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2.縋った代償 ー2
おれは臆病者だ。
そんな後ろめたさに押され、翌日、EAの活動を終わるなり――
「朔間さん、相談に乗ってほしいんです」
颯天は縋 るように祐仁を呼びとめた。
ドアに鍵を差しこみかけていた祐仁は手を止め、ドアの外で待ち伏せていた颯天を驚いたふうでもなく見やった。
隠していても察した祐仁だ、もしかしたら、助けてほしいと救いを求めているからこそ颯天の心中 はだだ漏れだったかもしれない。
「さきに帰ってくれ」
幹部たちに声をかけると、祐仁は颯天に向かい、顎をくいっと動かして部室に戻るよう示した。
なかに入ると、あとから入ってきた祐仁が鍵をかける。
邪魔は入らないから安心しろと、祐仁はそのしぐさ一つで颯天に伝えてくる。
祐仁は幹部用の会議テーブルを指差し、颯天は椅子を一つ適当に選んで座った。
祐仁はすぐ隣の椅子を引きだす。
左の二の腕を椅子の背に預けつつ右の肘をテーブルにのせた恰好で、颯天のほうを向いて座った。
「どうした? うまく解決できなかったのか」
「はい。……すみません」
意味もなく謝ると、「まだ何もしてない」と祐仁はふっと薄く笑った。
「それでだれに何があった?」
「弟がやくざに脅されてるんです」
ごく簡単に云ったのは、祐仁の反応を見極めたかったからだ。
それは、颯天が予想していたものと違った。
「金か?」
祐仁は驚くこともなく追及した。
普通なら――少なくともなんの力もない学生なら“やくざ”と聞いただけで手に負えないと判断するはずが、祐仁は動じてもいない。
噂については疑っていたが、大物の愛人というのは本当のことかもしれないと、颯天はこのときはじめて思った。
颯天は首を横に振って、「最初はお金でした」と大まかに状況を話し始めた。
「五月の終わり、弟が電車のなかで痴漢を捕まえたんです。けど、合意だったらしくて、手を捻挫したって慰謝料を要求されました。お金を渡しにいったときに弟は無理やり女性と関係を持たされて、人に見せられない写真を撮られてずるずるお金を払ってたんです。それが昨日の夜、呼びだされたのにお金はいらないって云うんです。おかしなことに巻きこまれてるんじゃないかって……」
「どこの組だ?」
話の途中、祐仁はわかったと云うかわりにうなずいて颯天をさえぎると、単刀直入に問うた。
「凛堂会 です。段田功二と名乗ってるそうです」
思い当たる節 があるといったふうに祐仁はつと目を逸らす。
まもなく、首を一度横に振ったあと、ため息を漏らした。
何かまずいことがあるのか。
そんなため息に聞こえたが、そもそも相手がやくざというだけで手を貸すなんていう無謀なお人好しはいないだろう。
能天気な人間か、もしくはその社会に身を染めた兵 だ。
祐仁はそのまま黙りこんだ。
しばらくしてから颯天は気づいた。
「やっぱりいいです」
祐仁は颯天からのその言葉を待っていたのだ。
けれど。
「わかった。おれが片づけてやる」
つい今し方まで考えこむように見えていたのに、そう云ったときの祐仁はなんの迷いもためらいも見せなかった。
「片づけるって、どうやって……」
「それはおれに任せてくれ。ただし、条件がある」
祐仁は首を傾け、颯天をじっと試すように見つめる。
「……なんですか」
訊ねるのも怖い。
そんな気分に晒 されたが避けるわけにもいかない。
颯天はおそるおそる、なお且つ覚悟をして答えを待つが、お預けのまままた沈黙がはびこる。
さっき部室を出るときにエアコンは切られていて、七月に入った梅雨明け前の今日、だんだんと蒸し暑く感じてきた。
それとも、体感の不快さではなく、祐仁の眼差 しのせいでそう感じるのか。
異様なほど祐仁は慎重で深刻そうな、そして緊張を孕 んだ気配を纏 っている。
「颯天」
やっと口を開いた祐仁の声は本当に発せられたのか、耳に届くよりも早く、空気中に振動を及ぼして颯天の内部から浸透してきた気がした。
「……はい」
「おまえが欲しい。すべておれに従え」
意味がわからなかった。
「何か……おれ、朔間さんの役に立てるんですか」
「ああ、立てる」
どうする? と祐仁は首をひねった。
やはり試されているような気がする。
覚悟なら、ある。
弟を今度こそ守りたい。
そのために、あのやくざよりも祐仁に従ったほうが数倍も数万倍もましだ。
「従います」
颯天はうなずいて二つ返事をした。
祐仁はおもむろに立ちあがると、颯天の背後に立った。
「そのままだ」
颯天も同じように立ちあがろうとしたとたん、祐仁に制された。
そうして祐仁の手が後ろから颯天の顎をすくうように持ちあげる。
祐仁が何をしようとしているのか颯天にはまったく見当がつかず、ただ見上げていると急速に綺麗な顔が近づいてきた。
見開いた目に、開きかけた祐仁のくちびるが映る。
それが視界から消えたとたん、颯天のくちびるにやわらかくて熱いものが触れた。
何が起きているのか、起きていることをもってしてもさっぱり颯天には理解ができない。
くちびるで受けるはじめての感触に戸惑っているうちに、押しつけられたもの――祐仁のくちびるがわずかに浮く。
互いのくちびるの薄い表皮がへばりつくようにしながら離れる寸前、どちらの吐息だろう、口と口の間で熱い湿りを帯びた。
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