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『ノーマルアブノーマル』木樫
「オイ、普言 」
「ッ!っ、つ…」
名前を呼ばれると同時にバチンッ、と容赦のない力で頬を張られる。
俺はただ授業が終わったから、帰りの用意をしながら普通に席に座っていただけなのに。
首がもげそうな勢いだった。
クラスメートは誰もが気がついたはずなのに誰も止めることも無く、ヒソヒソと遠巻きにしてビンタの主から目をそらす。
ため息も出ない、頬に手を当てて見上げる。唇の端が切れて血が滲んでいた。それを舌で舐めると鉄の味がする。
もう一度殴ろうと手を振り上げるので慌ててやめろと返事をした。
「流京 、痛いから…遅くなったのはゴメン、帰りのホームルーム長引いたんだ」
「それが俺に関係あんの?」
「ええと、ない、ないけど、」
「は?じゃあ言い訳じゃねぇか」
結局振り下ろされた手は俺の顔を的確に捉え、俺はガタンッ!と椅子を倒して教室の床に転がった。
その大きな音にクラスの女生徒の誰かが悲鳴を上げる。だが流京が首をそちらに向けたので、すぐに黙り込んだ。王様である流京に逆らえるやつなんていない。
家が金持ちで、頭が良くて、運動ができて、背が高く、とびきり美形。
そんなただでさえ腰の引けるステータスを持つ男が、オマケをつけている。
白に近い金髪。ピアスをいくつも開けて派手なアクセサリーで身を飾り、目つきも顔つきも凶暴ではないのに口が悪く行動に容赦がない。喧嘩の強い、所謂ヤンキー。
近寄りがたいに近寄りがたいを掛け算した流京は、この学校のスクールカーストと言うやつで当然王様だった。
それに引き換え頬を腫らしたままヨタつきながら立ち上がる俺は、最下位の奴隷。
頭は普通より少し悪い、運動もできない、友達はいない、金もない、話をするのが苦手で口下手。背は低くないが流京には劣るし、やせっぽちでノロマ。特別イケメンではない地味で根暗な男だ。
流京とは一年で初めて同じクラスになった付き合いだが、それから二年でクラスの別れた今もずっとイジメられている。
今日だってゲームセンターに行くから終わったらダッシュで来いと言われ、それに遅れたもんだから虐待されているのだ。
「許してほしいか?」
立ち上がった俺に流京は淡々とした声で問いかけた。
それに頷く。当然だ。
お仕置きは痛くて嫌だ。誰だって好き好んで甚振られたくない。
そうすると、流京は窓を指差す。
「飛べよ。そしたら許してやる」
「え、」
窓の外には少し夕が混じっているが、晴れた青空が広がっている。だが晴れない俺の心。
ここは二階だ。
運動神経の悪い俺がここから飛ぶとなれば、運悪く骨折する可能性が高い。━━もっと言えば、死ぬかもしれない。
「飛べよ」
流京はわざわざ伸ばした手で窓を開けた。教室の窓際一番うしろであるここから、すぐにでも飛び出せる。
頭を抱えたくなる。流京の目は本気で、頬の傷が痛んだ。
周囲に視線を走らせるがやはり誰も助けてはくれない。ハラハラとして、見守っているだけだ。
震える手を固く握る。
「…無理、だ、ゴメン、許して、流京」
「普言」
「っ、二階だからっ」
「普言、ウゼェよ」
「飛べ」
━━目をつぶって飛んだ俺の着地点は芝が敷いてある地面で、そこがそうだと知っていて試したんだと気が付いた。
芝の上で青ざめ呼吸を乱し冷や汗を流す俺に、流京は「ゲーセン行くぞ」と言っただけだった。
♢
ゲームセンターで獲得した景品を持たされ豪邸だが誰もいない流京の家へ帰った時には、もうすっかり夜になっていた。
ソファーにもたれかかってカーペットの上に座りバラエティ番組を見る俺。
その俺の膝に頭を置いて、流京はゴロリと横になっている。
俺はもうずっと思っていた疑問を口にするべく、湿布を貼られた頬を指先でかいてから膝下に目をむけた。
「なぁ、なんで恋人なのに、俺をいじめ続けるんだ?」
至極まっとうな疑問だ。
だって、俺を殴って空を飛ばせるイジメっ子の流京は、俺の列記とした恋人なのだから。
それも、流京から俺に告白してきた。
ゲイだと言う事がバレないように俺のたっての希望で他の人には言っていない、秘密の恋人関係。イジメられていたものの絆され後に愛し、ちゃんと好きあって付き合うようになったのに、酷い。
好きな子をいじめるのはわかるが、普通は結ばれればやめるだろう。
男が好きな性癖だから迂闊に好きにならないように根暗になっていた俺。
その俺に一目惚れしたらしくバイオレンスだがアタックし、見事本懐を遂げた流京。
なのにどうしてイジメ続けるのか。
無愛想で無表情だが二人きりだと甘えてくる流京は、俺の質問にテレビを見ていた頭を振り向かせた。
「ムカつくから」
「ええ、俺なんかしたか…?」
「普通だから」
知らない間に怒らせていたのかな、と焦る。
流京の答えに覚えがなくて、それがわかったのか彼は身をよじって俺の腹に顔を埋めてしまった。
普通だからムカつく、とは。
流京は時たまこういうことがある。言葉少なに行動を起こし、理由を聞いてもまるで理解できないことが多い。そして俺に理解されないと、機嫌が悪くなってしまう。
膝の上の金色の猫を撫でると機嫌がちょっぴり戻ったみたいで、流京はちゃんと言葉の説明をし始めた。
「俺は、お前がキレて窓から飛べと言えば、すぐにでも飛んでやる。お前に金を払う事も嫌じゃない、お前に打たれても構わない」
「ん…口挟んでもいい?」
「普言、うるせぇ」
「ゴメン」
語られる前置きに言いたい事が湧いてきたので許可を求めたが却下され、肩をすくめて謝る。
俺は流京に本当に怒ったとしても窓から飛び降りろなんて言わない。
お金をせびる事も、気に食わないからと殴る事もしない。したいと思わない。
好きな人を虐めるのは趣味じゃない。一般的にそういうプレイでなければ大多数の人がそう思うはずだ。
俺の言い訳は喉の奥に引っ込む。
「俺はお前の言う事なら、俺と別れる以外はなんだって叶えてやりてえ。他人はどうでもいいし、クラスが離れた時は身を切るような気分だった。でもその時普言は〝ちょっと寂しいけど、授業以外は会えるから〟って言ったんだ。それが俺はムカついて仕方ねぇよ」
「そう、だな。そう言ったけど、でもクラスが離れるのはどうしようもないだろ?」
「普言」
「ん?いッ」
当時の返事がそっけなく感じた、そう遠回しに伝えられたと思うと、流京が顔を埋めていたあたりの腹に痛みが走った。
すぐ理解する。
流京は俺の腹に噛み付いたのだ。
咄嗟に腰を折って身を引こうとするがすぐに痛みはなくなった。
流京が唇を離して少しだけ顔をずらし俺を見上げると、噛まれただろうシャツの一部が湿っている。
そしてそのままゆっくりと起き上がる流京はいつもの無表情だが、饒舌に理由を捲し立て俺に迫り詰め寄ってきた。
目を見開いて視線を返す。
トン、と両脇に手が突かれた。
「ちょっとじゃねえんだ、わからねぇのか?なんで俺だけがお前に狂ってるんだ?お前、俺の正気をどこへやった?別に男が好きなわけじゃねぇのに、お前だけクソみたいに惹かれるのはなんでだ?俺だけを可笑しくして、なんでお前は普通に生活してんだよ。ムカつくのはそういうところだ」
「…っ、…る、流京、流京…」
「盲目な俺にわかるように愛してくれよ。俺がいない間に誰かに盗られんじゃねえかって、孤立させようと思って。俺のワガママをどこまで聞くか試して、お前を疑ってる。気持ち悪いか?」
逃さないとばかりに覆いかぶさる大きな身体で俺の目の前は影になる。流京の目にはなんの色もない。骨ばった手がそっと頬の湿布を撫でる。
「普言、傷つけたいわけじゃねぇんだ。抑えられねぇんだよ、好きでバグってるわけじゃねえ。でもな、人間はバグったら直らねぇの。わかるか?叩いても開いても部品変えても直らねぇ、一生アブノーマルだ」
「流京、」
「なぁ、一緒にイカれてくれよ。それができないなら殺してくれ。罪にならないよう計画を立てるから、ひと思いに殺せ」
「━━ひとりで狂うのは、寂しい」
いつも通りの声は淡々としているのに、全ての言葉は片時も逸らさず俺を見つめて告げられた。何故か、曇った頭が晴れ渡る心地がする。
すぐには返事ができず生唾を飲み込むと、ピーーーと機械音がなった。
炊飯器の炊飯終了の音だ。
流京は覆い被さっていた身体をまたそっと避け、くあ、とあくびをする。
その仕草が猫のようだと思ったが、彼は俺の返事をもう聞く気がないようだとも思った。
「米炊けた。鯖の味噌煮、早く」
「あぁ…わかったわかった」
夕飯を催促するいつもの声に苦笑い、俺は先に作っておいた鯖の味噌煮と副菜をいくつかテーブルに並べるべく、立ち上がった。
晴れた頭に迷いはない。
♢
ガラッ、と朝のホームルーム前に流京のクラスの扉を開ける。
開閉音に近くの生徒たちがちらりとこちらを見たがすぐに興味なさげに視線を外した。
真ん中の列の一番うしろの席に座る流京は、こちらを見てもいない。
俺が訪ねるよりも早く流京が俺のクラスにくるから、約束もなくここに来たことはなかった。
「流京」
「━━あ?」
中に入り歩き出しながら大きめの声で名前を呼ぶと、今度は流京も、他の生徒たちも、みんながこちらを見る。
それもそう、王様に奴隷が声をかけるなんてあり得なかった話だ。普通なら。
淀んだ空気を肩で切って歩き、そうかからず流京の前にたどり着いた。
もうすぐにホームルームが始まる。
要件ならすぐに終わらせて自分のクラスに帰らないといけない。
「普言」
俺を見上げて目を細める流京。
どう見たってイカれているとは思えない、綺麗な姿をしている。
コイツはそれでも狂った中身をドロドロに腐らせているんだ。━━全く愛おしい。
そうだよな。
歪んだ器が戻らないなら、蓋も歪めて閉じればいいんだよな。
俺は衆人環視の中微笑んで、流京の頬に手を添える。
「おはよう、愛してる」
言い終わってからチュ、と唇にキスをした。
途端、崖にブチ当たる波のように教室中が一斉にざわめく。
あちらこちらから聞こえる囁き、遠巻きな嘲笑、野次馬、視線。
同性愛者と言うだけで、意味は違えど総じて好奇である反応のすべてが俺を傷つけた。
━━なあ流京、これで俺は更に孤立する。そしてお前以外はどうでもいい、それ程お前を愛している証明になるかな。
昨日までは怖かった。
だけど多分、これが一番わかりやすくて、これが一番取り返しがつかない。
俺の微笑みは引き攣っていたかもしれないが、それは怖いからで後悔はしていなかった。
デリケートな部分に侮蔑や揶揄い、ないし、好奇心を向けられるのは、目立つのが苦手な俺にとって苦行に等しい。
もしも、流京がこういう事をする俺の性格や愛情を理解した上であけすけに理由を話したのなら、コイツは怖い男だと怯えるべきかもしれない。恐ろしい想像だ。
それでも、やらなきゃよかったとは思っていなかった。
流京がほのかに頬を染めてとびきり甘いふやけた笑顔で俺を見ているだけで、もういいかと思ってしまった俺も、いつの間にかアブノーマルになっていたのだろうな。
「あぁ、おはよう。愛してるぜ」
ふたりぼっちならノーマルだ。
結
初めまして、木樫 と申します。
この度は初めてアンソロ企画に参加させていただきました、今尚緊張で禿げそうです。
今回は病み過ぎないよう〝シャイニングヤンデレ〟がコンセプト。そう、私の頭のように輝くヤンデレ。今まで病みばかり書いていたのでどうしてもデレずに病んでしまい、三作品ボツにしての明るいお話。
ヤンデレにしてはヌルく仕上がった気が否めませんが、楽しんで頂けましたら幸いでございます。
それでは主催者のヘタノヨ コヅキ様、関係各位の皆様、ご覧頂いている貴方様、ありがとうございました。
エビバディセイ!ヤンデレはイイぞ。
木樫
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