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『Truth オメガバース』藍白
静かな森の一軒の診療所。ここにユンはいる。
「……」
静かだ。
ここは静かだ。
静かすぎて……胸が痛む。
ユンには番がいた。しかし今はいない。
この世界には、男女という第一性の他に、アルファ、ベータ、オメガという第二性が存在する。
「……シーク」
今ここにはいない番の名を呟く。
シークはアルファ。そしてユンはオメガだ。アルファであるシークが、オメガであるユンのうなじを噛んで、ふたりは番となった。それは今から三年前の出来事だった。
そして別れ。シークは海に消えた。それは突然で、今でもユンはシークの帰りを待っている。
シークの亡骸は戻っては来ていないのだから。
「会いたいよ……」
でもそれは真実か否か。それはもう誰にもわからない。
海の藻屑となり消え去ったのか、それとも――。
「シーク」
それでもユンにはシークしかいないのだから。
番になれば互いに囚われる。それは運命で結ばれた絆だろうか。姿は見えないが心は縛られている。
「……ははっ」
噛み跡の消えたうなじを撫でる。シークが亡くなったと聞かされた前夜、ユンのうなじから噛み跡が消えた。それは番の解除を意味する。そして噛んだアルファの生死を教えてくれる。
番であれば一生噛み跡は消えることはない。だがアルファが番の解除をすれば、オメガとの縁は切れる。そしてアルファの命が消えれば――。
「早く……帰ってきてよ」
その言葉は、海には届かない。海から遠く離れたこの森の診療所に、ユンは住んでいるのだから。
「ユン、具合はどうだ?」
「先生。はい、今日はとても調子がいいです」
「毎日その返事だと怪しいな」
「ははっ、そうでもないですよ」
先生と呼ばれた男はアルファだ。そして名をヤールという。ヤールはシークの父だ。そしてこの診療所の医師でもある。
番になったことを知ったヤールは祝福した。しかしすぐに別れが訪れ、ひとりになったユンをここに引き取った。そうしなければならないほど、ユンは憔悴していた。それは今も変わらない。
体調は随分と回復した。しかしその心は囚われたまま。
恐らくは己の息子が噛んだであろうはずの跡は残されていないのだから。
「ん? そうか、そろそろか」
「……」
オメガには発情期がある。その時期が今、ユンにも訪れたのである。それは三ヶ月に一度オメガには訪れるもの。
「抑制剤を今回も出しておこう。だが」
「……」
「相手を見つけた方がいい」
「……それは」
「限界だということは、ユンもわかっているだろう?」
「……それでも僕には」
「シークはもういない」
「先生!」
「現実だ」
「……ひどい……」
「現実を見なさい」
「見ています……」
ぐずぐずと涙を浮かべながら、ユンは下唇を噛みしめた。
わかってる、本当は。
でも、もしかしたら……帰ってくるかもしれない……シークがここに。
今じゃないのかもしれない。
でも明日は?
明日戻ってくるかも。
「シークは死んだ」
「……」
だって、シークの亡くなった姿を僕は見ていないのだから。
亡くなったと聞かされたときには、シークが乗っていただろう船は沈んでいたのだから。だから亡骸はユンの元へは戻ってきていない。
だから信じてしまう。例えうなじの噛み跡がなくなっていたとしても。
「ユン、元気? おはよう」
気まずい空間に響く声。
「ああ、ユシカか。おはよう」
「父さん、おはよう。ユン、朝食を食べよう」
「……いらない」
「あれ~? 食べないと元気が出ないよ」
「……でなくても……」
本当はもうどうでもよかった。
ただシークの父であるヤールが自分を心配するから。
そしてシークの弟であるユシカが自分を心配しているから。だから元気にならなければと思って生きてきた。
三年。
番が亡くなり三年が経っていた。その時間は無意味で空虚だった。その空っぽのユンを支えていたのがふたりであった。
そんなふたりは顔を見合わせ小さく頷いた。
「ユン」
「……はい、食べます」
ヤールは医師だ。ここにいる以上、ヤールの指示に従わなくてはいけない。
うなじを撫でる。今は薄らと辛うじて番であった印が残されているうなじに触れる。番を感じることが出来ず、やはりユンの心には空虚感が流れた。
もういいかなあ。
もういいよね。
誰にともなく話しかける。答えはない。でもそれでよかった。口に出して伝えればきっと、このふたりは反対するだろうから。
「はい、これ。今日はね」
優しげな顔がシークによく似ている。でも違う。ユシカは弟だ。シークの弟。シークではない。
でも時折彼がシークなのではないのかと思えるほどには、もう時間が流れていた。
異変は午後に訪れた。日の陰った頃のことだった。
「んんっ」
それは突然やってくる。番であるシークを亡くしてからは、元々重かった発情期の症状がもっと重くなった。
発情の症状を抑えることの出来る抑制剤は服用している。しかしユンは、服用出来る抑制剤を飲んでも症状が治まることはなかった。
「は、あっ。あ、あん、あっ」
苦しい。
うしろが疼いて仕方がない。
止まらない。
苦しい。
「んんん――っ、ひぁっ」
自身の性器を扱き吐き出す。しとしとと勝手に溢れてくるオメガ特有の粘液を絡めナカへ指を突っ込む。でも欲しいところに届かなくて苦しい。
もう嫌だ。
どうしてこんな思いをしてまでひとりでいなくちゃいけないんだ。
もう……苦しい。
「ユン、入るよ」
「せんせ……くるし……ふぅ……んんあっ」
「……ユン、脱ぎなさい」
「ひあっ、あ、あん、あ、せん、せ……な、に……?」
「服を脱ぎなさい」
「な、んで、あっ、あ、ああ」
ヤールの言う言葉の意味はわからない。
矜持かもしれない。せめて人であろうとユンは抗う。服を脱いでひとり痴態を晒すことは今まで出来なかった。何かしらの衣服をまとい、下半身のみ剥き出しにして自分で自分を慰めていた。
三年。
「ユン、服を脱ぎなさい。ユシカ、手を貸してあげなさい」
「……」
「やっ、なんで、ここ、に、ユシ、カっ」
ユンはオメガだ。
ヤールは番のいるアルファ。そしてユシカは。
「……ユン、もういいよ……いいんだ」
「やあっ、やだ、やめてっ、シークっ」
でも返事は聞こえない。ここにシークはいないのだから。ここにもどこにも――。
「ユシカ、やめてっ、ひあっ、やっ、ああっ」
ユシカに服を脱がされ裸体が剥き出しになる。空気を全身に感じ、ユンは羞恥に襲われる。でも発情し熱の籠もった体はその刺激にさえも悶える。
「ユン、これは……必要なことなんだよ。もうユンの体も心も限界なんだ」
「あっ、ユ、シカ、やめ、てっ」
「ユシカ、やめてはいけません」
ヤールの言葉が、どこか遠くの方に聞こえてくる。ただただユシカの体温が、そして息使いのみが感じられる。
「ユン、気持ちい?」
「あんっ、あっ、やあっ、んんうっ」
「気持ちい?」
今までシークにだけ許していた体が開かれていく。
だって本当は、俺がユンの――。
でも番になったのは、兄の方だった。
それでもそばにいられれば、それでよかったんだ。
でも兄は死んだ。
今までユンが生きていけるように見守っていた。
でもこれからは――。
「ユン、大丈夫。これからは俺が」
「ひっ、ひんっ。あ、あぅっ。あ」
暴かれる。暴かれていく。
もう限界だった。番を亡くしひとり生きてきた。
でもそばにはいつも、ユシカの目があった。その目の意味するものに気付かぬふりをして今まで生きてきた。
シーク、ごめんなさい。
「あ、あ、あっ」
「気持ちいい?」
ぐぐっと後孔にユシカの熱が押し入れられる。
「ああ、あ、あ、ああ――」
「ん」
三年。
自分以外の誰にも触れられなかった場所が、番ではない男に暴かれていく。それは番にとてもよく似た男で。この人が番ではないのかと錯覚を起こしてしまうほどに。
「シー、ク」
「ユン、違うよ、俺はユシカ。番になろう?」
「あ、あん、あ、あ」
「ユン」
「つが、い……ひゃあっ、そ、こっ、あ、あ」
「ユン」
「ああ――」
「噛むよ」
「ああ……あ、あ――あ、あ」
交わる熱が心地よく、彼が番だと錯覚する。それほどまでに似ていた。そして三年。
気持ちいい。
気持ちよくって……ごめんなさい。
でも、これは、誰?
シークじゃない。
シークは誰?
番は、誰――?
「あ、あ……」
「俺が番。ユンの番」
「つが、い」
「そう、ユンの番はユシカ」
「ユシ、カ」
ああ、そうだ。
確かに、そうなのかも、しれない。
出会った時には番になっていたから。
シークに噛まれた後に出会った運命だったから。
だから――。
うなじに走る二度目の痛みは、幸福なのか、それは今のユンにもわからない。それでもいつの日にか、きっと。
END
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後日談
「――」
歌をうたう。ここにはいない彼の為に。うなじには、ひとつの噛み跡。
「――」
「……」
診療所の中庭のベンチに腰掛け歌をうたう。この歌が遠い海の中に聞こえるようにと。
本当はわかっていたこと。シークはもう亡くなっていることを。ただその事実から目を背け現実から目を瞑っていただけ。
シークの元に逝こうと思っていた。でもそうできなかった。
それがよかったのか悪かったのか。
逝こうとするユンを引き留めていたのは誰の想いなのか。その想いに気付いて踏みとどまろうとした想いに気付いていたのか。
「――」
「……」
歌を歌う。海ではない、空の上へ届くように。
「届いたのかなあ」
「届いてるよ」
歌うユンの傍らにはユシカがいる。彼の残した噛み跡が、ユンのうなじに残されている。
シークの噛み跡はもう過去のもの。その事実に気付いたのは、発情期を終えた一週間後であった。
「ねえ、ユシカ」
「なんだい」
「いつから?」
「……そうだね」
空を見上げたまま、ユンは問う。空の上にも聞こえるように。空と自分の間には何もない。
「シークはいない」
「……そうだね」
「もし……ううん」
「……」
もしも。
もし生きていたら。
その時は――。
空を見上げる。ユンが歌をうたう。それは鎮魂歌。
その歌を静かに聴く。心に先程の答えを思い浮かべながらユシカは、シークへの想いを込めたユンの歌を聴く。
そうだな。
もし生きていたら。
でも今はもう。
ユンを残して兄は逝った。
連れて逝かなかった。
ここに――今ユンは生きてここにいる。
俺たちが、俺が引き留めた。
だから――。
歌をうたう。その歌が終わった。そしてまた歌う。今度は別の歌。
「――」
「……」
はじまりの歌。
もしものことは、もしものこと。今の現実ではないのだから。
だからユンは歌う。今もこれからも。
心に兄を残したまま、ユンは鎮魂歌を歌った。ユシカはそう思っていた。
でも今は、はじまりの歌。この歌はシークへの歌ではない。
消えなくてもいい。
心に兄を残したままのユンを愛している。
忘れられないだろう、忘れなくてもいい。
今ここには、兄を想ったままのユンが生きているのだから。
歌をうたう。ユンの歌に合わせ、ユシカも小さな声で口ずさむ。
重なる。ふたりの声が重なって、風に乗って空へと届けられる。
ユンの肩を抱く。痩せ細った肩は三年前に比べ、とても薄くなった。だからこの肩を、ユシカが優しく包む。その包む手にユンの手が重なった。こてんと首を傾げ、体をユシカに預けた。
空を見上げた。その空をふたり見つめながら、もう一度歌をうたった。
声を重ねて。
END
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ヤンデレになっているのでしょうか……コヅキさんに優しく(熱く)レクチャーして頂き、今回チャレンジしてみようと思いました。
お楽しみ頂けていれば幸いです。
お読み頂きありがとうございました。
藍白。
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