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20.銃口の標的

「フィクサー、だと? どこのフィクサーだ」 永礼の声は理性的だ。 侮っているわけではなく確認を取るためのように聞こえた。 関口は、すべてを知り、優位にあるのは自分だといわんばかりにほくそ笑みつつ口を開いた。 「古来、日本にも秘密結社が存在すると云われてきたが、それと同族かどうかはわからんが、そのような組織があるのだろう。永礼組長、知っているはずだ。知っている以上に凛堂会は――いや、永礼組長は敵対していると見せかけて恩恵を受けているんじゃないか。我々の界隈ではそんな噂も持ちあがる。だが、噂はでたらめだ。なぜなら、今回の黒幕はそこのフィクサーだからな」 「違うっ」 颯天がどうにか呻くように発したとたん―― 「颯天、黙れ」 と、永礼が鋭くさえぎった。 その意味するものはなんなのか。 祐仁をかばうなと云っているのか。 永礼の言葉とほぼ同時に、颯天は再び腹部を蹴りあげられた。 息が詰まる。 「永礼組長、ずいぶんと颯天に入れ込んでいるようだが、颯天はフィクサーの忠臣だとも聞く。こいつはスパイだったんじゃないのか。その証拠に、五年もたっていながらフィクサーは凛堂会から颯天を取り戻した。弱みを握られて、挙げ句の果てにフィクサーに潰される。それが凛堂会の成れの果てだ。秘密結社なんてものをのさばらせておいていいのか、永礼組長」 煽る関口に対して、永礼は意外にも失笑をこぼした。 そうして、ちらりと後方を振り向き、自分が乗ってきた車を横目で見やった。 「――だそうだが、そうなんですか?」 永礼はだれに向けて云ったのだろう。 疑問に思っているうちに車のドアが開いて、次には足が片方ずつ車外に出て地に降りた。 ゆったりとしたしぐさ一つで人物を特定できたのは本能が察したのか、それとも希望がそう見せたのか。 颯天は息を詰めてその登場を待った。 颯天に限らず、だれしもが固唾(かたず)を呑んで見守っていたようで、静けさのなかにすっと息を呑みこむ音が際立った。 「当たらずとも遠からず、でしょうか」 云いながら、車から出てきたのは見間違いようもなく祐仁だった。 ゆったりと歩きながら前に出てきて祐仁が永礼と並び立つまで、颯天は何度も瞬きして、幻影ではないことを確認する。 祐仁……。 声にはならずつぶやいていた。 それが聞こえたように祐仁の目が颯天を射止める。 何かを感じ入ったようにその顎がわずかに上がった。 じっと颯天を見据え、そうしたことで、大丈夫だ、と力づける。 颯天すら混乱したのだから、春馬が驚くはずだ。 「だれだ、あの若造は」 関口は春馬を振り返った。 怪訝そうな声には険しさが潜む。 春馬はEタンクについては必要最低限のことしか関口に打ち明けていない。 それは関口から身を守るための春馬の保険であり切り札に違いなく。 「フィクサーですよ。関口組長、いまが最大のチャンスではありませんか」 春馬がたじろいだのは失策したゆえの怖れではなく驚きにすぎなかったのか、小気味よさそうな声音で関口を煽った。 春馬の言葉が何を示すのかは歴然だ。 永礼が祐仁を疑っておらず、それどころか懇意にしているのかもしれず、颯天はそのことに安心はできたものの、こうやってふたりがそろっていることのリスクは大きい。 「なるほど」 すぐさま応じた関口の声にもほくそ笑むような気配が滲む。 これから起きるだろうことを案じるせいで颯天が過敏になっているのか、周囲で緊張が走ったように感じた。 それとは逆に――もしくは、その緊張が本物だと示すように颯天を押さえつけた手が緩んだ。 このあと号令が飛ぶだろうことを予想させる、すっと息を吸う音、そしてわずかに身動ぎをしただれか、その二つを認識した刹那。 「銃を持ってる! 祐仁っ……」 颯天は力を振り絞り、押さえつける男から逃れながら叫んだ。 「颯天、来るなっ」 応えた祐仁が制したときにはもう遅く、颯天は駆けだしていた。 目の隅で、颯天が向かう方向へと銃口(マズル)が向けられたのを捉えた。 「撃て……な――っ!?」 撃て、というたった二音の言葉の半分がまともに発せられず、バン、バンと衝撃波が連続するなか、奇声が響いた。 弾が当たるかもしれない。 それを怖いと思うよりも、颯天にとって祐仁の盾になるという意志のほうが遥かに強かった。 それなのに、祐仁は伏せることも車の陰に隠れることもせず、颯天のほうへと突進してくる。 衝撃音と呻き声と怒号と、周囲が騒がしいなか、祐仁は颯天に体当たりしてきた。 抱きとられながら躰が浮いたと思った瞬間、祐仁の躰にぶつかった衝撃が全身に走る。 地面に転がったのだ、というのは一回転半してからわかった。 祐仁の躰が颯天を覆う。 「違うっ」 「違わない。おまえが下手に動くほうがおれを危険に晒す。わからないのか? じっとしてろ、まもなく終わる」 もがく颯天を自分の躰で制御しながら、荒々しくも祐仁は断言した。 ふたりの呼吸が腹部でぶつかり合い、それは息苦しくもあり、生きている証しでもある。 「まったくむちゃをする。むちゃをさせたおれが云うことじゃないだろうが」 颯天がもがくのをやめると、祐仁が耳もとでつぶやいた。 可笑しそうな云い方にも聞こえ、それは根拠あってこそのうまくいくという余裕だろうか。 やがて、祐仁の云うとおり衝撃音が途絶えた。 残ったのは呻く声で、静けさが広がっていく。 「フィクサーU、颯天、終わったぞ」 低く響き渡った声は永礼のものだった。 永礼は生きている。 「直樹さん、よかった……」 颯天の躰からこわばりが解けた。 入れ替わりに祐仁の躰がこわばる。 祐仁はゆっくりと躰を起こし、颯天は体温を奪われていく心もとなさを覚えた。 真上から見下ろしてくる眼差しは、それを増長させるように冷ややかだ。 再会したときのように一線を置いたよそよそしさがある。 「颯天、おまえは永礼組長のために動いたのか。凛堂会に戻りたいのか」 出し抜けに祐仁は颯天が考えてもいないことを問う。 感情のこもらない、淡々とした祐仁の声とは逆に、颯天は驚きに満ち、動揺すら覚えて祐仁を見上げる。 さっきは打ち解けて、大学時代に戻ったような気配を感じていたのに、それは非日常の状況下、逃避したすえの颯天の錯覚にすぎなかったのか。 「おれは……祐仁を守りたかった。それ以上のことは考えてない……」 つぶやくように答えると、短く笑う声が聞こえた。 祐仁ではない。 「フィクサーU、さっきの状況で颯天が損得を考えて動くとは思えないが。颯天、おまえがおれの心配をするからフィクサーUは嫉妬してるぞ」 永礼はふたりともを揶揄する。 祐仁は舌打ちをして躰を起こした。 颯天も慌てて起きあがりながら、永礼が云ったことを考えた。 そして、自分が口にしたことを思いだす。 祐仁は顔を険しくして、それはばつの悪さを隠ぺいするためかもしれない、不快そうに颯天を見やる。 そうして、ため息をついて首を一度横に振ると、もとの悠然とした祐仁に戻った。 「祐仁、もちろん永礼組長のことも心配です。けど、いま永礼組長が無事じゃなかったら祐仁がヘッドに疑われる。だからおれは……」 「疑うことはない」 さえぎった声は一度の面会でしか聞いたことがない。 ただ、その存在感ゆえに憶えている声だ。 祐仁が立ちあがり、颯天へと手を伸ばした。 それは無意識のしぐさにも見え、颯天は祐仁の手を取り、躰が引きあげられると同時に立ちあがった。 そうして声のしたほうを向くと、颯天が判断したとおり、けれどよもやここにいるとは思わない、緋咲がそこにいた。 唖然として立ち尽くしている間に、祐仁が軽く一礼をする。颯天も慌てて続いた。 顔を上げると、緋咲は祐仁から颯天へと目を転じてかすかにうなずく。 「たまに人を見誤ることもあるが、フィクサーUを疑ったことはない。祐仁は私の息子だからな」 驚きが覚めやらぬうちに、緋咲の告白はさらに颯天を驚かせた。

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