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第1話
ハイヤーが車を着けたのは、人里離れた山奥の屋敷だった。
最後の民家が見えなくなって、もうどれだけ走ったのか分からない程の山道を登った先に、古き良き時代の日本を象徴するような木造建築の屋敷がポツンと建っていた。
「お客さん、藤堂さんの屋敷に着きましたよ」
運転手に声をかけられて、屋敷の庭に見とれていた俺はハッとする。
「あ、すみません。ありがとうございます」
庭には青紫の紫陽花が咲き乱れていて、紫の藤棚まで有る。白いあの花はなんと言うのか、とにかく青紫と白の花で統一されたとても美しい庭園で、フラワーパークでもこんなに淡く悲しい色で統一された庭は珍しいだろう。
ハイヤーの後部座席で財布を出すと、もたもたしている俺を横目に運転手はさっさとトランクを開けに行ってしまった。
それを追いかけて、俺が自分でやるからと声をかけると、運転手は大げさにため息を吐く。
「仕事だからね」
「いやぁ……あ、お金」
財布から出した札を渡そうとした俺の手に、すっと影が落ちて細くしなやかな男の手が重なった。
「後ほど振り込みます」
俺の斜め後ろ、高い位置からした穏やかな声に降り仰げば、水色の空にビシッとスーツの黒服。斜め下から見た角度ですら、見とれるくらい格好いい男が立っていた。
「ええぇぇぇぇ?」
だけど黒服。なんで黒服。こんなド田舎でスーツとか、空はどこまでも青く、緑の山しか無いこんな所でモンペじゃなくて、なんで黒服。
「荷物は私が運びます。初めまして、朝霞様。執事の片桐と申します。お待ちしておりました」
アホみたいに見つめるばかりの俺に、執事と名乗った片桐さんはゆったりとした微笑みを向けて来る。しかも絵に描いたような美形面だ。
だけど執事ってなんだ?アニメなら知ってるけど、そんな職業現代日本に有るのか?
更に乱れ一つ無い流れるような美しい所作で俺に向かって一礼をする。その振る舞いが完璧過ぎてこんな山奥で執事なんかやってるよりテレビにでも出てた方がよっぽど儲かりそう。この人、職業選択を間違えている。
「もう皆様お揃いで朝霞様のご到着をお待ちしております」
「え。あ、はぁ……」
「どんな方かとご期待されているようですので、こんなに可愛い弟さんだと知れば皆様お喜びになられますよ」
そう言って片桐さんは漆黒の瞳を細めて、それはそれはうっとりするような笑顔を浮かべたけれど、俺は首を傾げた。
「弟?」
誰が誰の弟なんだろう。
「どうぞこちらへ。準備は出来ておりますのでご安心下さい」
「え、ちょっと待って下さい。何の準備ですか?俺、父が貸し別荘で待ってるって聞いて来たんですけど」
今度は執事の片桐さんが不思議そうに首を捻った。
「朝霞様のお父様はこちらにはいらっしゃいませんし、ここは藤堂 二郎様のお屋敷で、貸し別荘では有りませんが」
話が噛み合わない。
俺たちは互いに顔を見合わせ、それぞれ首を傾げる。
「失礼ですが、お母様は朝霞様になんとお伝えになったのでしょう」
「ずっとシングルマザーで育てて来たけど、実は父親が生きていて、三途の川の手前で一目会いたいと言っているから顔を見せて来いって」
俺は母とずっと二人で暮らして来て、父親は死んだと聞かされていた。その父が実は生きていて病気か何かで死に際に居るなら、最期に顔くらい見てやるかとやって来たのだけれど。
「全然違いますね。あなたのお父様は藤堂 一郎様。親族会社を経営する日本有数の大企業、藤堂グループの会長であられます。もちろんご健在で今だ現役。命の心配はありません」
「死なないの?」
「亡くなりません。それよりも食いつく所が違います。お父様が藤堂グループ会長なんですよ?」
「そうですか」
死なないなら来た意味が無い。しかもここに居ないなら本当来た意味が無い。帰ろうかな。
「藤堂グループと言えば旧財閥時代からの生粋の金持ちですが、把握出来ないようですね。仕方ありません、庶民では想像も難しいですから。そして今回起こし頂いたのは、一郎様の弟、二郎様の後継者探しです。二郎様は独身でらっしゃいますのでお子様がおりません。そこで兄である一郎様が外に作った愛人の子供達……失礼、妾腹……失礼、不貞の子……失礼」
「いいですから話進めて下さい」
最初の圧倒される程の印象はどこへやら、なんだか嫌味な執事だな。
「はい。とにかく、本妻で有る奥様以外がお産みになった方々も甥や姪には違いないと、二郎様は後継者をその中から選出なさる事になさいました。今回お集まり頂いたのは、その後継者探しです」
「うーんと、平たく言うと子供のないおじさんの会社を継ぐ人探し?」
「はい」
「ああ、そりゃ無理ですよ。だって俺三流大学浪人生ですもん。社会経験無いし、何より三流大学浪人なんですよ、バカに決まってるでしょ」
「潔い正確な自己分析と存じます」
少しは否定しろとツッコミたい所だけど、事実なので仕方無い。
「じゃあそういう事で。さっきのタクシー帰っちゃったから、もう一回呼んでもらえませんか」
「こちらです。他のご兄弟の皆様すでにお集まりで、朝霞様の到着を待ってらっしゃいます。末の弟がこんなに可愛い方だと知ったら、きっとお喜びになりますよ」
人の話を全く聞かず、片桐さんは話を強引に最初に戻して、屋敷に向かってさっさと歩いて行ってしまう。
なんだか酷い執事だ。どうすればいいか分からない俺は、仕方無くその後を追いかけるしか無かった。
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