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14.ほくそ笑むコヨーテ -3

現れた春馬は、もう二十六歳になったか、まもなくそうなるのか、相変わらず二十歳と云ってもだれも疑わないくらい童顔のままだ。 大学時代と違って男娼となったいま、変化したところを挙げれば物腰のやわらかさだろうか。 颯天に向けられた顔にはかすかな笑みが貼りついている。 頭が切れるのかそうでないのか、春馬が何かしらのために頭を働かせることは学んでいる。 「わかりました」 と、有働に応えた春馬は颯天に目を転じて、「こちらへ」と穏やかにいざなう。 春馬がさっさと背中を向けたところで有働を横目で見やると、有働はうなずくかわりに瞬きをして颯天を促した。 しくじるな。 そう云いたそうな気配だ。 すると、さっき有働が浮かべた笑みの裏に潜んでいたものが見えてくる。 ようやく事は動きだし、その一歩めの段取りのために有働は颯天をわざと不機嫌にさせて、できるな? と、意思確認と、もしかしたら期待をあの笑みに表したのだ。 そうなれば、聞かされた伝言が祐仁の本心であるとはかぎらない。 颯天がそう思いたがっているだけであろうが、少し気分は軽くなった。 これからどれくらいの間、颯天がこの役割を果たすことになるのかはまったくわからない。 気の進むことではけっしてない。 すべて祐仁のためだ。 そう云い聞かせながら颯天は春馬のあとを追った。 舞台裏から廊下に出れば、狭いわけでも暗いわけでもないのに息苦しさを感じる。 置かれた状況と、ここが地下だという意識がそう感じさせているのかもしれない。 真上は高級料亭だという。 男娼の競りに集まった客は社会的地位のある人物で、表向き料亭に通い、その実、いかがわしい地下に潜る。 つまり、ここはEタンクの息がかかった料亭であり、そういう場所はここに限らない。 Eタンクを知るほど、抜けられないと云っていた祐仁の言葉が現実味を帯びてくる。 颯天は焦燥に囚われながら、春馬の背中を見つめた。 春馬がどこで立ち止まろうと絶対にぶつからないという距離を空けてついていくと、まもなく春馬は足を止めた。 前もって知っていたのだろう、春馬は颯天が着替えさせられた部屋に入っていった。 ふたりきりかと思うと昔のこともあってためらう。 けれど、逃げまわっていても埒が明かないし、祐仁に守ってもらわなければならないような少年のままでいたくはない。 颯天は意を決するべくそっと息をついて、ドアを支えて待っている春馬のところへ向かった。 室内に入れば背後でドアが閉められる。 颯天が振り返ると、春馬は入り口をふさぐようにドアに背をもたれて颯天をじろじろと眺めまわした。 箱の中に入って目張りされたような閉塞感を覚えた。 「颯天、おまえ、すっかり男娼だな。おれもまあ人のことは云えないけど」 春馬はその顔にそぐわず、皮肉っぽい表情を浮かべた。 自嘲しながらも、いまの状況に甘んじているわけではないといったプライドが見え隠れしている。 春馬こそ、童顔ゆえに中性的でもあり、男女問わず男娼として好まれそうだと思う。 春馬を指名できるのは上客のみに選別されている。 祐仁からそう聞いた。 現に、こうやって颯天の指導を任されてもだれも不自然に感じないほど、その価値は認められているのだ。 「生き延びるにはこうなるしかなかった。工藤さんもそうでしょう」 春馬はすぐには答えない。 じっと颯天を見たあと、おどけた素振りで目をわずかに見開いた。 「なんのために生き延びるんだ?」 「自由になりたい。ずっと囚われている。凛堂会から、今度はEタンクだ。凛堂会にいたときは地上の景色が見渡せる場所にいた。けど、もう六年近く、ずっとこういう地下に閉じこめられている気がする。おれは普通の人間には縁のない世界にいる。こういう世界もあるって、一見、世界は広がった気がするけど、実際は逆で、おれの権利はすべて閉鎖されている。おれはこんな限られた人間しか知らない場所じゃなく、上みたいに分け隔てなく(めし)が食えるような場所で生きたいんですよ」 颯天の云い分を春馬は信じるのか。 いや、まるっきり嘘ではない。 半分はいまでも表に出たいとそう思っている。 春馬は推し量るように颯天を見、そうして下らないとばかりに鼻先で笑った。 「上の料亭は、分け隔てなくって云うには高級すぎる気がするけどな。一介のリーマンじゃ予約もできないんじゃないか」 「“一介”じゃなくなればいい話でしょう。少なくともこのままじゃ、可能性もないんですよ」 春馬は呆れたように首を横に振った。 「Eタンクで伸しあがったらどうだ? うまい飯が好き放題、食えるようになる」 「上に行けるのは、ほんのひと握りですよ。足の引っ張り合いもある。そうおれに教えたのは工藤さんだ。そんなめんどくさいこと、やってられるかって話です」 春馬がしたことを持ちだして無遠慮に責めると、春馬は口を歪めてみせ、次には笑いだした。

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