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第3話

「あら、ジュエじゃない。こんなところで何しているの……って、それ花じゃないの。まさか、あの方から?」 「……これは、その」  花のひとに特別与えられている天幕にたどり着くには、他の姐さんたちがまとめて与えられているここを通らなければいけない。勿論、男であるぼくがやすやすと通っていいわけではなかったからこっそりと入り込んだつもりが、あっさりと目聡い一人に見つけられてしまった。 「しかも見てよこれ、ロシュアと同じ名前の花よ?! あんた、もしかしてロシュアにそれを渡しにいくつもり?」  ぼくは何も言えず、ただじっと唇をかみ締める。彼女の声を聞いて、くつろいでいた他の姐さんたちまでがこちらへと近づいてくると遠慮のない嫉妬混じりの視線をぼくの手元にぶつけてくる。 「それもっとこっちにも見せなさいよ! 花だけじゃないんでしょ、ねぇ?!」  後ろからぐいと引っ張られて、貧相なぼくの身体は簡単に屈してしまう。いや、いつもだったらいくらなんでも簡単に負けたりなんかしなかった。頭がふらふらするんだ。朝からずっと具合が悪くて。  心が、ずっとずっと重い。胸の奥が痛いんだ。じくりと膿んでいた傷がまた開いてしまったように。紙束が床に散乱する音がする。ぼくの視線が、ぼんやりそれを追う。 「見てよこの子! こんなに手紙をしまいこんでいたんだわ!」 「酷い!!」  一斉に姐さんたちがぼくを詰り始める。ごめんね、でもその中に、あなたたち宛の手紙は一つもないんだ。あるのは、花のひとのものだけ。でもぼくは、あなたたちがちょっとだけ羨ましい。 「でもジュエだって明日、あのでっぷり腹の貴族に売り払われるって私、さっき団長から聞いたわ。みんなの手紙を隠していた罰があたったんだわ! ちょっとジュエ、あんた泣いて……」  ああ、本当に罰なのかもしれない。 「あなた達、何を騒いでいるの? ジュエ、団長が散々あなたを探していたわよ。早く行きなさい」  おっとりとした声がぼくの耳に突き刺さった。 「ロシュア、聞いてよ!」  後ろからの絶叫に近い怒声。  ぼくの足がゆっくりと動く。ふらふらとロシュアに近づいていく。 「ロシュア、本当にごめんなさい。……おめでとう」  彼女の紅茶色の長い巻き髪。おっとりした口調に似合いの、優しそうな柔和そうな顔がぼくを驚いたように見ていて本当に申し訳なくなるけれど。 「逃げるの、ジュエ?! 待ちなさい!!」  追いかけようとする気配よりも早く。ぼくはただただ、すべてから逃げ出したかったんだ。 ***  走ろうとして失敗したのをあっけなく捕えられて、ぼくは団長の前で項垂れていた。ぼくの前にいるのは、あのでっぷりとした腹の紳士。優しい笑い方をする男だとは思うが、ただそれだけだ。 「申し訳ありませんな、こちらが無理をさせてしまったのか具合が悪そうだ」 「気になさることはありませんよ。それよりこちらこそ申し訳ないほどだ。こんなできの悪いのではご迷惑をおかけするのでは」  もう既にぼくを売ることを決めてしまっているらしい団長は、言葉とは裏腹に手をこすり合わせながら嬉しそうだ。この紳士も毎日舞台を見に来ている一人だったーーそう、オウル侯爵の隣にいつもいる。 「できが悪いだなんて、とんでもない。彼はとても働き者で、評判も良いと聞いています。さて、今日は具合が悪そうだから話はこのあたりで終わらせましょうか」  紳士がほほ笑むと、心得たように団長も笑い返した。 「後はどうぞご自由に」  団長が消えてしまうと、仮眠室として使われることの多いこの部屋で、ぼくと紳士が取り残されてしまった。逃げようと思うのに、もう足は動かない。 「さてさて、そんなに怯えなくてもいいですよ。明日から君は私たちと一緒に暮らすのだからね」  ゆっくりと大きな影が近づいてくる。彼らにとって、こんなこときっと他愛のない遊びなんだ。膝が笑い出す。ぺたりと床に尻餅をついたぼくの視界いっぱいに、紳士の笑顔が広がっている。  大丈夫。ぼくは、道化師としてしか生きられないのだから。いつも観客にして見せるように、演技をしていればきっとこれからも生きていけるだろう。  酷い頭痛が襲う。もう、這い出す体力もない。覆い被さる影にぼくは小さく笑えたと思ってから、ぼくは耐え切れずまぶたを閉じた。

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