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第1話
あまいにおいに咬みつきたい
高校に入学して三月程過ぎたある日、姫野万矢は突然視界に入ってきたモノに目を奪われた。
一日の授業が終わり、日直の仕事を終え、部活動が行われる武道場へ向かおうと廊下の先の階段手前にある曲がり角を一歩踏み出した時、茶色の物体とぶつかった。
男が両手で抱えていた大きな段ボールと接触したのだ。男の後ろは階段。咄嗟に手を伸ばし腕を掴んで引き寄せた。段ボールは落ち、中身がすこし散らばったが男の転落は阻止出来たようだ。思わず引き寄せた拍子に抱き締めてしまった男は恐かったのか小刻みに震えていていた。
「ごめん、助かった。ありがと」
「いや、こっちも確認不足だ。すまん」
万矢の目線のすぐ下に、ひよこみたいな丸い頭。ふわふわした触り心地の良さそうな黒に近い栗色の髪。腕の中には、すこし力を入れて掴んだら折れそうなくらい細いが、鍛えているのか引き締まった弾力のある薄い筋肉に包まれた身体が収まっている。そして、男から甘く漂う香りに万矢の体は抱き締めた体を離せずにいた。
「そうちゃーん、大丈夫ー?」
階段下から同じく段ボールを抱えた大きな瞳が印象的な可愛らしい小柄な男が登ってくるのを確認し、名残惜しげに腕の中の甘い体を手放した。
「雅貴、大丈夫だよ!落ちそうになったけど助けてもらった」
「えー気を付けな?でもよかったねー」
万矢は近くに散らばっていた段ボールに入っていたノートを手に取ると、あの甘い香りの正体がわかった。表紙に「調理部・お菓子レシピノート」「蓮見蒼汰」と表記してある。段ボールに入れようと中身を見ると、小麦粉や砂糖がぎっしり詰まっていた。この重そうな段ボールをこの細い体と腕で抱えてたのかと「そうちゃん」と呼ばれている男を見ていると、また階段下から、今度は万矢と同じぐらい長身で、すっきりとしたモデル顔の男が優しい笑みを浮かべ、「黄金の卵ちゃん」と書かれた小さめ段ボールを抱えて登ってきた。
「蓮見くん、穂積くん、なにかあったのか?」
「いえ、大丈夫です、上野部長!あの……家で売店に置いてもらう用の試作品焼いてきたんですけど、あとで見てもらっていいですか?」
蒼汰は無防備に瞳をキラキラさせて上野を慕ってますと全身で表現するように弾みながら走って上野に駆け寄った。
「あぁ、わかった。たのしみだ。部室で頂こうかな。それからそっちの荷物、俺が持つから蓮見くんはこっちを持ちなさい」
「こう見えて結構力持ちなんでオレが持ち……」
「はすみ、わかったね?」
すこししゅんとしながらも、呼び捨てにされて嬉しそうな表情に蒼汰は上野に好意を持っていることが万矢にはわかってしまった。
蒼汰は上野から荷物を受け取り部室へ足を向けようとして、万矢がこちらを見ているのに気が付き、思い出したような顔をして、肩にかけている鞄から小さな袋を渡してきた。
「ありがとな。オレ、部活行くから。これ、お礼。よかったら食べて」
鼻先が付くくらいに近くに寄ってきた蒼汰に、すこし仰け反りながら万矢が小さな袋を受けとると、人懐っこい嬉しそうな笑顔を見せ蒼汰は部室へ足を向けた。
「うちの蓮見くんが世話になったようだな。ありがとう」
すれ違い様、上野から氷のような眼で射ぬかれ、そのまま会釈され、万矢の返事は待たずにその場から離れていく。待ってくれよと雅貴も後に続き、万矢にサンキューなと一言言い、ふたりの後ろ姿を追って行った。
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