゅっと軽やかで湿り気のある音がして、くすぐったさにも似た快感が股間で愛撫されているものを揺らし、しとどに先端から濡れていく。  実の声は止まることなく胸の中から湧きだし、切なく熱く哲朗の眼を潤ませ、昂ぶりは最高潮に達していた。 「わった、ん……もぅ、頂戴。大丈夫、だから」  途切れ途切れに強請る声。そして誘うようにカーブして宙に持ち上がる腕。  入り口のきつさは指でも十分に感じていたから、それでも哲朗は躊躇しながら己のものにゴムを装着した。  サイズが、唯一の経験相手である新汰より大きなことは、実も承知している。  きっと殆ど無理に近いと思っても、それでも求めていた。  ひとつになりたい。体の最奥で、熱を共有したい。  何度も何度も欲しいと囁いた。掠れる声に導かれ、滾る熱の固まりが小さなすぼまりにあてがわれる。長い吐息に合わせ、哲朗はゆっくりと腰を進めた。  ぎちぎちと音が聞こえそうなほどにぴったりと密着し、ひだがぴんと伸びきって、懸命に迎え入れようとしていた。  気持ちの方が萎えそうになる哲朗に、実は目尻に涙を滲ませたまま微笑み、絶対に止めないでと懇願する。 「ん……ぁ」  強ばりそうになる体を説き伏せ力を抜いて受け入れていく腕の中の体がいとおしく、途中で暴走しそうになりながらも、どうにか根本まで収まった。  ここまででもう、二人とも汗だくである。  もう一度深呼吸しながら、哲朗は体を倒して胸を合わせた。 「ちょっと、このままで……」  実から腕を回し、密着したまま汗が冷えていくのを感じていた。  自分の中いっぱいに、哲朗が詰まっている。圧迫された胃が口から飛び出すのではないかと思うほどに質量を感じて、まさに満たされている実感があった。  哲朗の脈動が、触れ合う胸からも体の中からも伝わってくる一体感。息を整えてから後頭部に手を掛け引き寄せ、うっとりと口付けた。  どくんと、体内で脈打つと共に、圧迫感が増す。  はあっ、と大きく息を吐いて哲朗が眉根を寄せた。思わず締め付けた実に、絞られそうになったのだ。  う、と唸って耐えているのに気付き、実も覚悟を決めた。 「動いていいよ」  腕を解き、体重を掛けすぎないようにと踏ん張っていた哲朗を解放し、呼吸を整える。  ゆるりと腰を回し、具合を確かめながら、浅い位置で動かす。たっぷり使ったジェルと、僅かに中からも漏れる体液で滑り、痛みはないかと確認しながら、哲朗は一度ぎりぎりまで引いた。 「はあぁぁ、っん」  腰に来る高く甘やかな声が、入り口の締め付けと襞の動きで引き留める。  零れる涙は痛みからではないのが判り、今度はまたゆっくりと押し込めると、如実に好い箇所で反応する。そこで止めて上下に揺すぶると、大きく口を開けて喘ぐから、もう自分ももちそうにない。 「いい……いきそ。ね……一緒にっ」  律動に合わせて跳ねる体で、既に半分意識が飛んでいるような表情で、実が零すと、腰と共に添えた手の動きに、二人殆ど同時に熱を吐き出した。  なんという充足感か。  押し込められ閉じ籠められた期間の長さに、圧縮された想いが弾けたかのように二人とも快感と悦楽の余韻に浸り、唇を合わせながら呼吸すら重なっていく。 「あいつの言ってたのと、全然違ってた」  肘を実の顔の脇に突いてついばみながら、ふっと哲朗が笑った。 「そんな複雑とかじゃないよ。すっげー気持ちよさそうだったから、俺も安心した」 「え。あぁ……そ、そうなんだ」  熱が冷めて意識が戻ってきて、実はかあっと首まで紅潮する。  へへ、と照れ笑いしながら、哲朗は汗に濡れた実の前髪を払い、額にも口付けた。 「これって、俺の方にはちゃんと満足してくれてるって感じ。幸せだな」  あう、と喉に詰まったような声を出してから、実の口元も綻んだ。 「わったんが幸せなら、おれも幸せ」  えへ、と目を細めると、どくんと体内で哲朗が存在を主張した。  二人視線を絡めて赤面し、いいかと囁く哲朗に、実は首を伸ばしたキスで応えたのだった。  自宅のものより大きな湯船に二人で浸かった頃には日付が変わっていて、今すぐ眠りたい体を叱咤しての帰り支度。  体は疲れているけれど、心が満たされているから、きっと今晩は二人とも熟睡できるだろう。 「春になったら、農園やってみたいなって」  助手席で告げると、哲朗ははりきって頷いた。 「おう。なんか良さそうな苗用意しとく。あ、記念樹もいいかも」 「いいね、記念樹。果樹がいいかな」 「実が付くのは何年も先だぞ」  そんなんでいいのかと尋ねられ、実は力強く頷いた。 「ん。だって、これからずっと付き合うんだから、何年掛かっても大丈夫だよ。  のんびり見守ったらいいよね。おれたちの、二人の子供みたいな感じでさ」  ぶあぁっと、哲朗が赤面し、慌てて前へと向き直した。  やっべーと呟きながら、左手で口元を覆う様子が幼く見えて、どうしたのと実はくすくす笑った。  会いたいと思う気持ち。傍に居たいという願い。  頭でいくら考えても堂々巡りで、今ようやく手に入れたのが、きっと純粋な恋心。  不安なんて、きっといつだって誰だって感じているから、今はただ、この気持ちを大事にしようと思っていた。  夜中に車を走らせるのを躊躇わなかった。  知らない町へ、下調べもなしに向かった。  あの日、いやそれを決心した時に、既に実は哲朗に全てでぶつかろうということまで決めていたのだろう。  未来なんて、明日の事だって判らない。確定なんてしていない。あるかどうかも判らない再婚話を気にして一喜一憂して、大切な哲朗に気持ちをぶつけられないなんて、一番馬鹿げている。 「わったん、おれさ」  ふと漏らした問いに、哲朗は一瞬だけ視線を遣ってまた前を見た。 「十年前にキスした後のこと、憶えてなくて……気付いたら、朝布団の中で目が覚めてたんだ」  なにかやらかしてない? と恐る恐る尋ねると、哲朗は、片側が川になっているガードレール沿いに車を寄せて停車させた。  その行動が、あの晩と同じで、実は服の上から心臓を押さえた。  くしゃりと髪を掻き上げて唸っている哲朗は、何処かすまなさそうに口を開いた。 「それ、多分俺のせいだ」 「え? なんで」 「思い出したい?」  それは、哲朗の犯した過ちを思い出したいかと、そういう意味合いのようだった。  実は、迷うことなく首を振った。 「別にいいんだよ。要らないから忘れたんだろ? 誰にも迷惑掛けてないなら別にいい」  ふるふると首を振る実の瞳には、心底そう考えているのだと取れる光しかないから、哲朗は安堵と申し訳なさとで、そのまま腕を伸ばして頭を抱きこんだ。  柔らかな髪に鼻を埋め、それからそっと唇を重ねる。  あの日よりも、優しく。しかし、込められている熱は、あの頃と変わらぬままに。 「愛してる。だけど、この場限り、忘れてくれ。お前の中から、俺の想いを消し去ってくれ」  繰り返し告げたあの晩。その熱も、想いも、言葉も。言われたとおり、実は忘れたのだ。  そうして、自分が片思いだったという思い出だけを胸に生きて、哲朗の望んだとおり、別の人間を選んだ。  それが本当に幸せな恋愛だったなら、哲朗ももう何も言わずに、ただ、昔の友人の一人として接するつもりだった。  それが、覆ったのは。  あの露店で再会した日、実が恋する相手に満たされていないと感じたから。  それでも問うことすら出来ず、思いがけず行動の方が先になってしまった。  そこからはもう、相手のことなどどうでも良くなるくらいに、このまま実と先へ進むことしか考えられなくなった。  いつか、もう一度誘ってみよう。  隣の席で、知らない土地を見に行こう。  俺たちの木が、大きくなって実を結ぶのを楽しみに待とう。  あの広大な土地で、小さな二人だけの家に住もう。  きっと、いつの日か。          Fin.

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