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19.仇討ちのシナリオ ‐2

「こっちとしては殺る順番はどっちでもいいし。仇討(あだう)ちに次ぐ仇討ち。理由はいくらだって用意できる。とにかく片方を片づけたら残ったほうも早急にやるだけです」 春馬がなんの後ろめたさもためらいもなく云いきるとたまらなかった。 「工藤さん!」 疼痛などどこかに消え、颯天は振り向きざま批難を込めて声を荒げた。 惨めな恰好も、声を張りあげて腹部に力が入り関口の不浄の精がこぼれ出た不快さも気にならないほど、颯天は春馬を睨めつける。 春馬は流し目で颯天を見やり、颯天が大して着てもいない服を無意識に整えている間にゆっくりと顔を向けてきた。 作り笑い(プラスティックスマイル)とはっきりわかるそのくちびるは、薄気味悪い呪いの人形が笑うようで、弧を完璧に描いている。 「おまえ、自由になりたいんだろ。ふたりともいなくなればおまえを束縛する者はいなくなる」 「それと、人を抹殺することは違う!」 あまつさえ、Eタンクの存在を知った人間が本当の意味で自由になれるわけがないのだ。 それを知りながら、颯天を(たぶら)かすべく春馬は自由という言葉を口にするのか、鼻先で笑って見せた。 「颯天、だからおまえは甘いんだよ」 「おれは甘くても! 祐仁は甘くないっ。永礼組長もだ!」 「黙れ!」 颯天に負けない、野太い声で恫喝(どうかつ)したのは関口だった。 不思議と颯天は怯むことなく、関口をきっと睨みつけた。 「黙らされるのは関口組長ですよ。いますぐ手を引くべきです」 「まさか颯天、おれが永礼に劣ると云ってるんじゃないだろうな」 「勝ってると思ってるんですか」 「うるせぇっ」 関口が怒鳴るが早いか、気づいたときは頬に衝撃が走り、颯天は跳ね飛ばされていた。 コンクリートの地面でなかったことは幸いしたのか。 反射神経は鈍っていなかったらしく、颯天はどうにか手をついて衝撃を和らげた。 けれど、(はた)かれた頬には痛みがこもる。 口の中に慣れない味が広がった。 歯が折れた感覚はないが、粘膜を歯で傷つけたのかもしれなかった。 「おい、春馬、こいつを黙らせろっ」 関口の怒号にも、春馬は余裕を見せて薄らと笑った。 「気にするほどのことじゃないでしょう。負け犬ならぬ、セックスしか知らない無能な男娼の遠吠えですよ。それよりも……」 「なんだ、騒がしいじゃねぇか」 と、春馬の言葉は、関口でもない男の声にさえぎられた。 云い方からして、男は部外者とわかる。 つまり、凛堂会の取引相手だ。歩いて入ってきたのか、足音や車の音に気がつくほどの余裕が颯天になかったのか、不意打ちの登場だった。 颯天は血が混じった唾を吐いて起きあがる。 そのさなか―― 「段田さん、時間どおりだ」 「あたりまえだ。おれの命運がかかっている。薬を(さば)いた金で若頭に成りあがるのさ。だれよりもさきにおれが抜きんでてやる」 関口組の組員の呼びかけに応えている声を聞きながら、颯天は弟を恐喝していた段田といまここで段田と呼ばれた男を一致させた。 凛堂会の裏切り者の主犯格は段田なのか? 颯天は思ってもみなかった。 巡り合わせに驚きつつ混乱しながら耳をすました。 「段田さん、出世なさった際にはうちの組のこと、頼みますよ」 「もちろんだ。それでブツは?」 段田の問いを受けて、関口は自分を窺った手下に向かって顎をしゃくった。 関口組の二人がそれぞれアルミのアタッシュケースを片腕に抱え、段田に向けて開いた。 段田の後ろには手下だろう、四人が控えている。 関口組が総勢で二十数人いることを思うと、段田はよほど内通しているか関口を信用しているかのどちらかだ。 「段田さん、約束どおりこれは貸しだ。うちは成果報酬というリスクを負ってる」 「重々承知だ」 段田は関口に向き直ると、 「関口組長、お世話になります。必ずや、ご恩とともに預かったぶんの金はお返ししますんで」 と深々と頭を下げた。 「ああ、慎重に管理したほうがいい。くれぐれもおかしなことにならんことを祈る」 「はい」 段田はアタッシュケースを受けとり、手下を振り返ると、行くぞ、と声をかけた。 春馬と関口が顔を見合わせる。 役者はまだそろっていない。 少なくとも片方が現れるまでおそらくは場を引き延ばすためだろう、春馬が口を開いた。 「段田さん、永礼組長のほうは大丈夫なんでしょうね。ごまかせるんですか」 「おれが動けば目立つが、手下にやらせる。心配すんな……」 段田が応えるさなか、邪魔が入って言葉は尻すぼみになった。 一斉にその音――クラクションを鳴らしながら現れた侵入車に目を向けた。 外灯で黒光りする車は凛堂会のもので、一台は明らかにほかとは違う重厚さを放っている。 永礼が乗っているに違いなかった。 春馬と関口は再び顔を見合わせ、万事うまくいったといった具合に笑みを交わしている。 一方で、段田を見れば、暗がりのなかでも蒼ざめているような気配を漂わせている。 土埃(つちぼこり)を立てながら、車は突撃するような勢いで近づき、段田の背後を断つように滑りこんで止まった。 そのあとに五台の車が続く。 その音に紛れて、身近でカチャッと何かが嵌まったような音が連続して聞こえた。 辺りを見回すと、後ろ手に銃を持った組員の姿が目に飛びこんでくる。 今し方の音は、弾丸を収納する弾倉(マガジン)の装着音だったのだ。 つまり、引き金一つ動かせばだれかを殺傷することになる。 それを問答無用でやる気か―― 「降りるなっ!」 ドアが開いた瞬間に颯天は叫んでいた。 「うるせぇぞ」 関口は即座に吐き捨て、 「おい、こいつは人質だ、捕まえとけ」 と手下に命じた。 颯天はとっさに逃げるが、呆気なく別の組員に捕まり、車のボンネットに上体を倒されて押さえつけられた。 痛みと苛立ちと怒りと、そして自分の不甲斐なさに颯天は唸った。 ここで関わってきたのがなぜ段田なのか。 弟のためではあったが、颯天が人任せにした付けが、巡り巡ってここまで繋がってきた気がした。 「手荒な真似をしてくれる。関口組長、いったいどういうことだ」 永礼の声は暗闇をみかたにつけたようにくっきりと轟いた。 颯天は押さえつけられたまま、首をまわしてその声のほうを向く。 永礼はちょうど関口から自分の手下へと目を転じて、睨めつけるように目を細めた。 「お、親分っ」 慌てているのは段田だけでなく、その手下の四人もそうだ。 逃げだすとまではいかずとも、いまにもそうしたいといった姿勢が窺える。 「どういうことだ、段田」 「ち、違いますっ……」 段田の返事などどうでもいいように、永礼は傍にいる手下に向かい、顎をしゃくって見せた。 「確認しろ」 「はっ」 「違うっ」 「中身を見せろと云ってるだけだろうが」 凛堂会の男は恫喝しながら段田に近づき、その手からアタッシュケースを奪い、乱暴に開けると中身をこぼした。 透明の袋の中に入っているのが粉だということだけは颯天にもわかった。 そして、関口がすぐに殺戮(さつりく)に及ぶつもりではないこともわかった。 かといって安心はできない。相互が背後に車を控えて相対し、もしも銃撃戦になるとしたら、先手を打ったほうが断然、有利になる。 ただし、人数を見るかぎり、関口組のほうが若干優勢だ。 何ができる? 無力だとわかっていながら颯天は絶望的にそんな疑問を自分に向けた。 「なんだ、これは?」 「そ、それはっ……」 同じ凛堂会の男に詰め寄られた段田は言葉に詰まった。 やはりどうでもいいように永礼は段田を無視して関口に向かった。 「うちが薬をやらないことは承知されていると思っていたが」 「永礼組長、誤解してもらっては困る。うちは依頼されただけでな」 「依頼?」 「そうだ。永礼組長、どうやら凛堂会はそのブローカーに嵌められたらしいな」 「はっきり云ってもらおうか。その嵌めた奴を」 颯天は組長同士の応酬を聞きながら、関口はあわよくば自分の手を汚さず、祐仁を陰謀者として永礼に始末させようとしているのではないかと思った。 永礼が確かめもせずに、むやみに祐仁に向かって引き金を引くとは思えないが、わずかでもそのリスクは軽減しておくべきだ。 そんなことしかできない自分に苛立ちながら颯天は口を開いた。 「永礼組長、騙され――ぐわっ」 騙されないでくださいという言葉は発しきれず、そのかわりに腹の底から呻き声が口腔に雪崩(なだ)れこみ、颯天は吐きだした。 脇腹を膝蹴りされ、直撃された内蔵が潰れたような感覚がした。 苦しさに喘ぎ―― 「フィクサー、と聞けばわかるだろう。それがブローカーだ」 颯天は関口が答えるのを防げなかった。

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