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21.痴話げんか ー2

祐仁は車の後部座席のドアを開け、乗れ、と颯天を振り返る。 立場が逆だと思ったが、ここで押し問答をすれば祐仁を煩わせるだけだ。 「すみません」 車に乗りこみながら、颯天はすでに後部座席の真ん中にだれか乗っていると気づいた。 身なりのいいスーツを着込んだ人物の顔を見て、颯天は目を見開いた。 「清道理事長……」 「危険な目に遭わせたな。無事で何よりだった。無事をどう捉えるかにも()るが」 清道は(おもんぱか)って云い、颯天を窺うように首をひねった。 「いえ。……」 続ける言葉が見つからず颯天が戸惑っているうちに祐仁が反対側から後部座席に乗ると、すぐさま車は発進した。 ほかの車もぼちぼちと動き始め、そのなかに紛れて永礼の車は工場現場を離れた。 「真人、祐仁を息子と自ら口にしたことを、少しは進歩したと思っていいのか」 車内の沈黙を破ったのは清道だった。 緋咲をファーストネームで呼んだことで、暗にプライベートな場だと示しているのだろうか。 「盗み聞きですか。趣味が悪い」 「私がいることは承知していただろう。それを盗み聞きとは云わない」 緋咲の言葉は、さっきの祐仁に対する颯天のように拗ねて聞こえたうえ、清道のからかい混じりの答え方はまるで引き裂かれる以前の祐仁そのものだ。 「緋咲ヘッド、相変わらずだ、と同じことを云わせてもらう。久しぶりだというのに会って早々、痴話げんかとは」 永礼は運転しながら緋咲を嫌みったらしくからかう。 「痴話げんか、だと?」 「ああ。“醜い”のは緋咲ヘッドも同じだ。おれと清道理事長のことをずっと疑っているだろう。あいにくとおれは、攻め手だ。緋咲ヘッドのように受け身の趣味はない。そうだろう、颯天」 なんのことだろうと会話の大本を考えているさなか、いきなり永礼が颯天に振った。 「はい」 イエスということではなく反射的に返事をしただけだが、永礼の言葉を思い起こせばその返事で間違いなかった。 視線を感じて横を向くと、清道の向こうから祐仁が脅すように颯天を見ている。 「私も受け身の趣味はない」 清道が続くと、奇妙な沈黙に制され、居心地の悪いことこの上ない。 それは颯天だけだろうか。 居心地の悪さを解消するには考え事に走るしかない。 謎だらけで考える材料には事欠かない。 ただし、答えを自力で出せるのはわずかだ。 それぞれにトップにいる三人の会話を聞くかぎり、よそよそしくもなく、むしろごく親密だ。 それどころか絡み合っている。 颯天と祐仁のように。 それは確信した。 「子供の前で云うことではない。終わったことを蒸し返すなど不毛すぎる」 やがて緋咲は口を開き、落ち着き払って諭した。 「終わったこととはいつの話だろうな。意固地になって連絡一つ、おれに直截(ちょくさい)には寄越さない。五年半前のことにしろ、息子とわかっていながらあの若造の云い分に乗ってUを(おとしい)れようとした」 「私も、緋咲ジュニアだからこそ、いずれはEタンクを率いる力を身につけさせようと大事に育てたつもりだが、おまえには伝わらなかった」 話を切りあげようとする緋咲に対して、永礼と清道は喰いさがった。 親密だからこそ(こじ)れる。緋咲真人、永礼直樹、そして清道竜雅はその典型に見えた。 「参謀(アドバイザー)として傍に願っても、竜雅、あなたが拒否し、そればかりかEタンクを私に押しつけて距離を置いた」 「掟を知っているだろう。トップの私がそれを破るわけにはいかなかった。掟を変えるにも、それがトップにとって好都合になるかぎり通すわけにはいかない」 「それなら、なぜ七年前、あまりにも早くトップから退いてしまわれたんです? それまでどおりヘッドと理事長を兼務して、もっと……いまでも君臨できていたはずです。私は間違いなくあなたを支えられた」 「真人。内側に長く居続けると感覚が麻痺してくる。つまり、正しい判断ができなくなる。だから、私はアドバイザーでいるよりも、外から監視するオブザーバーであるべきだと判断した。おまえはもしかしたら裏切りのように感じたかもしれない。だが、いまなら私が云っていることもわかるだろう」 清道の説き諭した言葉に緋咲は黙りこみ、かわりに永礼が口を開く。 「工藤という若造のことにしろ、人間性を精査しないうちにEタンクの連中は招き入れた。工藤の本質を見抜けなかったのは――見抜こうとしなかったのは、Eタンクの存在を知ったとき、つまり、所員となったときに光栄に、そして誇りに思わない人間はいないだろうという(おご)りもあっただろう。清道理事長はその軌道修正を担われた。清道理事長が後継者として最も信頼と安心を寄せたのが緋咲ヘッドであり、軌道修正は緋咲ヘッドのためでもあった。おれはそうするためのパートナーにすぎない」 緋咲は黙り続けていたが、まもなく空気を空っぽにするような長いため息をついた。 「まるでガキだ」 ため息に続いたそのつぶやきも少年のように荒っぽい。 「緋咲ヘッド、いまなら自分に関わることではなく、掟も変更がたやすい。そうですよね」 祐仁が出し抜けに割りこみ―― 「我が身を捨てても惜しくないほど信頼のおけるパートナーは、なくてもいいが、あっても邪魔になる存在じゃない。むしろ、互いを護るべく強くあろうとする。それに、緋咲ヘッドと清道理事長のように、闘う武器は二倍になる」 と、説得じみて続けた。 祐仁が何を云わんとしているか、颯天は固唾を呑んで緋咲の反応を待った。 颯天だけではなく、祐仁はもとより隣にいる清道も耳を傾けている。 「フィクサーU」 と、緋咲は厳粛な様で呼びかけた。 「はい」 「私はきみを陥れるために工藤の云い分に乗ったわけではない。かといって、きみを(しん)から信じていたわけでもない。云うならば試練だ。過信がもたらす甘えなどなんの役にも立たない」 「はい。云い訳はできません。反省しています」 すぐさま応じた祐仁の返事に苦笑した気配が感じとれる。 「今回の件で面目は立った。変更するためには条件がある」 「なんでしょうか」 譲歩を示した言葉に、すかさず祐仁は喰いついた。 「祐仁、おまえが私の息子だと、公然と認めることは永久にない。ヘッドという立場を濫用したと思われてはならない」 「公言してもしなくても、緋咲ヘッドとの関係はこれまでどおりです。いつかかわりに同じ場所に立ちたい。それくらい尊敬しています。その気持ち以上に変わるべきことがありますか」 「いや、ない」 公然と親子と云えない。 そこにディレンマは少しも見えず、むしろ、そんなことは問題ではないという、満足そうな声に聞こえた。 「では?」 「わかった。善処しよう」 短く笑い声を立てたのは祐仁で、懐かしくも少年のようだった。 「颯天」 祐仁の呼びかけに、はい、と口を開きかけたもののそのまえに―― 「一緒に暮らすぞ」 と、最も心強い三人の証人を立て、祐仁は宣言した。

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