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『目が合わなくても愛してる』ヘタノヨ コヅキ

 雪が、融けて。次第に暖かくなってきた、四月という時期。  薄暗い部屋の中で、荒い息遣いと淫らな水音が響いていた。 「は、ぁ……ッ」  一人の男が、一枚の写真を見ながら自慰行為に耽っている。  ……しかし、そういった光景はなにも珍しいものではないだろう。  男は忙しなく右手を動かし、荒々しく息を吐きながら、写真を見つめている。握られた逸物からは先走りの液が溢れていて、手で扱く度に水音が鳴り響いた。 「ィ、きそ……ッ」  欲望の赴くままに、自分で自分の逸物を扱く。  小さく呻いて、数秒後。男は眺めていた写真に向かって、白濁とした液を吐き出した。 「……ッ」  声を押し殺し、小さく体を震わせる。動きに合わせるかのように白い飛沫は数回に分けて、写真を汚していく。……男はその様子を、ぼんやりと眺めた。  しばらく絶頂の余韻に浸っていたが、やがてハッとした様子で男は写真に向き直る。今さら我に返ったところで、写真は自分が吐き出した精液でベットリと汚れていたが。 「……っ。……(さこ)……ッ」  写真に写っている親友の名を呟きながら、宮古(みやこ)(つくる)は静かに涙を流す。  もう何度やってしまったか分からない行為に、宮古は罪悪感を抱きながら。……それでも、心の片隅には。  確かな充足を、感じていた。  * * *  ──『自分が、不毛な恋愛に首を突っ込んでいる』と。宮古本人は、自覚している。 「宮古、おはよう」  制服を指定通り、きちんと着こなしている同級生──迫|俊哉《としや》が、宮古と肩を並べてから、挨拶をした。  ネクタイをグチャグチャに結んで、ワイシャツの上から学校指定のジャージを羽織っている宮古とは、見た目からして釣り合わない。朝から、宮古の自己嫌悪は絶好調だ。  笑顔を絶やさず、見るからに明るい優等生と、野暮ったくて暗い自分。……それでも不思議なことに、二人は親友なのだ。 「お、っ。……お、はよう……」  昨晩、迫の写真をオカズに抜いていたせいか。宮古は迫を直視できず、視線を逸らす。  会ってすぐさま視線を逸らされた理由が分かるはずもない迫は、不思議そうに宮古の顔を覗き込んだ。 「どうかした? 顔色、悪いよ?」  大好きな親友の顔が視界に入り、宮古は顔を背ける。 「っ! ……別、に」  素っ気無い態度で応対する宮古に対して、不快感を一切見せず、迫は笑う。 「そっか。……宮古は、今日も相変わらずクールだな」  迫の言葉に、宮古は口の中で返事をする。 「……クールじゃ、ないよ」  迫はよく、宮古のことを『クール』や『寡黙』と評価していた。だが、それは美化に美化を重ねた言葉だ。実際の宮古は、そんな人間ではないのだから。  人見知りで、自分に自信が持てなくて、日常会話ひとつまともにできない。それが、宮古造という男の正体だ。  子供の頃から緊張しいで、人の顔を真っ直ぐに見ることすらできない。せっかく話題を振ってもらえても、面白い返答ができずに、いつも暗い相槌だけ。  そしてその性格は、成長していくにつれて好転するどころか悪化していったのだ。なぜなら宮古が高校に入学した頃には、自分から誰かに挨拶をすることすらできなくなっていたのだから。  親の転勤の都合で知り合いが一人もいない高校に入学した宮古は、友人ができるだなんて夢にも思ってもいなかっただろう。むしろ、確信に似た思いを抱いていた。  だが、迫に出会い『親友』と呼べる相手ができたのだ。 「……さ、こ……っ」  長い間、宮古は人とのコミュニケーション能力を培えなかった。その結果、高校三年生になったというのに、親友の名前すら満足に呟けない。  それでも、迫は宮古を馬鹿にしたりしなかった。 「うん。……なに? どうかした?」  恐らく自分を見てくれているだろう迫の顔を、直視もできない。……その理由が『人見知りだけではない』と。そんなこと、宮古本人は疾うの昔から気付いている。 「さ、っ。……さっ、寒い、よね……」  ──我ながら、つまらない話題だ。後悔から、舌を噛み切りたくなる衝動に宮古は駆られた。  四月の、始まり。進級し、三年生になって数日経ったが、だいぶ暖かくなってきている。  しかし、宮古は冷え性だった。夏でも長袖で過ごせる宮古にとって、曇り空の今日は少しだけ、肌寒く感じたのだ。  学校指定のジャージを制服の上に着用しているのも、それが理由なのだが。そんなもの、宮古の尺度で測った世界の話だ。迫には、当てはまらない。  それでも……。 「宮古は本当に寒がりだよな」  宮古の呟きに、迫は笑った。  迫の笑顔が、宮古は好きだ。  だからこそ、宮古は慌てて頷く。 「う、うん」 「でも、そっか。宮古には寒いのか。俺はこのくらいの気温が丁度いいかな」 「……ごめん」  話題を振ったのは、宮古自身。なのに、どう返事をしていいのか分からず……宮古はとっさに、謝る。  つまらない話題だとしても、迫はいつも乗ってくれた。そのお礼すらも、まともに伝えられた試しがない。  すると、迫に背中を叩かれた。 「こら。……俺相手に気を遣うなって、何回言わせるつもりだ?」  自分より頭ひとつ分背の高い迫を見上げて、すぐさま宮古は俯く。 「……う、ん」 「いつになったら慣れるんだろうな?」  宮古はジャージの裾を握り、またしても口の中で呟いた。 「そんなの。……ずっと、ムリだよ……ッ」  本当の親友ならば、三年という月日があれば気を遣わないで話せるのだろう。当たり障りのない会話だってできただろうし、視線だって合わせられるはずだ。  けれど、人見知り以前に……宮古が迫に慣れるのには、無理な理由がある。  ──宮古は、迫を心から愛しているのだから。  * * *  高校一年生として参加した、入学式。  ──宮古は自分でも驚くほど呆気なく、迫俊哉という男に恋をした。  新入生代表挨拶をするために登壇した迫を見て、心を奪われたのだ。  真っ直ぐに、前を向いて挨拶をする姿。  顔立ちの良さ。  つま先から頭のてっぺんまで纏っている、オーラ。  迫の、全てに。……宮古は、一目惚れをした。  唐突に訪れた初恋と、相手が男だという事実に、宮古だって最初は困惑した。  だが、入学式の後に行われたホームルーム終了後。  ──あろうことか、迫の方から声を掛けてくれたのだ。  そんな奇跡を目の当たりにした宮古からすると、自分の抱えている戸惑いがどうでもよく思えた。  ──『好き』と。たったその一言だけで、十分。  人への接し方がイマイチ分かっていない宮古は、迫を眺められればそれでいいと思っていた。だが予想外なことに、入学式以降も迫の方から宮古に接してくれる。  初めのうちは、挨拶を交わす程度の仲。……だと言うのに、気付けばそれ以外の言葉も交わすようになり、いつの間にか周りからは『親友なんだな』と思われるほどになっていた。  そしてその評価を、迫は否定しない。ならば、宮古の想いはカチリと決まる。  ──迫の親友でいられるのなら、自分の想いは隠そう。  そう思い続けていた宮古だったが、ある日。……過ちを、犯してしまった。  ──その過ちこそが【迫をオカズに行う、身勝手な自慰行為】だ。  一度だけと甘やかし、自分を慰める。すると、今まで得たことのない満足感を、宮古は得てしまった。  初めは、迫の姿を頭に思い描いていただけ。なのに、いつの間にか【迫に触れられている】という妄想へとレベルアップ。……果ては、実体を求めて写真を見つめる昨晩の行為。  エスカレートしていく内容に宮古は【充足感】以外に【罪悪感】まで抱くようになってしまった。  しかし。宮古はある日、遂に【自分の想いを断ち切る決意】をした。  ……だが、直接伝える勇気は無い。電話越しやメールでも、迫の反応を見せつけられるという覚悟を、宮古は持っていないのだ。  苦肉の策として宮古は毎日、手紙を書いた。  書いては、鞄に忍ばせ。  渡そうと思っても、渡せず。  最終的には、自宅へ持ち帰る。  また新しく書き直して、鞄に忍ばせ。……毎日がその、繰り返し。  渡せもしない手紙をゴミ箱に捨てて、意気地の無い自分を責め続ける日々。宮古の精神は、露骨に摩耗していた。しかしそれでも、こんな宮古を慰められるのもまた、迫以外ありえないのだ。  暇があれば、SNSで迫のアカウントを眺める。癒しを求めた宮古は迫が投稿した内容だけに飽き足らず、迫と誰かがやり取りしているメッセージも眺めるようになった。  親友の枠を大きく外れていると気付いていながらも、本人に伝えられない。自分一人で、断ち切ることすらできなかった。  ──いっそ、手紙をゴミ箱に捨てるように……この想いも、捨てられたならいいのに。  そう、現実逃避をしながら。……今日も、宮古が持つ鞄の中には一通の手紙が入っている。  * * *  放課後になり、宮古は何度目か分からない自己嫌悪に陥っていた。 「今日も、渡せなかった……っ」  鞄の中に手紙を忍ばせるようになって、何日が経ったのだろう。五十を超えてから、宮古は数えるのをやめた。  誰にも聞こえないだろう声量で呟いた後、離れた席に座っている迫に、宮古は視線を向ける。  迫の周りには、男の友人が数人たむろしていた。 「迫ぉ~っ。昨日、なに届いたんだよ?」 「あっ! それ、俺も気になってたっ!」  話題は、迫宛に届いた【なにか】のことらしい。  昨晩、迫はSNSに写真とコメントを投稿していた。有名な通販サイトのロゴが描かれた箱の写真で、コメントは『注文してた物がやっと届きました』だけ。その投稿には、なにが届いたのかという詳細は書かれていなかった。  迫はよく、通販サイトを利用している。品物が家に届く度、迫はSNSに箱の写真を投稿していた。  暇があれば迫のアカウントを眺めている宮古も、昨晩の投稿を知っている。  しかし当然、宮古だって中身を知らない。だから、興味があるに決まっているだろう。  ……だが、宮古は踏み込めない。  自分が迫に、プライベートなことを訊くのは……果たして、親友としての正しい距離感なのか。それが、分からないからだ。  離れた席で宮古が聞き耳を立てていると、迫は気付いていないのだろう。迫は、友人に笑顔で応対してる。 「秘密」 「エロ本か?」  友人の問いに、宮古の方が驚く。  迫が、エロ本を購入している。……全く、想像がつかない。  無粋な質問にも、迫は笑顔のまま答える。 「違うよ。もっといい物」 「迫のことだし、参考書とかじゃね? 地球儀とか、壁に貼るための世界地図とか。そう言うなんか……頭の良さそうな物?」 「ふんわりした印象だなぁ」  友人の言葉に、迫は肩を揺らして笑った。  SNSに投稿される箱のサイズは、様々だった。参考書が入っていてもおかしくないほど薄い箱や、地球儀が入っていてもおかしくないほど大きな箱。頭のいい迫のことだから、そういう類の物を注文していても不思議じゃない。 「今度見せろよ~」 「気が向いたらね」  友人に向かって、迫は爽やかな笑顔を見せている。  そんな迫に向けて、宮古はそっとスマホのカメラを向けた。  シャッター音のしないカメラアプリは、既にインストール済み。準備は、万端だ。  『バレないうちに』と、焦りつつ。頭の片隅にある罪悪感には、気付かないフリ。宮古はそっと、迫の写真を撮った。  保存用と、自慰行為の際に使うオカズ用。  ひとつの写真を二枚ずつ現像している宮古は、撮ったばかりの写真をスマホで眺めた。 「……カッコ、いいなぁ……っ」  思わず口元を緩めかける。……その時。 「──宮古」 「──ッ!」  迫に、名前を呼ばれた。  反射的に画面を消灯した宮古は、いつの間にか隣に立っていた迫を振り返る。息を呑んだ宮古に不思議そうな顔をしつつ、迫は笑顔で宮古に話しかけた。 「途中まで一緒に帰ろう?」 「……ぅ、ん」  毎日送られている誘いの言葉だというのに、宮古は動揺のあまり、掠れた声を出す。  そんな宮古を見て、迫が眉尻を下げた。 「えっと、ごめんごめんっ。……驚かせちゃった?」 「うっ。……あっ、えっと。……大丈夫、だよ」 「そっか。なら、よかった」  迫の様子を見るに、写真を見られたわけではなさそうだ。宮古は小さく、息を吐く。同時に、心の中で『気付かれなくて良かった』と呟いた。盗撮をしているなんてバレたら、告白以前の問題だ。  次からはもっと、気を付けよう。そう決意しつつ、宮古は鞄を持って迫の後ろを歩いた。  * * *  迫が話題を振ってくれて、宮古が必死に返事をする。誰にどう思われても、二人きりで下校をするこの時間は、宮古のお気に入りだった。  迫が家に帰る前、最後に会話をする相手が自分自身だという優越感に、ひっそりと浸れるからだ。  だが、浮かれてばかりではいられない。冷静な宮古は、気付いていた。  ──この時間こそ、迫に手紙を渡せる大チャンスだ。……と。  それでも、気が小さく弱気な宮古はこの幸せな時間を壊すことができなかった。 「……あっ」  迫と別れる地点が、視界に映る。思わず漏れ出た言葉は奇跡的に、迫へは届いていなかったらしい。  今日も今日とて手紙を渡さず解散しようと、宮古は思う。  迫と別れるこの場所で渡すのが、一番気楽なのは分かっていた。渡してすぐに、走って逃げれば迫の反応を見なくて済むからだ。  ……そうと分かってはいても、宮古は勇気が持てない。背負っている鞄の紐を握り、宮古は俯く。 「……さ、迫っ」  別れる間際、名残惜しくていつも、宮古は迫の名前を呼ぶ。 「なに?」  習慣となったこのやり取りに、迫はいつも、笑顔で返事をした。  顔を上げて、なんとか迫の目を見ようと努力をする。けれど……気恥ずかしさからすぐに、俯く。  やはり、手紙を渡すなんて無理だ。目を見ることすらできないのに、自分の想いをしたためた手紙を渡すなんて……。そんなこと、宮古にできるはずがなかった。  だが、宮古は迫の名前を呼んでしまった。ならばなにか、話題を提供しなくてはいけない。  アスファルトに視線を彷徨わせながら、宮古は必死に話題を探した。……このやり取りも、毎回のことだ。  それでも毎回、迫は宮古の言葉を待ってくれる。……そんな優しい迫だからこそ、宮古は好きでい続けてしまうのだが。 「──箱、って……開けた、の?」  絞り出した話題は、迫が注文した箱のことだった。話題を口にするとすぐさま、宮古は頭の中で自分を責める。  SNSの監視をしていると、迫に伝えていない。むしろ、見ていないフリをしているくらいだ。  となると、この話題は宮古的に大変よろしくない。遠回しに、迫とクラスメイトの会話に聞き耳を立てていたと知られてしまうかもしれないからだ。  宮古は慌てて、言い訳の言葉を探す。 「こっ、声……っ! おっ、大きくて……たっ、たまたま……あのっ、きっ、聞こえて……っ」  迫からは、なにも言われていない。だというのに、言い訳を始めてしまった。それも不自然だったかと、宮古は内心でさらに焦る。  しかし……。 「あっ、さっき教室で話してたやつ? 聞こえてたんだ?」  迫は変わらず、笑顔のままだ。 「ぁ……う、ん」 「あれね。昨日、届いてすぐに開けたよ」 「へっ、へぇ……っ?」  手のひらに、じっとりと汗が滲む。  おかしくは、なかったか。自分の応対は、間違いではなかったかと。宮古は俯きながら、考える。  思わず、プライベートな質問をしてしまった。今の会話は、親友として適切な距離感だったかどうか。分かるはずもないのに、宮古は考える。  それ以上踏み込むのを恐れた宮古は、黙り込んだ。  そんな宮古を見下ろしながら、迫が声をかける。  ──予想外の言葉を。 「──なにが届いたか、気になる?」 「──えっ?」  思わず、宮古は顔を上げた。 「宮古が話題にしてくれたってことは、さ。なにが届いたのか、気になってるのかなって」  そんなこと、愚問だ。好きな相手のことはなんでも知りたい宮古にとって、当たり前に答えは『イエス』なのだから。  それでも、宮古はなんと答えるのが最適解なのか分からず、逡巡する。 「え、っと……」  SNSで写真とコメントが投稿されてからずっと、気になっていた。今回だけではなく、前々から、ずっと。  教室で迫と友人が交わしていた会話を、思い出す。 『今度見せろよ~』  なにが届いたのか教えない迫に対して、友人が言っていた返事だ。  あの友人たちも気にしていたのだから、宮古が揃って中身を気にしたっておかしくはない。……はずだ。勇気を奮い立たせるために、宮古は鞄をギュッと握り締める。  迫から視線を外してから……宮古は、頷いた。 「そっ、の……っ。……う、ん。気に、なる。ごめ、ん……」  消え入りそうな声で、なんとか返事をする。  ──踏み込みすぎじゃ、ないだろうか。  ──おかしくは、ないはず。  不安がグルグルと頭の中を駆け巡り、宮古は俯く。ここまで勇気を出したのは、いったいいつ振りか。そのくらい、宮古にとっては大冒険だった。  内心ではパニック寸前どころか既にパニック状態なのではと言う宮古に対し、なにも知らない迫が笑う。 「──じゃあ、見に来る?」  すると、またしても予想外の言葉が、迫の口から放たれた。  宮古は俯いたまま、目を丸くした。 「えっ? で、でも……ひ、秘密、って……っ」  友人には『秘密』と答えていたのを、宮古は知っている。ゆえに、その誘いは予想外だったのだ。それと同時に『揶揄われているだけかもしれない』と思いつつ、宮古は訊ねた。  宮古の問いに、迫は変わらず笑みを浮かべたまま答える。 「うん、秘密だよ。箱の中身は、友達には秘密」 「なら──」 「でも、宮古はただの友達じゃないでしょ?」  下を向いていた宮古の視界に、笑みを浮かべた迫が映った。 「──宮古はね? 俺の、特別だよ」  迫が向けてくれる笑顔は、いつもと変わらない。そして迫が言う『特別』の意味は『親友だから特別なんだ』と、分かっている。  それでも、宮古にとっては強烈な言葉だ。 「っ! ……ぅ、ん……っ」 「あっ、視線逸らさないでよ。……まったくもう」 「ごっ、ごめん……っ」  迫から顔を背けて、ポツリと呟く。  顔が、熱い。ここまで熱くなったのは、久し振りだ。  迫にとって今の発言は、何気無い一言だっただろう。  それでも宮古にとっては、盛大な口説き文句だった。迫が言った『特別』という言葉を、宮古は宮古自身でも驚くほど過剰に意識してしまったのだ。  宮古は顔を背けたまま、さらに呟く。 「あ、あの、迫。……見に、来るって……ど、どういう、意味?」 「ん? 普通に、そのまま。『うちにおいでよ』って意味だけど?」  数回、宮古は迫を家に招いたことはあった。  けれど、宮古は迫の家に行ったことはない。好きな相手の家に行って、意識しない自信が無かったからだ。 「……っ。でも、いきなり、そんな。……親、とか」 「あれ、言ってなかったっけ? 俺の親は共働きだから、平日はいつも夜までいないよ?」 「ッ!」  宮古は小さく、息を呑む。  ──つまり今、迫の家に行ったら。……もれなく、二人きりだ。  ご褒美どころか拷問なのではないかと疑ってしまいたくなる事実に、宮古は意識をしてしまう。  迫と、ひとつ屋根の下。しかも、二人きりという状況。……率直に言えば、危険だ。  けれど、迫の買った物を自分だけが見ることを許されている。ふたつの事柄を天秤にかけ、脳をフル稼働させて宮古は悩む。 「勿論、宮古が今日だと駄目なら別の日にするよ。俺はいつだって、宮古ならウェルカム姿勢だからさ」  悩む宮古を、迫は決して急かしたりしなかった。そんな優しさに、宮古の胸が痛む。  ならば。……終わりにする、いい機会なのかもしれない。猛スピードで稼働していた宮古の頭が、そんな答えを叩き出す。  迫の家で、手紙を渡そう。  そして、全てを終わりにしてしまえばいい。  迫が自分を、心の底から親友だと思って信頼してくれているのは、今のやり取りで伝わった。宮古自身、今すぐにでもその信頼に応えたいという気持ちがある。宮古が迫に抱いている恋心さえ捨てられたら、迫の気持ちに応えられるのだ。  宮古は目の前に立つ迫へ、視線を向けた。 「……箱の、中身。知りたい、し……み、見たい……っ」 「うん。そう言ってたね?」 「だから、あの。……迫が、いいなら……今日、行きたい……っ」 「うん、いいよ。じゃあ、決まりだね?」  宮古の返事を聴いて、迫がもう一度、笑顔を見せる。 「早速行こっか。……なんか、イケないことをしてるみたいでワクワクするね、宮古?」 「……そ、う……かも」  迫の笑顔に胸を締め付けられながら、宮古は迫の隣を歩き始めた。  * * *  迫の家は、普通の一軒家だった。  一階建ての平屋で、家族三人には広すぎず狭くもない。普通サイズの家だ。 「おいで、宮古。中に入っていいよ」  先に玄関で靴を脱いだ迫に続き、宮古も靴を脱ぐ。 「……お、おじゃま、します……ッ」 「あはっ。宮古、緊張しすぎだって」 「ご、ごめん……ッ」  好きな人の家なのに、緊張しない人なんていないだろう。……勿論そんなこと、迫には言えないけれど。  迫の後ろをついて歩きながら、宮古は廊下をキョロキョロと見回す。 「ここが、迫の家……」 「うん、そうだよ。俺の家」 「ヤッパリ、その……迫の匂いが、する……」 「あははっ、そう? まぁ、俺の家だからね」  スンと鼻を鳴らし、匂いを嗅ぐ。  迫が近付いてきたとき、いつも香る匂いがある。その匂いが、廊下には充満していた。  口元が緩みそうになるのを、宮古はなんとか堪える。  まるで、迫に包まれてるみたいだ、と。そんな浅ましい妄想を、抱きながら。  意識をしなくても、脳に届く迫の匂い。迫に抱きすくめられているかのような錯覚に、クラクラしてしまいそうだ。 「ここが俺の部屋」  ひとつの部屋の前で、迫が立ち止まり、そう言った。  案内をされたはいいが、迫の足は止まったまま。自室に入ろうとしない迫に向けて、宮古は不思議そうに訊ねる。 「……迫? 入らない、の?」 「俺としたことが、ちょっと失念。先ずはなにか用意しないとね。今すぐお茶とかお菓子とか持ってくるから、先に入って待ってて?」 「えっ」  本人不在な中、勝手に好きな人の部屋に入るという特殊すぎるイベント。予想外の提案に、宮古はビクリと肩を震わせた。  その震えを、どう思ったのか。迫はクスッと可笑しそうに笑う。 「別に中でライオンが待ってるわけじゃないんだし、そんなに怯えないでいいんだよ?」 「ご、めん。……おっ、お構い……しなくて、いいから……っ」  だから、一緒に入ってほしい。そういうニュアンスで言ったつもりだったが、迫は気付いていないようだ。 「あははっ。大丈夫だって。……すぐ戻るから、中で待ってて?」  どうやら迫は、知らない場所で一人になることに対して宮古が不安を募らせていると解釈したらしい。いじらしい理由で自分を引き留めているんだと思っている迫を、宮古は裏切ることができない。  迫は笑顔のまま、宮古を残してその場を離れてしまう。 「あっ、さっ、迫……っ!」  迫がいなくなり、一人、廊下に取り残される。 「そ、んな。……どっ、どうしよう……っ」  ──先に、部屋の中へ入るべき?  ──それともここで、迫が戻ってくるのを待つ?  そもそも宮古は、友達の家に行ったことがない。友達が、迫以外にいないからだ。独りぼっちの通路で、宮古はモヤモヤと悩む。 「こういうとき、って……先に入ってるのが、普通……? それとも、図々しい……? でも、ここで待ってるのは、ヤッパリ……変、だよね……?」  考えたって、答えが分かるわけではない。宮古は意味も無く、キョロキョロと周りを見回す。……当然、誰もいないが。 「……今日で、終わりにするから……っ」  鞄の中に入っている手紙を思い出し、宮古はドアノブに手を伸ばした。  ゆっくりと、扉を開く。そしてそのまま、部屋の中を覗いた。  ベッドと、学習机。そして、パソコンが置かれた机があるだけ。実に殺風景で、シンプルな部屋だ。  無駄な物が一切無く、生活感らしき物は今朝着替えたであろう寝巻のみ。きちんと畳まれた寝間着が、ベッドの上に置かれている。  部屋の中に入り、宮古は吸い寄せられるかのようにベッドへと近付く。 「す、ごい。迫の、寝巻だ……っ」  ベッドの上に畳んで置いてある寝巻を見て、宮古は手を伸ばそうとする。 「迫、パジャマじゃなくて……シャツと短パンで、寝てるんだ。……知らな、かった」  てっきり、迫はパジャマで寝ていると思っていた。意外な一面に、宮古は頬をゆるめる。  ──だが、慌てて手を引っ込めた。 「バッ、バカ……ッ! 迫は、僕を信頼して部屋に入れてくれたんだろ……ッ!」  宮古なら、一人で迫の部屋に入ったって、なにもしない。迫はそう思って、宮古を一人にしたのだろう。  危うく迫の信頼を裏切りそうになった宮古は、伸ばしかけた右手を、左手で握る。そしてすぐさま、ベッドから視線を外した。  次に目を向けたのは、パソコンだ。  機械には疎い宮古だが、そんな宮古の目にも……迫の部屋に置いてあるパソコンは、高そうに見えた。 「このパソコンで、昨日の荷物……注文、したのかな……?」  視線がパソコンから、椅子に移る。  迫が座った、椅子。視線が釘付けになりそうな自分を、宮古は慌てて叱る。 「バカ、僕のバカ……っ! だから、迫は僕を信じてくれてるんだってば……っ!」  宮古は頭を何度も横に振り、今度は学習机に視線を移した。  そこで宮古は、見覚えのある物を見つける。 「──え、ッ?」  学習机に近付き、机上に置いてある物を、ただただジッと見つめた。  やがて硬直が解けた体を動かし、宮古は宮古の視線を釘付けにした【とある物】を手に取り、表と裏を見る。 「……な、んで? ……こ、れ……って……えっ?」  ──それは決して、迫の部屋にあってはいけない物だった。……あるはずが、ないものだ。  なぜならならそれは──。  ──その瞬間。 「──な、に……?」  聞き覚えのない音が、宮古の鼓膜を揺さ振った。  激しい、電気のような音。けれど、銃を乱射した音のようにも聞こえる……耳障りな、音だ。  その音はどう考えても、日常的に聞くことはないはずの音。宮古は、音がした方をゆっくりと振り返る。 「……ッ、さ──」  後ろに立っていた人物の名前を、宮古は呟こうとした。  ──だが、できなかった。 「──そっか。見ちゃったんだね、宮古?」  不可解な音を鳴らしている黒い物体が、宮古の首筋に押し当てられる。 「──ッ!」  それによって、宮古はバランスを崩す。  呆気無く床に倒れ込んだ宮古は、頭を強く打ち付けてしまう。  どうして、迫の部屋に【あれ】があるのか。……そう考えると同時に、宮古の意識はプツリと切れた。  * * *  柔らかな、感触。そして心の奥まで満たされるような、匂い。  ズキズキと頭が痛む中、宮古はゆっくりと……瞼を、開く。 「……っ? ……あ、れ……僕……っ?」  数回瞬きをした後に、宮古は瞳を動かす。自分がどこでどうなっているのかを、確認するために。  ……状況が、全く分からない。薄暗い部屋を見回すように、瞳を動かし続ける。  すると、一人の人物が目に映った。 「──さ、こ……ッ?」  ──椅子に座りながら、パソコンを操作している迫だ。 「……あっ、宮古。……目、覚めた?」  名前を呼ばれてから、迫は振り返る。その表情は、笑顔だ。 「僕、確か……迫の家に来て、それで……?:  迫が操作しているパソコンは、ついさっき宮古が眺めていたパソコンだ。  そこで、宮古はやっと……全てを思い出した。 「そ、うだ。……僕、迫に……ッ!」  ハッとして、パソコンの置いてある机に目を凝らす。そこには聞き覚えのない音を発していた物体が置いてある。  ……つまり、宮古の首筋に押し当てられた物体が置いてあった。 「宮古? どうしたの?」  迫の名前を呼んでから黙り込んだ宮古を、迫は不審に思う。  しかし、宮古とは目が合わない。迫はそのまま、宮古が見つめる先に視線を移す。 「……さ、迫。……それ、なに……ッ?」  迫の視線が、自分と同じ物を捉えていると宮古は気付く。ゆえに、主語がなくても伝わるはずだ。  震える唇でなんとか宮古が呟くと、迫はすぐに手を伸ばした。 「あぁ、これ?」  迫は黒い物体を手に取り、宮古を振り返る。宮古の視界にハッキリと映ったそれは、宮古も知っている道具だった。  訊ねられた迫はと言うと、なんてことないようにサラリと答える。 「──スタンガンだよ」  本来なら、威嚇や防犯に使う道具。宮古にとっての【スタンガン】とは、そういう道具だ。  当然、そんなものはアニメやドラマの世界でだけ登場する道具。現実世界で目にすることなんて、ただの高校生では考えられない。  だが、気を失う直前。……迫にスタンガンを押し付けられた事実を、宮古は憶えている。  電気が走ったショックで体の力が抜けた宮古は、そのまま倒れた。そのまま頭を強く打ち、気絶してしまったのだ。 「な、んで……ッ?」  スタンガンを押し付けられたあの一瞬が、フラッシュバックする。 『──そっか。見ちゃったんだね、宮古?』  迫は笑みを浮かべながらそう呟き、スタンガンを押し付けてきた。 「……『見ちゃった』って、なにを……っ?」  迫の言葉を、宮古は頭の中で繰り返す。ゆっくりと状況を把握しながら、宮古は学習机に視線を移した。  なかなか会話が噛み合わない宮古を、迫は不思議そうに眺める。 「宮古? さっきからどうし──」 「迫……ッ!」  迫の目が、丸くなった。  珍しく、ハッキリとした語調で、宮古が迫の名前を呼んだからだ。  学習机の上には、宮古が見つけてしまった【ある物】が置いたままだ。  宮古は学習机を見ながら、体を震わせた。 「なっ、なんで……っ? なんで、あれが、迫の部屋に、あ、ある、の……ッ?」 「『あれ』って、なに?」  迫はスタンガンを手に持ったまま立ち上がり、学習机に近付く。 「……もしかして、これのことが気になってるの?」  宮古が見つめている【ある物】を、迫は手に取る。  そして、迫はニッコリと、宮古に笑みを向けた。 「──だってこれ、俺宛でしょ?」  ──それは。  ──宮古が自宅で捨てた、迫へのラブレターだ。 「なんでっ、なんで、迫が……っ?」  迫が、宮古が書いたラブレターを持っているはずがない。なぜなら宮古は、ただの一度も迫に手紙を渡せたことがなかったのだから。  それでいて、書いた翌日の夜には、手紙をゴミ箱に捨てている。つまり、この世に一通として残っているはずがないのだ。  持っていてはいけない相手の手に。  あるはずのない物が。  しっかりと、握られている。  宮古は寒がりではあるが、迫の部屋は震えるほど寒いというわけではない。……だと言うのに、宮古の体はガタガタと震えだした。  封筒には、宛名はおろか差出人の名前も書いていない。それなのに、迫はその手紙が【自分宛の物だと知っている】。  ──つまり。 「──中を、見たの……ッ?」  鈍器で、頭を殴られたかのような。そんな錯覚を起こしてしまうほどの、衝撃。 「……ぁ、あァ……ッ!」  言葉にならない言葉が、宮古の喉奥から勝手に漏れ出る。宮古は顔面蒼白になって、情けなく震えていた。  そんな宮古とは対照的に、迫は。 「宮古? どうかした? ……もしかして、寒い?」  ──笑顔のままだ。  学習机から、横たわる宮古のそばへ。近付いてきた迫から、宮古は反射的に逃げてしまう。  上体を起こし、逃げようと後ずさったことにより……宮古の体は、壁にぶつかる。  ──そこで宮古は、ふたつのことに気付いた。  ひとつ目は、今の自分が座っているのは迫の部屋に置いてあるベッドの上だということ。倒れた宮古のことを、迫が運んでくれたのだろう。  だが、そんなことはどうでもよかった。重要なのは、もうひとつのことなのだから。  壁と、宮古の背。……その間に、なにかがある。  それがいったい、なんなのか。それこそが、ふたつ目に気付いたことだ。 「や、だ……ッ! なんでっ、なにこれっ、なんで……ッ!」  ふたつ目に、気付いたことは。  ──自分の両手首に、手錠が掛けられているということ。 「なんで……っ? なんで、なんでッ!」  ──スタンガンを押しつけられた意味が、分からない。  ──どうして迫の部屋に、捨てたはずの手紙が置いてあるのか。  ──気絶している間に、どうして手錠を掛けられたのかすら。  なにひとつ。  どの意味も、理由も。  宮古には、分からなかった。  だが。パニック寸前の宮古にも、ひとつだけ分かることがあった。  ──この状況は、普通じゃないということが。 「宮古? ……大丈夫? 顔色が悪いよ?」 「さ……さ、こ……ッ」  戸惑っている宮古とは違い、迫はいつもと変わらないように見える。  変わらないはずなのに、宮古の心臓は早鐘を打ち続けていた。  笑顔も、宮古を心配する口振りも、全てがいつも通りの迫だ。 「な、んで? 同じ、なのに……いつもと、違うよ……っ!」  宮古が壁に後頭部をぶつける頃には、迫の体もベッドの上に乗っていた。 「ねぇ、気付いてくれた? ……宮古、見たがってたでしょ?」 「み、た……が……?」 「俺が、注文した物」  いつも以上に言葉が出ない宮古の考えを察して、迫が語る。 「その手錠と、このスタンガン。他にも……まぁ、色々とね? 宮古のことを想って、取り揃えたんだよ」  迫はそう言いながら笑うと、さらに宮古との距離を縮め始めた。 「──宮古、可愛い。あぁ、本当に可愛いなぁ……っ」  手錠をかけられ、身動きの取れない宮古の顔を。迫は、普段と変わらない明るい笑顔で覗き込む。  そんな迫の目には、輝きがなかった。 「宮古の目玉、震えてるね? あはっ、可愛い。黒目に俺が映って──あっ、今、俺から逸らした? ホント、宮古は可愛くて仕方ないよ……っ」  目の前に膝をついて座った迫が、距離を詰めてくる。  なにが、起こっているのか。なにを言われているのかすら、分からない。  宮古は視線を彷徨わせることしかできず、言葉を失った。 「いつもの俯いてる宮古も可愛いけど、怯えて視線をウロウロさせてる宮古も。……ホント、可愛いなぁ」  視線に落ち着きのない宮古とは対照的に、迫はジッと、宮古だけを見つめ続ける。  穴が開きそうなほど、見つめられて。……こんな状況だというのに、宮古はどんどん頬を赤らめていく。 「さっ、迫……ッ」  自分が手錠を掛けられている理由も、迫の言動も。宮古はなにひとつ、理解できない。  だが、理不尽で不可解な現状でも、目の前にいるのは迫だ。大好きな迫に見つめられて、宮古が落ち着けるはずがない。  宮古の気持ちを知ってか知らずか、迫は笑顔のまま訊ねる。 「俺にジロジロ見られて、恥ずかしい?」  迫の問いに、宮古は小さく頷く。 「や、だ……っ。お、お願い。みっ、見ないで……っ」  蚊の鳴くような声で、宮古は訴える。  すると、迫が肩を揺らして笑った。 「あははっ! ただ顔を見られるだけなら、なにも恥ずかしくないんじゃない?」  そう言いながら、迫は自分の履いているズボンのポケットから、スマホを取り出す。 「恥ずか、しいよ……っ」  なんとか視線を逸らしてもらおうと、宮古は言葉を探した。 「さ──」  宮古の言葉を、迫が遮る。 「──顔よりも、宮古の【もっと恥ずかしいところ】をさ。俺は、たっくさん見てるんだよ?」  宮古の目の前に、迫はスマホを掲げた。  スマホの画面に映し出されていた映像に、宮古は絶句する。 「──ッ!」  そこに映っていた映像は、あろうことか宮古を撮ったものだった。  けれど、絶句したのはそれだけが理由じゃない。  ……そこに、映っていたのは。  ──本来、誰かの目に映るべきものじゃないからだ。 『ィ、きそ……ッ』  スマホの画面で再生されている、その映像。  ──それは、欲望の赴くままに逸物を扱いている……宮古の姿だった。  ──昨晩の、自慰行為だ。 「なっ、なん、で……ッ!」  赤くなっていた顔が、もう一度青白くなる。 『……っ。……迫……ッ』  勝手に、迫の写真を精液でベットリと汚したくせに。まるで被害者のように、涙を流している浅ましい自分の姿。  迫は映像を停止させて、宮古を見る。 「宮古って、考えてることがなんでも顔に出ちゃう──嘘の吐けない、素直な子だよね?」  スタンガンをベッドの上に置くと、迫が独り言のように語り始めた。 「最初はさ。『人見知りを拗らせちゃった子なんだろうなぁ』って思って、宮古に声をかけたんだ」  入学式の日。宮古に声をかけてくれたのは、迫だけだった。  そのことを、宮古は今でも鮮明に憶えている。 「全然目は合わないし、会話も弾まなかったけどさ? 俺のことが嫌いなわけじゃなくて、どうしていいのか分からなくて、いつもいっぱいいっぱいだっただけなんだよね?」 「……ッ」 「そんなところが、放っておけないなぁって思ってたんだけど……俺、見ちゃったんだよね」  先ほど──自分のスマホを取り出したポケットとは、反対のポケット。そこに迫は、手を突っ込む。  ポケットから取り出されたのは、宮古のスマホだった。 「さっ、迫……ッ! なっ、なん──」 「──ねぇ、宮古? 俺のこと、盗撮してたでしょ?」  いつの間にスマホを盗ったのか。訊ねようとした宮古の言葉を、迫は遮る。  宮古のスマホにかけてある、パスワードロック。それをあっさりと解除して、迫は写真が保存してあるフォルダを開く。  フォルダの中には、ビッシリと迫の写真が保存されていた。 「ちっ、ちがっ、違う……っ! そっ、それ、は──」 「なんでこんなことしてるのかなぁって気になっちゃってさ。やってみたら、宮古の考えが分かるかなって。だから俺も宮古のこと、盗撮してみたんだよね。……ほら、これが証拠」  もう一度、迫が自分のスマホを宮古に見せる。今度は映像ではなく、宮古の写真が映し出されていた。  衝撃的な告白に、宮古は息を呑んだ。 「迫が、僕を……っ?」  勿論宮古は、自分が迫に盗撮されているなんてことに、全く気付いていなかった。 「でも、俺は静止画じゃ宮古が熱中するほどの良さってやつが、全然分からなかった」  そう言う迫は一度、ベッドから降りる。そして、パソコンに近付いた。  マウスを使って、迫はパソコンの画面を切り替える。  ──そこには、驚きの光景が映し出されていた。  パソコンの画面に映し出されたものを見て、宮古は自分の目を疑った。 「静止画だけじゃ、宮古の気持ちは分からなかった。……だからさ。俺は、動画を撮ってみたんだ」  パソコンの画面に、映し出されたのは……。  ──宮古の、部屋だ。  三方向から部屋を映し出しているパソコンの画面に、宮古は目を見開く。 「な、なんで……っ? それ、だって……えっ?」  映し出された宮古の部屋は、薄暗い。この場所──迫の部屋と同じく、暗いのだ。  という、ことは……。  ──パソコンが映し出しているのは、今現在の、宮古の部屋。  宮古はようやく、自分の部屋にカメラが仕掛けられたいるのだと気付いた。  しかし、理解だけが追い付かない。  いつの間に、そんな物を設置したのか。呟く前に、迫が続きを話す。 「俺、何回か宮古の部屋に行ったことがあったでしょ? その日にさ、宮古がトイレに行ってる隙を狙って、急いで設置してみたんだけど……もしかして、今までずっと気付いてなかったの?」 「……っ。……ぅ、ん……」 「だろうね」  迫は肩を揺らして笑いながら、もう一度ベッドに近付き、腰掛ける。 「知ってたら、あんなにエッチなこと……恥ずかしがり屋の宮古には、できないもんね?」  先ほどスマホで見せ付けられた動画を、宮古は思い出す。  部屋にカメラが置いてあるということは、昨日の自慰行為だけではなく……今までのも全て、見られていたということ。罪悪感と羞恥心が入り混じり、宮古は複雑な心境に陥る。  迫に、軽蔑された。どこまでも浅ましい宮古が行き着いた心の落としどころは、そこだ。  しかし迫は、宮古の不安とは正反対の言葉を口にした。 「──ヤッパリ宮古は、動いてる方が何倍も可愛いね」 「……えっ?」  迫の手が、宮古の頬に添えられる。  軽蔑され、睨まれ、罵倒されるのか。即座に宮古は、そこまで考えたというのに……。  ──手つきだけでなく、表情までもが……今の迫は、どこまでも優しいのだ。 「おどおどして、いつも一生懸命な宮古がね? ……俺は、大好きなんだ」  迫の言葉を拾う宮古の耳が、熱くなる。 「ずっと、ずっとずっとずーっと見ていたいくらい……大好きだよ、宮古」  そう呟いた迫の唇が。  宮古の唇に、重ねられた。 「ん……ッ!」  くぐもった声を漏らすのと同時に、宮古は頭の中で呟く。  まさか今、自分は大好きな迫と妄想ではなく、本当にキスをしているのか。夢よりも夢のような状況を、宮古はすぐに情報として脳に伝達できない。  しかし触れるだけのキスは、すぐに終わる。それと同時に、目の前で迫がニッコリと微笑んだ。 「あはっ。俺たち今、目が合ってるね。……可愛いよ、宮古」 「ぁ……ッ」 「また逸らした。だけど、そんなところも変わらず可愛いよ」  真っ直ぐに見つめられて、宮古はモゾモゾと身じろぐ。  迫に好きと言われ、キスをされた後に、笑顔で可愛いと言われ……。宮古の心と体は、パニック状態だ。  迫の言っていた『特別』は、そういう意味での【特別】だった。  盗撮をされていた事実。  スタンガンで意識を奪われ、手錠までかけられている。  夢にまで見た迫とのキスが、実現した。  嬉しさと不安が、同時に宮古を襲ってくる。  パニック状態の宮古では、それらのことを一気に処理することは、できなかった。 「困惑してる? 戸惑ってる?」  頭の中を見透かしているかのような、迫の言葉。 「俺がなにかする度に、戸惑っていっぱいいっぱいになっちゃってさ? 学校でも家でも俺のことばっかり考えて、手紙も毎日毎日丁寧に書いて、俺を想って毎日オナニーして……。本当に、宮古は俺のことが大好きだよね?」 「さ、こ……ッ」 「今だって、感じちゃったでしょ?」 「え──ぅわ、ッ!」  迫の手が、頬から離れた。かと思うと、そのまま迫の手は宮古が穿いている制服のズボンに伸ばされたのだ。  宮古は驚きから、普段ならば絶対に出さないような声量で声を上げた。 「さっ、迫……ッ! 待って、お願い、待って……ッ!」 「宮古、もしかして気付いてない?」  ズボンのベルトを外し、迷いなく迫はチャックを下げる。 「宮古がオナニーする時間帯を計算してみたら、今が大体平均の時間帯なんだよ?」  そんなこと、宮古は勿論、知らない。むしろどうして、迫が『知ろう』と思って計測してみたのかも分からなかった。 「大丈夫、痛いことはしないよ。毎日見てたから、宮古の気持ちいいところは分かってるし。……ねっ?」  迫はそう言うと、勃ち上がりかけた宮古の逸物を、下着の中から取り出す。 「や……ッ」  抵抗しようとするも、手錠のせいで腕が使えない。  ならば脚を閉じようと動かすよりも先に、迫が動く。 「自分の部屋で、俺の写真を眺めてるときと同じ勃ち方だね? 宮古は本当に、どこもかしこも……可愛いなぁ」  宮古の逸物を握り、迫が先手を打った。 「あ……ッ!」 「宮古はまず、目を閉じるんだよね」  そう言うと迫は、逸物を握っていない方の手で宮古の目元を覆う。 「最初は……頭の中で、俺に攻められてる妄想をするんでしょ?」 「ん、ぅ……ッ」 「それでゆっくり上下に扱いて、完全に勃起させるんだよね?」  迫の、言う通りだ。  宮古の自慰行為をなぞるように、迫は口で説明しながら、手を動かす。 「いつもより勃つのが早いね? それに、濡れるのも早い。エッチで、凄く可愛いよ、宮古」 「さっ、迫……さ、こぉ……っ」 「次に、目を開く」  目元を覆っていた迫の手が除けられ、宮古の視界に勃起した自身の逸物が映る。 「迫、が。迫が……僕の、触ってる……っ」  恥ずかしいはず、なのに。……視線が、逸らせない。  迫は手を止めず、宮古を見つめた。 「あれ? いつもは写真を見てるよね? 今日は目の前に本物がいるのに、見なくていいの?」 「は、恥ず……かしぃ……んッ!」  好きな人に逸物を扱かれて、目を見られるわけがない。  迫の手に、逸物が包まれたかと思うと、すぐに先端が顔を出す。それの繰り返しなのに、宮古は見入ってしまう。 「宮古、目を逸らさないでよ。……ねぇ、宮古? 俺を見てよ、宮古?」 「むり、むり……ぃ、あっ」 「怖くないから、ねっ?」  迫の優しい声に、先端からしとどに蜜が溢れ出す。 「ひゃ、ぁ……さ、こ……ッ」  迫の手が、先走りの液で汚れていく。許されないことだと気付いていながらも、頭の中で描いていた妄想が、目の前で現実として起こっているのだ。 「あっ、ん……ッ」  宮古の頭からは、既に【抵抗】の二文字が、消えていた。  淫猥な音が響く中、迫が囁く。 「ねぇ、宮古。……宮古、お願い」  もう一度名前を呼ばれ、宮古は逡巡する。  けれど宮古は……迫の顔へ、視線を向けた。 「は、あっ、迫……さ、こぉ……ッ」 「うん、分かってるよ」  手の動きは、普段から宮古が自分でしている自慰行為のそれと、全く同じ。  それなのに、自分の手ではなく大好きな迫の手だという事実だけで……宮古の体は簡単に高められてしまう。 「ィ、イき……そぉ……っ。迫、さこぉ……っ」  グチュグチュといやらしい音を立てている逸物を見れば、宮古の限界が近いことくらい、迫にだって分かる。 「今日は、本当に早いね」 「ゃ、あッ、ん……ッ」 「泣きそうな顔してるね? ……あはっ。堪らなく可愛い」  射精してしまいたい快感。  それと、迫の手をこれ以上汚したくないという理性。  相反するふたつの感情が、宮古の中でせめぎ合う。   「イク、から……迫、だめ、手……ッ!」  宮古は、必死に身じろぐ。  だが、迫は宮古の逸物から手を放そうとしない。むしろ、逸物を扱く速度を速めていく。 「は、ぁ……や、だぁ……んッ!」 「必死に我慢してる? 本当に、俺の宮古は可愛い。……でも、さ?」  根元から先端までをしっかりと扱いていた迫の手が、先端を重点的に狙い始めた。  ──その動きは、宮古がしている自慰の動きと、全く同じだ。 「ココをこうされるの、好きでしょ? 俺、宮古のことなら全部知ってるんだよ?」  迫が宮古の部屋にカメラを設置していたのが嘘なんかじゃないと、宮古は身を持って知ってしまった。  少しの恐怖は、残っている。だがそれ以上に、宮古の体は快楽を欲してしまった。 「だ、め……ッ! イ、く……ッ」  いつも自分がするのと同じように逸物を扱かれ、宮古は力強く唇を噛み締める。  突き立てられた歯が唇を傷付けるのと同時に、宮古の体が大きく震えた。 「ふ、ぅ……く……んぅ、っ!」  大好きな親友の手を白く汚しながら、宮古は何度も体を震わせる。 「もう出ちゃったの? ……ふふっ、嬉しいな」  迫は逸物の先端から迸る宮古の精液を、笑みを浮かべたまま眺めていた。 「はっ、はぁ……あッ」 「凄いね、宮古。いつもより多いよ」  息を切らしてぼんやりと座り込む宮古に、迫は満足そうに呟く。  普段、迫の写真をオカズにして抜いているときよりも……精液の量が、多い。それは、宮古も体感的に気付いていた。  しかし改めて指摘をされて、宮古は耳まで赤くなる。 「ご、ご、めん……なさい、迫……ッ」  迫の手を、ベトベトに汚してしまった。写真を精液で汚してしまったのとは比べるに値しないほどの罪悪感に、宮古はポロポロと涙を流す。 「迫、さこぉ……ッ」  一度溢れた涙は、止まってくれない。  情けない声を漏らしながら、宮古は涙を流し続けた。  宮古は、泣きじゃくっていた。  その目元を、迫がペロリと舐める。  突然の行為に、宮古は涙を流しながら迫を見つめた。 「写真を汚したときと、今。どっちにしても、泣いちゃうのは同じなんだね」 「……ご、ごめ……ッ」 「俺がやったんだから、宮古は悪くないよ。だから、謝るのはナシ」  優しく呟く迫は、ティッシュで手と逸物を拭く。  後始末の手を動かしながら、迫は諭すように言う。 「勿論……自分に自信が無くて、そんな自分を責めちゃう宮古も、俺は大好きだけどね?」 「……ッ」 「あははっ、赤くなった」  ティッシュで精液を拭き取り、迫はニコリと笑う。  ズボンを元通りに穿かせてから、迫はもう一度、宮古にキスをした。 「宮古。俺はずっとずっと、宮古を見てた。ずっとずっとずっと、好きだったよ。今も、大好き。心の底から愛してる。大好き、大好きだよ。愛してるよ、宮古」  迫の言葉に、宮古は視線を彷徨わせる。 「キスしたい。……していい?」  ──見ていたのは、自分だけではなかった。 「あ……ん、ッ」 「ん、ふふっ。……ごめんね。返事、待てなかった」  ──迫も、自分を見ていてくれたのだ。  その事実が、宮古にとってはただただ純粋に……嬉しい。 「大好きだよ、宮古。愛してる、大好き、大好きだよ」 「さ、こ……っ。……ぼ、くも……っ」  宮古の呟きに応えるように、迫の唇がもう一度……重ねられた。  * * *  帰宅した宮古は自分の部屋に入り、制服の上に着ていたジャージを脱ぐ。そのまま部屋着に着替えようと、グチャグチャのネクタイに手を掛ける。  ……そうしてから、宮古はふと、思い出す。 「……あっ。迫の、カメラ……」  正確な設置場所は分からないけれど、この部屋には迫のカメラがある。  ……つまり服を脱いだら、迫に裸を見られるかもしれないのだ。 「……っ。今日は……毛布の下で、着替えよう……かな」  その日の晩と、翌日の朝。……カメラを意識しすぎて宮古が取った行動を、迫は当然知っている。  登校時間になってからその行動を迫にからかわれる未来に、宮古はまだ、気付いていなかった。 【目が合わなくても愛してる】 了

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