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「こちらが離れの鍵です」  ひっつめ髪の女性事務員が新吾(しんご)の手のひらに古い鍵を二つ載せた。 「では、私はこれで」 「え……」 「大家さんには話してありますので」  ほかに何か? と言いたげに黒縁眼鏡を指で押し上げ、不動産屋の事務員は新吾の返事を待たずに来た道を戻っていった。 (そ、素っ気ない……)  私鉄の各駅停車駅から徒歩十五分。  大通り沿いには低層の集合住宅もいくつか見えるが、横道に入ると広さも年代もまばらな一軒家が広い空を背にして行儀よく並んでいる。  隣の家まで十五分ほど歩く故郷の村とは比べものにならない家の数。それでも、都会というほど都会ではなく、のどかな空気が流れる。  縦格子の引き戸が()まった腕木門(うでぎもん)を見上げ、東京と言ってもこのくらいの街ならば少しは息も出来そうだと安心した。  短い板塀にも木の門柱にもドアホンらしきものはなく、声をかけたほうがいいだろうかと迷いつつ、そっと格子戸を引いた。短い敷石の先に母屋の玄関がある。  新吾が借りたのはこの家の離れで、鍵を渡されたということは勝手に入っていいということだろうと考えて、大きくも小さくもない母屋の脇を通り抜けた。  裏手には庭があった。視界が開けた瞬間、新吾の足は止まった。  息をのんで見上げる。 「林檎の木……」  小さな庭いっぱいに、林檎が枝を広げている。桜より少し遅れて咲く花は、まだ蕾のものがほとんどで、わずかに一輪白い花弁が開いていた。  この家を訪れるのは初めてなのに、懐かしさが胸に込み上げてきた。  大学への進学が決まった時、ネットのやり取りだけで部屋を決めた。  六畳一間にトイレとキッチン。風呂はなく、かわりに、新吾が気にならなければ母屋の風呂を借りることができると聞いた。近隣の家賃相場と比較すると破格の良心価格で、祖父や伯父にあまり負担をかけたくなかった新吾は、迷うことなくこの家を選んだ。  ここにして本当によかった。  林檎の木を見上げて思った。

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