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第5話
「ジュエ君、大丈夫か?」
「おいこらジュエ、てめぇしっかりしろ!」
ああ、ほら。怒った団長とでっぷり紳士が近づいてくる。
「……たいよう、が」
ぼくが絶対に手に入れられないもの。
「ジュエ!」
聞きなれた声が聞こえた気がした。目を開くのも大儀になっていたぼくの目が、一気に網膜を焼かれるように麻痺を起こし、果てしない光の残像が映りこむ。本物の太陽の光は、容赦なくぼくの目を焼きながら相手の顔すら覆い隠していた。
「旦那様、遅うございますよ。私めのせいで何度ジュエ君に失神したことか。そんなにショックが大きい顔なのでしょうか」
落ち込んだようにそう呟いたのはでっぷり紳士だった。ソレを聞いて、旦那様と呼ばれた彼が笑う気配がした。
「まあ、気にするな。それよりジュエ、私からの手紙は読んでくれなかったようだね? ……受け取った人へ、と言ったはずなんだが」
「なんとも分かりにくいことですな」
ぼそりと呟いたでっぷり紳士を、彼がいつになく鋭い視線で見やる。それもすぐに霧散して、彼はぼくの大好きなあの笑顔を浮かべていた。
「ロシュアを怒らせるつもりで書いた手紙を君が届けなかったのは幸いだったな。お蔭で、私は君を呼ぶ口実が得ることが出来たのだから。しかし、それも今日で終わりだ。……ロシュア」
「はいはい。あなたが突然走り出したから折角のロシュアの花がぼろぼろだわ。腐れ縁だから今まで黙っておいてあげたけど、いい加減ケリつけて頂戴。私のかわいいジュエを苛めたらどうなるか分かっているわね?」
淡い色の花束がロシュアから彼へと手渡される。呆れたように彼へとそう告げた彼女に、彼は微苦笑をして肩を竦めてからそれを受け取った。
目の前で見せつけられるのだろうか。頭が痛くて、ロシュアや彼の言葉がうまく耳に入ってこない。
違う。自分の心が、拒絶しているのだ。
「あの……」
せめて、さっきの小さな花を。彼が抱えている大きな大きな想いになど決して敵わない。けれど、最後にせめて。卑怯なぼくでも、この気持ちを伝えることは許されのだろうか。
「ジュエ?」
なのに、指先が酷く重くて。
届かない。
彼の声と、ロシュアの声と。
団長の声が――ゆっくりと、遠ざかっていった。
***
頭が痛い。ズキズキとするのを無理やりまぶたをこじ開けると、最初誰が傍にいるのか分からなかった。
「気がついたか? 流行り風邪だと医者が言っていた。しばらくは寝台から出るのも禁止だそうだ」
流行り風邪、とぼくの唇が無意識に繰り返す。確かにこの街ではそんな風邪が流行しているのは聞いていた気がする。貴族たちは病気にかからないように特殊な薬を飲むというけれど、ぼく達庶民にとってはその薬一つがぼく達に与えられる3か月分のお金に匹敵していた。
……それよりも、どうして彼がここにいるのだろう。
「少なくともその風邪が抜けるまで一週間は安静にしろと言っていた。転んだ時に足も挫いているだろう?」
いつも周りに誰かいる時とは違う、ほんの少しだけぶっきらぼうな口調。どうして、ぼくが足をくじいたことまで知っているのだろう。仲間たちの誰一人、気づかなかったのに。
「あの、どうしてオウル侯爵が」
ここに、と聞こうとした途端にムッとしたように彼が眉根を寄せる。何か彼が気に食わないことを言ってしまったのかと焦っていると、彼はわざとらしくがっかりと項垂れてみせた。
「手紙を読んでもらえないばかりか、こんなにストレートに勝負しているのに気持ちにも気づいてもらえないのか、私は。ジュエ、私が自分に興味のない人間の面倒など自分の手でするように見えるか?」
僅かな距離しかない。彼の表情が驚くほどよく見える。
彼の口もとには、いつもと同じ笑顔ではなく策が成功したとでも言わんばかりの笑みが浮かんでいる。それに、彼はぼくのことをいつも君づけで呼んでいたから少し驚きながらも、突然縮まったそのもう一つの距離感に心のどこかが喜んでしまっていた。浮かびはじめた期待をひたすら遠ざけようとしたり、風邪による頭痛で頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。
――あの花たちは?
――彼の手書きのサインが流麗に書かれた封筒の宛名は?
彼が存在するすべてのものを誰にも渡したくない卑怯なぼくが、彼の隣に在れるわけがないのに。
「手の中にあるその花は誰に渡そうとしていたんだ、ジュエ?」
綺麗な顔に浮かぶ不敵な笑み。柔らかな声はしかし、ぼくを逃さないようにじわじわと首を締め付けてくる。
「……それは」
ちりり、と指が『タイヨウ』に触れた感触を思い出して痛む。今はそれよりも顔が、全身が熱くて仕方ないんだ。
「一緒に『外』へ行こう、ジュエ。私のところに来てほしい。この街で、私と一緒に暮らしてくれないか」
彼の名前を呼んだのと同時に包まれた暖かな感触に、あの時触れたほんものの太陽の光をぼんやりと思い出して――。
ぼくはうっかりと、笑ってしまったのだった。
Fin.
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