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第44話
その週末、俺は藤堂本家で催されたお披露目会に出席した。
広い日本家屋の襖を開けて解放された座敷は、まるで時代劇で見る日本の城のようだった。初めて見る親戚一同の前で一郎さんに息子だと紹介されれば、偉そうなおじさん達が次々と酒をつぎに来る。
本宅に男子はおらず、娘達はみんな嫁いでいるらしい。
片桐は一番末端の下座にいたけれど、ふと見ると小さな子供と遊んでいた。一緒に居るのは一郎さんの本妻で、孫を連れて和やかに話している。
先程紹介された彼女は背筋のしゃんと伸びた綺麗な人で、それよりも身に纏う迫力と貫禄が凄かった。一目見ただけで俺を小者と見抜いたようで、もう歯牙にも掛けない。
あの女性は一郎さんが亡くなった時、持ち株の半分を相続する。それを持って時期総帥にと、誰の背中を押すのか。大事な孫を連れて片桐に穏やかな笑顔を向ける人。
亡くなった先代の総帥といい、奥様といい、見る目の有る人はいる。そしてもう、片桐は利用されるだけの存在では無く、俺という駒が手中に有る。けれどそれはもっとずっと先の事で、今の俺たちには守らなければならない物が有る。
翌年の春、俺は予定通り三流大学に何とか滑り込んだ。
そして受験のために一度休止したバイトをまた始めた。
「朝霞ちゃん、見てこれ」
事務所で掃除をしている俺の所に高塚さんがニヤニヤしながらタブレットを持ってやって来た。
「またですか」
いい加減うんざりする。
「今朝の写真、カミさんが送ってくれたんだ」
高塚さんは子供が生まれたそうで、里帰り中の奥さんが写真を送って来る度に誰か捕まえては見せ歩いている。
最初は幸せそうで良かったけど、毎日だとさすがに。けれど渋々画面に視線を向けた俺は、ええっとそれを二度見してしまった。画面にはいつもの赤ちゃんと一緒に、初めて登場のお母さんらしき人が写っていて、しかもこれって……。
「艶子さん?」
艶子さんだ。田舎の屋敷でお留守をしているはずの艶子さん。
「え?高塚さんの奥さんって」
「ああ、そういや会ってるはずだよな。うちのは美人だろ。あそこなら親父が毎日行ってるし」
「うそだぁ」
そこにちょうど片桐の姿が見えて、高塚さんはすかさずタブレットを持って飛んで行く。
そりゃ片桐と高塚さんが幼馴染ってのは聞いてたさ。そして高塚さんの奥さんが藤堂の親戚筋だから、高塚さんはこの会社に天下ってるとも聞いたさ。
だからって、なんで……。
「あぁ、里帰り出産で胎児にもいいよう空気のいいあの土地に。高塚の実家に世話になるより屋敷の方が気楽でしょう」
写真を見て、俺が何に驚いているか察した片桐が飄々と言った。
「だって結構意地悪だったじゃん」
「そりゃあ、艶子さんは遠縁ですので私が藤堂二郎とは知らないと思います。高塚の友人としては会ってますが。けど良く見てる方でしたね」
考えてみれば邪魔もせず、熱が出た時はすぐに気付いてくれたっけ。
「完全に子供扱いされてたんだな、俺。むしろ赤ちゃん扱いだったのかな……」
「可愛いがられてたじゃないですか。大分お気に入りのようでしたよ」
どこを見ていたらそう思えるのだろう。
「じゃあ勝海さんも知らなかったんだ?」
「姉の旦那の幼馴染を事前に調べる程気が回る方なら、あんな場に来ずとも働き口はあるでしょう」
「勝海さんと杏奈さんが本当に結婚したら、艶子さんはどうする気だったんだろう」
「ははははは。邪魔になったら弟諸共切って捨てるだけでしょう」
片桐は珍しく、面白そうに白い歯を見せて笑っている。
そうか。艶子さんはあの屋敷で二郎さんを待ってると言っていたけど、正しくは片桐のお供について来るかも知れない高塚さんを待っていたのかも知れない。
マンションに帰宅してから、俺はもう一つ気になる事を聞いてみた。
「あの屋敷の花、さぁ」
片桐はソファーでくつろぎながら自然に俺に視線を向けて来る。
「なんで白とか青紫ばっかりだったの?お屋敷の庭ってもっと色とか種類とか、花の種類いっぱい咲かせる気がするんだけど」
「ああ、あの屋敷の庭は二十年以上前から同じ花をずっと育ててくれてるんですよ」
それは庭師をやってた高塚さんのお父さんに聞いた。
「自然界に青は少ないですから、かわりにそれに近い色で……水の色です」
ああ、そうか。
片桐の無くした名前は水雅。高塚さんのお父さんはずっと屋敷で見ててくれたんだ。自分の子供とそう年の変わらない数奇な運命の少年を。ここはお前の家だと、胸を張っていいんだと咲かせる花の色を主の名前から選んで。
優しさはそこにあった。愛情が無ければ育って行けない。
声も無く笑った片桐が来い来いと俺を手招き、呼ばれてソファーの隣に座ると緩く抱き込まれた。
頬が片桐のシャツの胸に当たる。
「後継者選びは全部終わりにしたくて始めた事だったんですけどね。本当にあなた方兄弟はどなたも立派に会社を潰して下さるでしょうから」
「うん。反論出来ないのが辛いよ」
終わりにして、きっとどこかで元の水雅に戻って一人でひっそりやり直す気だったのかも知れない。
「その中にあなたが居て、私が朝霞様を選んだ。これだけで未来まで変わった。この出会いは運命だと思いませんか」
「そうだねぇ。なんだかくるくる踊らされて俺は大変だったけど」
はははと、今度は片桐は声を出して笑う。最近の片桐は以前の皮肉な微笑が消えて、とてもいい笑顔をするようになった。心から多くの物がパラパラと剥がれ落ちているのだと思う。そういう笑い方は大好きだから、俺も釣られて顔が笑ってしまう。
「私の操り糸も切れたので、今度は自分で歩いて行こうと思います。着いて来てくれますか?」
それはとても素敵だ。
「手綱なら俺が握ってあげる」
そう言ってぎゅっと抱きついたら、片桐がまた楽しそうに笑った。
「マリオネットの糸が手綱では、今度は絶対切れないですね」
完
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