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第4話

「ようやく気がついたのね、ジュエ」  おっとりとした声。紅茶色の長い巻き髪がゆったりと動き、彼女がぼくを覗き込んでいるのが見える。感触で、自分がいつも使っている寝台なのだと気づいた。ロシュアは小さな丸いすに腰かけて、ぼくの寝台に半身を預けぼくの様子を見ているようだった。すぐに意識がはっきりとしたぼくが寝台から降りようとするのを、彼女は優しい手つきで押し留めた。 「ジュエ。あなたが謝った理由が分かったわ」  彼女の声音はいつも優しい。けれど、視線に入った彼女の綺麗な顔を見ながら、すべてが繋がってしまったのだと思った。 「あなたが隠していた手紙をね、一つ一つ読んだの。それから団長たちともお話してきたわ。あんなに大事な手紙のこと、どうして私に黙っていたの」  彼女の声は、ぼくは知らないけれど幼子をあやす若い母親の声に似ていると思った。帰りの観客たちを見送る際にそういった光景によく遭遇して、ぼくはきっと他の誰よりもそれを見ていたから、そう思ったのかもしれない。いつも団長やみんなは言葉だけで殴り飛ばすように怒るから、ぼくはロシュアの優しい言葉の方が辛かった。  優しい彼女を傷つけた。  そして、彼のことも。  なんだかどこもだるくて、ぼくはぐらりと傾ぐ身体を何とか保ちながら押し留める彼女の指を振り切って床に這うと、出来る限り額を床へとこすりつけた。謝らなければならないのに、言葉がもう出なかった。彼の信頼を、裏切ってしまった。そのまま動けないでいるぼくの耳に、どこか諦めが含まれた小さな嘆息が届く。 「昨日倒れたって聞いたけど、少しは歩ける? 団長がまた呼んでいるわ。あなたを迎えに来る方がいるのでしょう?」  無意識に逃げ出そうとした身体を叱り付ける。 「ロシュア」  名前を呼んでも返事はない。ただ一度だけちらり、と視線を寄越して、彼女は天幕の裾を割り開いて去っていった。   彼女の姿がすっかり見えなくなってからもぼくはずっと丸くなっていた。それから身体を起こして、彼女の後を追いかける。天幕と天幕の間は厚い布で覆われているものの本物の地面の上を通らなければならない。その細い廊下のような道端で、小さな小さな花を見つける。  あの花――彼が毎日、ロシュアへ送るあの花と同じ色の花。  ごめんね、と断ってから一輪摘み取る。今だったら、彼も団長のいる天幕で輪の中心となっているはずだ。ゴミだと笑われてしまうだろう。手紙のことをもう耳にしていて、激怒しているかもしれない。もしかしたら、ぼくはもういなかったことになっているだろうか。  花を大事に持ちながら、天幕へと急ぐ。急げば早く時間が過ぎてしまうと分かっていても、気持ちが焦る。そんなぼくの足は、天幕に着く直前で急激に動かなくなった。  花束。ロシュアの花が包装紙にきちんと収まっている。穏やかに笑いながらぼくの前を、ロシュアと共に歩く背の高い後ろ姿。唯一、天幕群から外に出られる分岐路にぼくは立っていた。逃げることが卑怯だと、分かっている。けれど、ほんの少し時間が欲しかった。  追いかける足音がする。きっとあの紳士だ。ごめんなさい、としか口から出てこない。  ただ、あなたに話しかけることができただけで、幸せだったのに。 ***  おかしい、と自分で気づいたのは酷い頭痛が起きてごろりと無様に転がってからだった。もう足は動かなくなっていた。ただひどく緊張しているのか、身体が震え続けている。それを他人ごとのようにぼくは思いながら、自分の指先を見ていた。  いや、指先じゃない。  その先にあるもの。  それは、ホンモノの太陽の光だ。ほんの少し動かせば掴めそうなのに、ほんわりと優しいそれにぼくの指は届かない。

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