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第2話

 年月日のシールを確認したのだから間違いない、と胸を張ると、隣を歩くあきらが少々縮こまった。 「はあ……」 「東山に寄贈された個数と同じだけの古い楽器の内部に麻薬が隠されている。これはどこぞのブローカーと東山が何かしら関係していると見ていいはずだ」 「その……東山さんなら俺がダンスやってた頃に、ちょっと聞いたことあるけど」  ぼそりと呟かれたあきらのその言葉を、ゆずるが聞き逃すはずはなかった。 「なんで今まで黙ってた! 吐け今すぐ吐け!」 「あのう、ゆずさん、なんか田舎のおふくろ泣いてるぜってカツ丼出されそうな気迫で問い詰められても」 「ん、腹減ってんのか?」  腕を組んで仁王立ちするゆずるを見て、あきらがナンデモナイデスと肩を落とす。 「や、俺が知ってるのは、吹奏楽部OBの東山さんが今スタジオミュージシャンやってて、でも最近はあんま仕事がないらしいってくらいで……東山さんについて詳しいことは、しげティーが知ってるんじゃないかな」  あきらのその証言だけでも不可解な点を見つけたが、また出てきた重野だか重田だかの教師のニックネームらしき固有名詞に頭を捻る。 「しげティー?」 「ほら俺らの担任、吹奏楽部顧問の重川先生。ゆずってそういう略語に疎かったりする?」 「あっ、ああ、ああ、そうだな……そうなんだ」  大久保ゆずのクラス担任である可能性を考えずに聞き返したのはまずかったか、暗さに隠れて顔を顰める。 「今日は色々あったね。ま、明日は休みだし……今夜はゆっくり休んだらどうかな」 「え? いや明日は土曜日……ああ、そうだったな」  危ない。こんなところにも世代の格差という落とし穴があった。ゆずるの高校時代は土曜も学校だったが、ゆとり教育で休みの増えた彼らの世代は休日なのだ。習い事や自習のための休みらしいが、それが実際に効果を発揮しているとはいまいち思えない。  しかし頷いたのは休むという言葉に対してではなく、明日は休日だという事実についてだ。謎の解明に休みなんて挟んではいられない。この件が繋がっているかどうかはまだ曖昧だが、セントラルプロの屋上にいた二人には個人的な恨みもある。 「そうだ、ゆず」 「ん?」  毎度のごとく思考の海へ泳ぎ出しかけていたゆずるの肩を、あきらが軽く掴んで足を止めさせた。 「いいもん見せたげよっか」 「は?」  驚いて腰抜かすなよー、と彼が何かを口に含んで、ごそごそ手元を探っている。何が、と彼の口元に視線を移す瞬間、 「どわっ!?」  天を仰いだ彼の口から、真っ直ぐに炎が飛び出した。 「ねー、すごいでしょ?」  恐らく口に入れていた油か何かを吐き出したのだろう、路肩に小さく唾棄して得意げに頭を揺らした。こちらの感想が早く欲しいらしく、ねえねえとまとわりついてくる。 「……火吹き芸までできんのかお前」 「親睦を深めるには一発芸も大事っしょ。喜ばれるんだぜ」 「口に度数の高いアルコールを含んで霧状に吹き出し、ライターまたはマッチで着火……か? ああ、いや、それじゃあ上に吹いたら顔火傷しちまうか」 「けっこー簡単だよ」 「他に引火するもの……口に含めるもの……ブタンガス?」 「ぴんぽーん! ライターの詰め替え用ガスだよ。ちなみに材料費は百円」  息を強く押し出すと高く飛ぶんだ、と笑って、あっさりネタバレを始める。 「アルコールでもできなくはねえけど、学生の身じゃあなかなか手に入らなくてさ」 「そりゃそうか」  舌で火消しもできるよと言い出した彼を、お前まさか危ない道渡ってんじゃないだろうなと詰りながら帰路に着く。 「ね、謎解きもいいけどさ」  ある一軒家に辿り着いて、表札に大久保の名を見たゆずるが、じゃあここでと振り返った時だった。 「俺のとっておき、ネタバレしてやったんだから、ちゃんとゆっくり休んでよ」  ゆず、朝倒れてたんだよ。分かってる? そう続けられたことで、そういえば、まだこいつと会ってから一日しか経っていないんだと思い出す。まるで旧友のような――否、悪友のような――居心地の良さとレスポンスの早さに、たった数時間で慣れきってしまっていた。 「分かったよ。今夜は、な」 「信用ならないなあ……俺帰ったら電話掛けるからね。勝手に飛び出して続き捜査してたら警察に捜索届出しちまうぞ」 「おー、好きにしろよ」  そうやって別れてしまってから、そういえばあいつの家どこなのか聞いてなかったな、とぼんやり考える。自宅の所在が分からなかったとはいえ、遠回りさせてしまったかもしれない。 「……って、誰も居ないのか?」  寝静まるには早い時間で明かりの全く点いていない家を見上げ、さてこの女子高生は果たして鍵を所持しているのだろうかと頭を抱える。  中身は冴えないおっさんで、他人に過ぎない女子高生の服を弄るようなことはあまりしたくないのだが……どうしよう、どっか服捲らなきゃ出せないようなとこに所持してたら。  そんな心配をしつつ、考えてみればここをクリアしたところで入浴とトイレという難関が待っていたのだとがっくり肩を落とした。ごめん、大久保ゆずさん。見たもの俺は全て忘れることにするから許してください。  肩を落としたことで、視線が足元へ向く。一縷の望みにかけて目に入った植木鉢をずらしてみると、そこに求めていたものがあった。 「鍵発見。……家族がここに居ないっていうのはある意味ラッキーだったかもな」  家に自分ひとりだけならば、あれこれ詮索されることもなければ辻褄合わせに慌てる必要も無い。女子高生にしては多少不審な行動を取っても目撃者なんていない。胡坐をかいて座ったってオーケーだ。  タオルで目隠しをして入浴を済ませるという器用さを微妙なところで発揮して、下着はどうしようもないのでタオルは失敬して身につける。ブラホックを後ろ手に引っ掛けるという難易度の高いミッションに苦戦しながらもなんとか服を着て、それから大久保ゆずの自室を捜索した。連絡網のプリントが配布されているはずだ。 「あった……ふふん、担任の自宅番号までばっちりだ。重川が担任だったのは手間が省けたな」  もし、しげティーなる人物が大久保ゆずと全く無関係の人物であったら情報を引き出す作り話をあれこれ考える羽目になっていただろう。大久保ゆずの家庭事情を含めたあらゆる身辺情報が足りなさ過ぎる今、そんなボロが出そうな危険を冒すことにならなかっただけでもましである。リビングの電話に向かう。  今日の欠席の理由から、週明けに授業の配布プリントを受け取りたいという内容へ。そして世間話を交えつつ、東山の現状までを自然に聞き出して受話器を置いた。メモを取っていては自然な会話に集中できないため会話の中の情報は全て頭に叩き込んでいたが、整理がてら電話機の横にあるメモへ書きあげていく。 「……こんなところか」  時刻を確認すると、もうあと一時間足らずで今日が終わってしまう。続きは明日だな、とメモを読み返して欠伸を噛み殺したとたん、目の前の電話機がベルを鳴らした。 「はい。……ああ、あきらか」  掛けてきたのは先ほど別れたあきらだった。そういえば帰宅後に電話するとかなんとか言っていたなと聞き流していると、電話口で怒られてしまった。一度電話をしても繋がらず、二度目は話し中で、三度目にようやくゆずるが出たのだという。恐らく一度目は風呂、二度目は重川だ。何もせず休めと言質まで取られていた手前、二度目の理由には盛大に溜息を吐かれてしまった。 「で、東山さんはどう?」 「ああ、今はファルコンフリークスっていう企業と契約してるみたいだな。……お、今パソコンで確認したら、学校傍のあの雑居ビルにオフィスがあるらしい」  子機に切り替えてリビングに置いてあったパソコンを勝手に立ち上げ、インターネット環境も拝借する。会社のホームページなどは見当たらなかったが、所在地は明らかになった。  通話を続けながら、ファルコンフリークスの事業についても検索をかけてみる。これといって有力な情報は引っかからない。 「事業内容が曖昧だ。……こりゃ、繋がってんな」 「なんで?」 「東山は最近仕事が無いんだってな。スタジオミュージシャンなんてそう儲かる仕事じゃない。アーティストっていう肩書きだけでも欲しい奴か、成り上がるための下積み程度に見てる奴くらいしか就かねえよ」 「……つまり、貯蓄があんまりない状態に加えて仕事も最近減ってて、そんな時に楽器の寄贈なんておかしいってこと?」 「大体そんなとこだな。東山の実家も自営業ではあるが、そう資金援助ができるほどの稼ぎじゃない。羽振りが良いのには何か裏がある」 「宝くじにでも当たったんじゃない?」 「それも考えられなくは無いが、俺なら自分の音楽環境を整えることに金を使うぞ。それがミュージシャンとして成功するための一番の投資だろうからな」  とにかく俺は明日、雑居ビル・ルートピアまで調べに行く。今日は色々サンキュな、とだけ告げて通話を終えようとすると、待ってと制止の声がかかった。 「俺も行く。明日、朝の十時に校門前でいい?」  ……ついて来るなといくら言っても聞く気のないあきらに根負けし、重い息を吐き出して受話器をソファに投げる。ああ、明日もまたあいつに会うのか。  大久保ゆずの部屋で眠る気にはなれず、その日はリビングで眠りについた。ほんの少しだけ、ここで夢が覚めて次に目を開けたら自分の家だったりしないかななんて考えて……、  無情にも、朝目覚めたのは変わらず大久保ゆずだった。どうせそうだろうと思ってたよ。  勝手知ってはいないがキッチンで食パンと卵を取り出して、トースターにかけつつ目玉焼きを作る。約束の時間までは二時間、あとは食って着替えて……と、そこでまた思考が躓いた。女子高生のファッションなんて知らない。  個人的にはいっそジャージで赴いても良かったのだが、大久保ゆずの意向も分からない今、あきらの好感度を下手に下げるわけにもいかないのだ。細かいところに意識が向いてしまう自分が今回ばかりは恨めしい。男のために着ていく服を考えるだなんて、胃に穴が開きそうだ。  そうだ、ファッション誌くらい持ってるだろ。多分。捨てずに持っててくれ、大久保ゆず。  きみのためなんだ、と泣く泣く彼女の自室へ再捜索に入る。女の子らしい甘い匂いのする部屋――何か芳香剤でも置いてんだろーか――で、本棚に綺麗に重ねてあった紙の束を見つける。ほどなくして無事、雑誌は発見された。  その場で早速ページを捲り、クローゼットにある服の中からモデルの写真に近い組み合わせを見つけ出して着込む。ファッションといえど所詮はデザイン、書籍の表紙カラーリングと見立てれば選択の基準は色合いで間違いなく、見た目もおそらく大きく外すことはないだろう。散らかしてしまった他の衣裳とファッション誌を元の位置に戻し、すっかり冷えた朝食を摂る。昨夜の間に学校用鞄から見つけておいた大久保ゆずの携帯と財布、加えて持ち帰ってきた暗号を持って、気付けばもう時間まで残り二十分だった。  昨日通った道をなぞって学校に辿り着くと、あきらは先に到着して笑顔で手を振っていた。 「よし、じゃ行くか」  挨拶もそこそこに行動を開始しようとするゆずるに、あきらがダヨネと何やら期待外れの涙を浮かべる。お前は女の子との休日デートを期待したんだろうが、そんなもんに付き合えるほど俺は懐広くもなければ同性から口説かれるのに耐性なんてない。今でこそ装いは仕方なくスカートだが、本来自分は成人男性なのだ。断じて、見た目どおりの女子高生ではない。  愚痴も文句も引っ込めたらしい彼を尻目に、目当ての雑居ビル、ルートピアの自動ドアをくぐる。エレベーターに乗り込み、階層案内を確認して、そういえばセントラルプロで同じことをやってこんなことになったんだよなと苦笑する。三階だ。  エレベーターを降りた先で、一人の若い男と鉢合わせた。どう誤魔化すかな、と内心焦りかけたが、男は目を丸くして近付いてきた。 「ゆずちゃんじゃないか、吹部辞めたって本当?」 「え、ああ……はい」  どうやら、大久保ゆずの知り合いらしい。こいつを上手く丸め込めれば、東山まで紹介してくれるかも……というところで、後ろに居たあきらが声を上げた。 「東山さん! お久しぶりです」 「あれ、あきらくんかい? ワッカースタジオん時以来だね。……ひょっとして、ゆずちゃんの彼氏?」 「残念ながら、まだ自推薦中です」  握手を交わし、親しげに会話を始める男二人をよそに、ゆずるはまさしく運命の出会いだなと東山が出迎えてくれたことを喜んだ。 「それで、今日はどうしたんだい?」 「ちょっとお聞きしたいことがありまして」  あきらを下がらせ、ゆずるがにこりと笑みを浮かべて答える。それなら応接間に行こう、今お客さん来てないから。そう言って東山が先導しかけたが、ふいにあきらが手を上げた。 「あ、俺ちょっとトイレ借りたいんすけど、いいですか?」 「お手洗いなら、右曲がって突き当たりだよ。応接間はこっちの左から二番目の部屋だから、先に行ってるね」 「すみません。すぐ来ます」  そそくさと行ってしまったあきらを大して追及もせず、ゆずるは歩き出した東山の後に続く。  その通りに進み、部屋の扉を開けて先に入るよう促した東山をちらと見て、中へ足を踏み入れる。仕切りに隔てられた先には数人の関係者がいるらしく、小さく話し声が聞こえてくる。 「あれは?」  勧められた椅子に腰掛け、東山もそれを確認してからテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰を下ろした。 「ああ、こっちの所属の人が、駅前で顧客と会った時に重要文書を無くしたとかで。対策と処分について色々話されてるみたいだよ」 「そうなんですか」  それは、と服のポケットに忍ばせていたA4用紙を取り出す。三回折り曲げていたため開くと不恰好になってしまうが、引き伸ばして机に差し置いた。 「これのことでしょうか」  東山の表情が消える。しん、と室内が静まり返った。 「一昨日の晩、偶然駅前のドーナツショップ・ミセスドで拾ってな。解いてみりゃ手ごたえも何もない換字式暗号だ、がっかりしたんだぜ」 「……きみが拾っていたのか」 「おかしな話だよなあ。取引の指定場所に保管場所、全て揃ったペラいパスコード一枚が、こんな企業の重要文書だなんて。……ファルコンフリークスさんにひとつ良い言葉を教えてやるよ」  東山と、その向こうにいる数人の関係者に聞こえるように、上向き加減に言葉を続けた。 「弱い暗号は過信と偽りの安心感をもたらす。簡単に解かれてしまう暗号なんて、使ってないも同然なんだよ」  生ぬるい沈黙が辺りに蔓延って、それを目の前の東山が苦笑で切り捨てる。 「まさか俺の顔を見てて、さらにここまで乗り込んでくるとは思ってなかったよ。クスリの保管場所をダメにしてくれたのも、ゆずちゃん。きみなんだろう?」  俺の顔を見て、という台詞に引っかかりを感じたが、探る前に相手から答えを提示された。 「あの夜、階段から突き落とすんじゃ無く……しっかりとどめを刺しておけばよかったなあ」  大久保ゆずが、何故あの朝学校の階段下で倒れていたのか。ゆずるがその理由に到達した瞬間、仕切りが蹴倒される。現れた四人の手にはそれぞれ拳銃が握られていた。  咄嗟に立ち上がり、銃口を睨みながら一歩後ろへ下がる。そこへ、呑気な声とともに扉が開いた。 「ちわー、遅れてすみませ」 「あきら来んな!」 「へ……ゆず!?」  突然怒鳴られたあきらは部屋を見渡して、状況を飲み込むと、部屋に身を滑り込ませて静かに扉を閉じた。 「……ンで来るんだよ」 「そんなこと言われても、俺約束破るの嫌だもん」 「東山の言うことなんざ破ったうちに入らね、」 「違うよ、ゆずを守るってやつ」  五つの銃口の前に晒されてなお、落ち着いた格好を崩さないあきらに何故と問い詰めたかったが、突然右手で腰を引き寄せられた。 「アホか、こんな時に何言って……」  抱き寄せられた掌の中、折り曲げた親指で腰をなぞられた。  とん、つー、つー、つー、つー。間を置いて、つー、つー、つー、つー、つー。  口を閉ざす。あまり上手いとは言えない演技で、庇われる少女の表情を作る。  いち……ぜろ。十……。頭の中で、ゆっくりと腰を這う指が符号化されていく。 「ゆずちゃんに付き添って来たんだろうけど、全く、あきらくんも運が悪かったねえ」  東山がそう言って拳銃を構えたまま、立ち位置を変えて場所を譲った。そこへ、奥の椅子に腰掛けていた中年男性が重い腰を上げてやってくる。俺よりちょい年上ってくらいか。 「私はファルコンフリークスの鷹田だ。お嬢さん、きみの忠告は本当に身に染みたよ。これからは他人の手に渡っても解読されないよう、パスコードの文書自体にも仕掛けを施そう」  あきらの指が止まり、一度強く抱き寄せられてから腕が離れていく。読み解いた文字は、これがやはり彼からのメッセージなのだという確信になった。  ……『十分だけ、我慢して。』 「さて、お礼と言ってはなんだが、ここで取引をしないか。ここで見たことを他言しなければ、良い夢を見せてあげよう。もちろん渡す薬にお金は取らないよ」 「ほお……薬でラリったらサツに垂れ込めなくなるってか。確かにこんな所で発砲し、それを揉み消しつつ他殺体を二つ処理するよりはずっと利口だろうな。今の科学捜査は昔と比べて随分精巧だ。足がつかないように拳銃で殺人を犯すには数百万から数千万の金がかかる」  執筆のための資料で仕入れた知識で受け答えをしながら、視点を動かさずに視界だけで壁の時計の位置を確認する。視界に完全に時計の文字盤が入るように少しだけ首を右に傾け、彼の言葉通り時を待つ。  頭の中で心音に合わせてカウントしていた秒数から逆算すれば、あと、七分。 「それについては遺棄専門の知り合いがいるんでね、経費の心配はしなくて結構だよ。お嬢さん」  鷹田だけが友好的な雰囲気のままで、ゆずるの方へと歩み寄った。 「答えを急かしたくはないが、ここにいる従業員たちは結構短気でね。どうかな、痛い思いはしたくないだろう?」  あと五分……と、そこでいきなり鷹田に腕を掴まれた。大きく引っ張られ、椅子の傍で踏鞴を踏む。 「このままボーイフレンドと引き離されたくなければ――」  鷹田の言葉を遮るように、あきらが一歩前に進んだ。 「おい、馬鹿!」  全ての銃口のど真ん中――部屋の中心に立って、拳銃を持った一人にあきらが話しかける。 「おじさん、その銃ひょっとしてS/W? 俺銃器マニアなんだよね。リボルバーのが部品少ないから故障や暴発は少ないんだけど、やっぱ持つならオートマだよねえ」 「……何が言いたい」  話しかけられた男が、警戒してあきらの言動に注意を向ける。 「暴発が多いから注意してねって言ってるんだよ。たとえばほら、ちょっと上に注目してみて」  あきらの、左手の袖が少々膨らんでいる。天井を左手の指で指したあきらに追従するように全員の視線が上を向き――、  彼の口元から天井の火災警報器へ、一直線に炎が吹き出された。 「なっ……!」  途端、ざあっとスプリンクラーが作動してオフィス中に水が降り注ぐ。あと、二分。 「おっと、屋内でも雨が降ることはあるんだね。それでさっきの話の続きだけど、オートマって弾丸が固定されてるとこに撃針の前進が入って雷管を叩いて、そこで起こる薬莢の中での小爆発による圧力の作用で弾丸が飛び出る仕組みになってるんだよね」 「うだうだ煩いぞ! てめえ、撃たれたいのか!」 「撃つ前に、最後まで聞いたほうが後悔しないと思うよ。弾が出るとね、銃身の中の圧力が低下してスライドが後退するんだ。じゃあ銃身の中に水が入ったまま発砲したら、どうなると思う?」 「どう……って」  降り注ぐ人工の雨で頭が冷えたか、あきらの言葉に恐怖を感じたか……室内にいた男たちは皆、トリガーから指を逸らしていた。 「今この雨の中で、自分のは爆発しないって自信がある人は、どうぞ撃ってください。いやあ、日本国内で拳銃が死因なんて、映画みたいでカッコいいよなあ。ちょっと憧れてたんだよね」  あきらがへらっと笑って、軽く両手を広げた。壁に掛かった時計の秒針が、着々と周っていく。あと十五秒。撃つな、まだ雨も止むな、誰も短気を起こしてくれるな――そう願いながら、長い十五秒が消化されていくのを待つ。三、二、一……、  ……ゼロ。  カウントダウンが終えるとほぼ同時に雨の降り注ぐ部屋へ突入してきた警官たちによって、鷹田や東山をはじめとするファルコンフリークスの構成員は次々と取り押さえられていった。  怪我は無いから自力で一階まで降りますと言って警官の手を断り、二人は人で溢れているエレベーター側ではなく端の階段から下り始めた。 「あきらお前、モールス符号なんて……」 「ん。ゆずが暗号好きみたいだから、昨日ちょっとネットでかじってみたんだ。思わぬところで役に立ったね」 「相変わらず、飲み込みの早い奴……警察も、お前が?」  いつの間に、と踊り場で足を止めて振り返る。後ろについて降りてきていたあきらが、照れくさそうに頷いた。 「携帯、トイレに置いてきたんだ。時間になったら録音しといたメッセージが再生されて、警察に通報できるようにしててさ」 「ってことは、トイレに立った時点でこの状況予想できてたってことか」 「東山さんに会った時から変だと思ったんだ。パーカッショニストのはずなのに、差し出された手の小指の根元には肉刺が無かったから」  なんだその見事な逆ホームズっぷり。呆れ混じりの笑みで、あきらの肩を軽く叩いた。 「かーっ……おっまえ、探偵になれるぞ」 「ゆずならどうするかなって考えただけだよ」  向けられた笑顔がどうにも直視するには甘ったるく、不自然と知りながらも視線を逸らす。 「にしても、オートマがどうとかスミスアンドウェッソンがどうとか、あれって全部マジなのか?」 「ああ、さっきの? 全部嘘だよ」 「嘘ォ?」 「うん、S/Wの改悪品を使うような素人だって分かったから、どうせ構造もろくに知らないんだろうって思って。あの説明は、『だからS/Wは完全防水だ』って結論に続くんだよね。勝手にあいつらが、水濡れで暴発すると思い込んでくれちゃったってわけ」  あきらがそこまで言い終えて、でも、と肺に篭っていた息をゆっくり吐き出す音が聞こえた。 「ゆずが無事で、よかった」 「すげえよ、お前……ホント」 「怖かった。死ぬかもしれないってのと、ゆずが、目の前で傷付けられるかもしれないってのと……俺は、どっちも、……同じくらい、怖、くて」  張り詰めていた糸が途切れるように、言葉が萎んでいき、彼の体がふらりと傾く。真後ろの、一階に続く階段へと。 「馬鹿、……あきら!」  咄嗟に彼の腕を掴み、引き寄せる。しかし女の細腕では、意識を失いかけた彼を支えることなどできようはずもなく……身体に反動を付け、思い切り引いた。  そして、彼と身体の位置が入れ替わる。 「ゆず……!」  彼の代わりに宙へ投げ出された少女の身体に、あきらが閉じかけていた目を見開いて振り返る。  多分、ここでお別れだ。あの時と同じように落ちたんだから、運が良ければ元の身体に。運が悪ければそのままお陀仏。どちらにせよ、もうお前と関わりあいになることはないだろうな。せいせいするよ。  立ち上がろうにも上手く力が入らないのだろう彼が、叫ぶ。  そうだな、お前と同じ気持ちじゃ有り得ないが、俺だってそれなりに、お前を気に入ってたさ。  お前が主役の恋愛小説、最後はちゃんと、ハッピーエンドになればいいよな。『大久保ゆず』は、お前に返すよ。  ……お前が無事だったなら、それでいい。 【4.恋愛小説はまだ始まらない】  目を閉じた一瞬ののち、衝撃のない不思議に目を開くと、そこは白い部屋だった。可愛らしい手作りカーテンも、学ランを着た第一発見者もない、あれほど焦がれた自分の体。病院のベッド。  意識が戻って身体を起こしたゆずるに、傍に居た看護師がいきさつを説明してくれた。  一昨日の晩、信原ゆずるが落ちた先は、建設業者トラックの荷台の上。ちょうど衝撃と音を吸収する材質のものを運んでいた途中での駐車だったため、ゆずるは一命を取り留めることができた。あちこちに打撲や骨折などの怪我を負ってはいるが、しばらく通院すれば後遺症もないだろうとのことだ。  少し、寂しい気がしなくもない。  助けてくれてありがとな、と、言えなかったことがここまで惜しいとは、自分でも驚きを隠せない。  検査のために医者を呼んでくると言って看護師が病室を後にすれば、あとは誰も部屋に残らない。誰もいない。  彼の名を口の中で、舌に転がしてみる。……会いに、行ってみようか。  面と向かって礼を言うことはできないが、知り合いくらいにはなれるかもしれない。  彼の想いは、彼女へ、ちゃんと届くだろうか。『大久保ゆず』は、彼と生きる道を選んでくれるだろうか。  彼がただ、恋に上手く生きられればいい。それだけを願って――、 「……ガチの恋愛小説でも書いてみっか」  今度はきっと、上手く書けるに違いない。少なくとも、彼に出会う以前よりは。 END.

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