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第2話

 浮き足立つような胸の高鳴りを必死に隠して、残業もそこそこにおれたちは居酒屋に繰り出した。  互いの乗る電車路線も同じで最寄り駅が二駅ほどしか離れていないこともあり、この日はおれの最寄り駅で飲むことになった。駅前が発展しているのと、帰りはタクシーでも帰れる距離だからだ。  二人きりというのは初めてだったけど、いつもの調子で話していれば気まずさは覚えない。  綿貫くんは世渡りがうまい。だから上司であるおれと一緒になっても物怖じした様子もなく、会社での失敗や無茶ぶりを面白おかしく話してくれたりする。  おれはそれを笑って聞きながら、あの子にはこうした方がいい、あいつはアレが好きだから、なんていうちょっとした情報を教えてあげたりした。  プレイベートのことはあまり話さない間柄だけど、こういった席では少々変わる。  人と人とのつながりが一番大事だと社会人の先輩としてつくづく思うので、腹を割って話すことができる機会はとても重要なのだ。  お酒が進んだのもあって、ふと思い出して口を開いた。 「そういえば、綿貫くんいつだか気になる子いるって言ってなかったっけ?」 「ああ……」  言いながら、どうして今まで忘れていたんだろうと思った。  いつだかの飲み会のあと、綿貫くんは言っていたのだ。  気になっている人がいると。  こんな格好いい子でも片思いするんだなぁ、と思って、胸がちくりと痛む。誤魔化すように二杯目のビールを口に運んで、あの日の飲み会後のことを思い出した。 「あのおばあちゃんの力、きいてる?」 「いや、それが……」  雑踏ビルの片隅で、怪しげな占い師だという高齢女性に、綿貫くんは助言を頼んだ。  酒の悪乗りもあって、そそのかしたのは自分だ。  すると、ニヤリと綿貫くんが笑う。 「結構きいたんです」   その似合わないどこか暗い笑みに、「どういうこと?」と聞き返す。  彼女は綿貫くんの手を取って、たしか「あたしが力を貸してあげる」と言っていたのだ。  思い出しながら、どこかうれしそうにしている綿貫くんの表情を見て、あの日千円を渡してけしかけ、彼の恋の手助けをしてしまったことを少しだけ後悔した。  ばかだ、おれ。  あんなの、ただのでまかせなはずだし、綿貫くんの恋路を邪魔する権利もおれにはないのに。 「二葉さん、実は俺……男性がすきなんです」 「へぇー、いいんじゃないかな。……えっ?!」  ビールを煽り、枝豆を口に運んでもぐもぐと頬を揺らしたあと、おれは叫んだ。  だって、仕方ないだろう。  まさかイケメンがそんな爆弾を落とすだなんて、誰も予想していない。 「俺、ゲイなんです。だから、叶いそうにもない恋だって思ってたんですけど」 「げげげげげ、ゲイ?!」  一気に酔いが覚めた感覚がした。大声を上げるわけもいかず、思わず周りを見渡しながら、声を潜めて叫ぶ。  そうして最近ネットやアプリで検索していたものを思い出して顔が赤くなった。  この格好いい部下が、あのようなことをしているのだろうか。  想像して、唾を飲み込む。 「はい。元々女性は駄目で。……それで、いいなって思ってる人がいるんですけど」 「女性は駄目……」  反芻しながら俯いて、からっぽの皿を眺める。  なんだろう、男性が好きだと聞いても綿貫くんならちっとも不安にもならず嫌悪感はもちろんのこと、違和感もない。それは彼がとてもやさしくて気の利く子で、頑張り屋だと知っているからだろう。  若いっていいな、とおれは思った。  二十代前半だろう彼は、勢いもあるし未来を見据える力も時間もある。  きっと彼は迷いなどないのだ。おれのように、ぐずぐずと時間だけを浪費して仕事ばかりにかまけて一人でいることに慣れるなんて、ないだろう。  なによりも彼は愛される人だ。誰もこんなに良い男を放っておくことなんてできるはずもない。 「二葉さん、俺があなたに打ち明けた意味、わかります?」 「……え?」 「俺、二葉さんだから言ったんですよ」  顔を上げれば、ひどく穏やかに微笑む綿貫くんがおれを見ていた。  優しいまなざしは、仕事で見る彼はとはちがってなんだか色っぽい。そうして、彼はテーブルの上に置いたおれの手の甲にそっと触れてくる。 「…………」  おれは、馬鹿じゃない。  周りの空気だって読める方だし、上司にも部下にも頼りにされている。  だから、触れてくる綿貫くんの指に時が止まったように感じた。  す、となでられた手の甲が熱くて、ぽかんと口を開けて綿貫くんを見つめる。 「気になる人と近づきたいって、あの占い師のおばあちゃんに頼んだんです。そうしたら、近頃はなにかと接する機会が多くなって……」 「……え」 「細くてしっかりした腰回りとかエロいなって思ったし、綺麗な太ももも見ることができました。お尻を触ったのは事故でしたけど、正直ラッキーでした。極めつけは今日のキスです」 「……なななな、なにを」 「二葉さん、俺のこと嫌いですか?」 「……綿貫、くん」  嫌いなわけ、ないじゃないか。  ぐ、と力を込められた手の甲が、焼けるように、あつかった。  それからどうやって帰宅したのか覚えていない。  ただ、綿貫くんの焦がすようなまなざしに怖じ気づいて逃げようとしたおれに、彼はにっこりと笑いながら「家に行ってもいいですか?」と囁いてきたことは覚えている。  だから、一人暮らしの慣れた自宅玄関の壁に押さえつけられて口づけをされているなんて、きっと夢を見ているにちがいない。 「ぅん……っは、んんっ」 「二葉さん、かわいい」  ちゅ、ちゅ、とリップ音がして壁に縫い付けるようにして押さえ込まれた手に綿貫くんの指が絡まった。ぎゅう、と握られながら、吐息をも封じ込めるような激しいキスにただただ目を閉じて、つながれた手を握りしめる。  男が好きで、彼はゲイで、そして……。  なんだった……? 「かわいい」 「ま、待って」  ハアハアと肩で息をしながら、綿貫くんを押しのけておれは靴を脱ぎキッチンへと逃げ込んだ。水切りカゴにひっくり返したままのグラスを取り、ミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出して注ぐ。  ごくごくとそれを飲み干して、暑いな、とエアコンをいれようかと思ったときだ。 「二葉さん」 「うわっ」  おれを追うようにしてきた綿貫くんに、後ろから腰を抱かれた。そのまま肩に顎を乗せられ、その甘くせつない熱さに身体が強張る。  綿貫くんの纏う香水なのか、ほんのりとした甘くて良い香りが鼻腔をくすぐる。  そのままシャツの下に潜り込んできた手のひらが、明確に情事をほのめかす動きをして頬が熱くなった。 「ま、まって綿貫くん!」 「……ん?」  ん? じゃない!  なんでそんな甘い表情をして……っ!  向き直ったおれを綿貫くんは不思議そうに首を傾げて見てくるものだから、もうとにかくおれはキャパオーバーで必死にまくしたてた。 「お、おれ、今までは女の子と付き合ってたんだ」 「はい。そんな気はしていました」 「それで、綿貫くんのことは格好いいと思うし好きだけど、その、っ……男とは初めてだから、ちょっとそれは怖いというか」 「……初めて?」 「う、うん。もうおれ、キスだけでいっぱいいっぱいで……って」  大人しくなった綿貫くんを不思議に思い僅かに顔を上げれば、彼は先程とは打って変わったような真剣な瞳で俺を見下ろして、そうして次には緩く笑ったのだ。 「俺に全部任せてください」 「うん……ん? ええっ!」  それから怒濤のような展開に途中で思考が停止したような気さえしている。  気がつけばトイレに行かされ、シャワーを浴びて、素っ裸でベッドに寝転がっている。  ここまでの指示はなぜか綿貫くんがして、おれは逆らうこともできずに素直に従った。会社では上司であるおれに使われているはずなのに、綿貫くんのその有無を言わせぬ態度と落ち着きは天性のものがあるんではないかと感じたくらいだ。  封の切られていないローションが役に立つときがくるなんて、あの時のおれは考えもしなかっただろう。  大きく開かれた両足の間に綿貫くんの肩が見える。  尻の下に敷かれた枕の上にはバスタオルが敷かれ、こぼれ落ちるローションを受け止めているようだった。 「ぅ、あ……っ」  ぐちゅ、と抉られるその感覚に腰が震えて、暗闇のなかで短く息をする。  股間が燃えるように熱い。ついでにその先の窄まりがじんじんと火傷したように響いている。  強烈な違和感と痛みに怯える度、綿貫くんの細い指がおれの中心をやさしく撫でる。  ぬちゅぬちゅと擦られるその快感に身動ぎして目を閉じれば、後孔内の指がぐりぐりと回された。内部を広げるように揺すられほぐされ、くちびるを噛みしめて声だけは漏らさぬようにしていたのに、いつの間にかおれは聞いたこともない声で喘いでいて、驚いた。 「三本目……」 「ひぃ……っ、やめて……やめてもう……っ」  その太さに両足を閉じようとしても、綿貫くんが身を寄せてきてできなかった。  そのまま顔が近づいてきて、綿貫くんのくちびるが胸の突起に触れる。 「ここも……いっぱい感じるように」  ちろ、と舌を這わされる。  くすぐったいような感覚がしたけど、指をいれたままの後孔のほうが揺すられてすぐに意識がそちらに回る。  それでも綿貫くんはおれの乳首を舐めたり唇で食んだりとしながら、まるで美味しいものでもしゃぶるかのように執拗にそこを愛撫していた。  お尻の違和感が乳首に気を取られ始めた頃、綿貫くんが身を起こした。  ちゅく、と後孔から指が抜けてそこがひくつくのがわかる。 「じっとして……」 「え、あっ……あああっ」  膝を持たれる。  少しの間を置いて、後孔に熱い感触がした。  ぐぐ、と入り込んでくるそれに身体が強張る。閉じかけていたそこが再度広げられていく。  その熱は、おれの頭上で少し眉を寄せて熱っぽい眼差しをする綿貫くんのものだとすぐにわかった。  大きくてあつくて、くるしい。 「ぁぁ……はいっ……てく、る」 「す、ご……せまい」  吐息混じりにそんなことを言われて、胸がぎゅうとなった。  綿貫くんの汗ばんだ肌がおれにあたる。膝を持つてのひらが大きくて、力強くて、逃げられない。  痛みと苦しさは遠くにあった。  だがそれよりも奥底まで満たされるような、そんな甘い感覚におれは為す術もなく喘いでいた。  綿貫くんの動きが止まり、吐息をついた彼がおれのくちびるを食む。  舌をいれられて吸われて、思わずその首に両腕をまわして縋った。  ぐ、と腰を動かされる。  奥深く入ったまま、身体ごとゆっくり揺すられて押し殺した声が漏れでていく。 「好きです、二葉さん」 「ぁ、ぁぁ、ん、んぅ……っ」  おれよりも年下で格好良くて、部下である彼にそんなことを言われて、ああそうか、これが好きというものなのか、と思う。  たくましい腕に抱かれると安心して、裸でもつれあうこの行為は、ネットやアプリで見たときの印象とはちがって、やさしくてあたたかくて、しあわせだった。  たぶんみんな、そう思って身体をつなげているんだ、と唐突に理解した。  男同士であることなんてとても小さなことだと思った。  おれはもう若くなくて、背負うものが増えていけばもっともっと臆病になっていく。  それでも彼にこうして見下ろされて揺さぶられるのなら、なんだかそれだけで悪くない気がしたのだ。 「……おれも、すき」  綿貫くんは優しかった。  最後まで初めてのおれを気遣ってくれて、ゆっくりとゆすり、なだらかな絶頂をふたりで感じて、笑い合ってくちづけを交わしたのだ。  なんていう出来事が昨夜あったわけだけど、目覚めたときの衝撃といったらない。  がば、と身を起こして尻の違和感と節々の筋肉痛のようなものに目を白黒させた挙げ句、ベッドサイドに置かれている時計を見て血の気が引いていった。  隣を見ればさらさらの茶髪が目に入って、綿貫くんが眠っていることに心臓が飛び跳ねる。  綺麗な寝顔だった。まだ幼さの残る、無邪気な子どもみたいで、かわいい。 「って、綿貫くん、起きて!」  下着だけは穿いていたのでとりあえず立ち上がって尻の違和感も無視してチェストを開ける。 「……二葉さん?」 「きみ、出勤時間早いでしょう? おれが着なくなったシャツがあるから、これ着て!」  会社用ではないダボっとしたTシャツを見つけて、綿貫くんの寝るベッド上に放り投げる。  そうして自分も服を着込みながら、寝ぼけ眼の部下に目もくれず洗面所へ向かう。  歯磨きと洗顔を終えれば、寝癖もそのままな綿貫くんがやってきたので、常備されている使い捨ての歯ブラシを渡した。  起き抜けの綿貫くんは、ぼさぼさな頭でも目が半分死んでいても、イケメンだった。  不思議だ。  この子が、おれを好きだとそう言ったのか。  やはり夢だったのでは? とコーヒーを準備しながらテレビをつけていると、綿貫くんが戻ってきた。  すっかりいつもの顔に戻り、身なりも整えている。  渡したTシャツも着こなし、グレーのパンツとよく合っていた。 「じゃあ俺、出ますね」 「うん、気をつけて」  出勤がおれより早い綿貫くんを見送りに玄関前までついていき、酒の勢いでやらかした翌日のようだ、と思って口を噤む。  おれたちは男同士で、上司と部下の関係だ。  一晩だけでも愛されたことに感謝しなければいけないのかも、と思っていると靴を履き終えた綿貫くんはおれを見て蕩けるように笑ったのだ。 「また、会社で」  愛しげに後頭部を撫でられたかと思うと、彼は自然な動作でちゅ、とおれのくちびるを食んだ。 「……うん」  頬に熱がたまるのを自覚しながら、かろうじて返事をして微笑む。  打って変わって心の靄が晴れていくのがわかり自分でも恥ずかしくなった。  多くの言葉などいらないし、望んでもいない。だって、綿貫くんを見れば、痛いほどわかったから。  たぶん今日から今までにない新しい生活が始まるのだと、痺れるような期待が胸を覆った。

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