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第1話

「はぁ?ぎっくり腰だぁ?」 「すまないな、真……父さん、もう店じまいかもしれん」 電話口から聴こえる父の声はやけに苦いもので、深刻な様子が伝わってくる。 卑怯だ、と思った。 瀬戸真(せと まこと)は高校卒業後、野球で鍛えた身体を生かし建設会社の作業員として働いていた。 青春を野球に費やした真だったが、スポーツ推薦を受けれる程の腕はなく、野球部のOBの紹介で建設会社に就職が決まった。 たいして学も無かった為、有難い申し出に飛びついたが、なんとなくで入社した会社で目標もなく働く日々。 入社5年目、真は今年23歳になる。このままで良いのだろうか、と漠然と不安に思っていた今、こんな事を言われると選択肢は一つだった。 「今時、八百屋の息子なんかモテないよなぁ」 瀬戸商店は、こじんまりとした地域密着型の青果卸の個人商店だ。店は構えているものの、この街自体が傾斜のある坂道に広がっている為、高齢者の家まで商品を届けるのが主な仕事になる。 「おーい、真!大橋さん家に野菜届けた後、あの坂のてっぺんにあるレストランへ配達に行ってくれないか」 「えぇ?あんな所まで?」 「おう、昔からのお得意様だ。途中までは車で行けるんだが、細い道と階段があってな。荷物を抱えてかなり歩かないといけないんだ」 「へえ、それで?」 「この腰じゃあな〜〜」 そう言われると、断る術もない。 「はぁっ……はァ、……なんっで、こんな所に建てたんだよっ」 キャベツ1ケースに、トマト2ケース、その他諸々。段ボールを縦に重ねて坂道を駆け上がる。 カフェ“Harmony“駅から少し遠い立地にも関わらず、ランチやオーナーの淹れるコーヒーが美味しいと評判のお店らしい。 カフェなんて洒落たものは真には馴染みもなく、小高い丘に建つ小洒落た洋館に少し緊張を覚える。 「……ちわーっす!瀬戸商店です」 従業員用の通用口から大声で叫ぶと、中から応答が帰ってくる。 こんな辺鄙な所にカフェを建てるくらいだ。偏屈な親父だろうか。 真の中でぐるぐるとオーナー像が組み立てられていく。 「すいません。お待たせしました」 「は……い」 いい意味で想像を裏切られた。 現れたオーナーは自分と変わらない年に見える程若く、一言でいうなら美人という言葉が合う。 サラリと流れるような淡い色の髪に、白い肌薄い唇ーー野球で鍛えた真とは正反対と言えるような出で立ちだ。 オマケに甘く通る声に、これは近所のご婦人が通うのも納得……と真は一瞥した後、心の中で頷いた。 「あれ?今日はいつもの方じゃないんですね」 「あぁ、あれは俺の親父で……少し前にぎっくり腰をやりまして」 「だから暫く休業されていたんですね。大事はないんですか?」 「ええ、腰以外はピンピンとしてますよ。でも重いものは持てないので俺が手伝ってます。息子の瀬戸真です。今後ともご贔屓に」 「ここのオーナーの葵圭一(あおい けいいち)です。こんな場所まで配達ありがとうございます。大変だったでしょう。いつも助かってるんです」 「確かに……車が入れないと、苦労しますね」 「ええ。でも景色はいいでしょう。ここのテラス席からは街全体が見渡せて眺めもいいですよ。瀬戸さんはこの後は?」 「へ?ここが最後なので、店に戻りますが…」 重いもの持って疲れたでしょう、お近付きの印に奢るから休んでいってと言われたら断れない。 若く見えるけれど何歳なんだろうと、オープンキッチンで動き回る後ろ姿をぼんやり眺める。 背格好は182㎝ある真と変わらないか、少し低いくらいだが筋肉質な真よりは少し華奢に見える。 前の職場はガテン系に部類される為、真が今までに関わって来なかった部類の人間である事は確かだ。 「なんーつか、華やかなんだよな……」 「お前も葵さん狙い?」 「は!?」 ぼんやり考えていた事が口に出ていたんだろうか、振り向くと大学生のバイトだろうかカフェのエプロンを着た青年が立っている。 「お前みたいなガサツそうな男、葵さんに似合わないって」 「お、お前……狙うとか似合わないとか一体なんの話して……」 「あれ?違った?熱心に葵さんを見つめてたから下心あんのかと思って」 「ンなわけあるか!」 「あれ?柊くんと仲良くなったのかい?」 「「葵さん!!」」 振り返ると、コーヒーを片手にした葵が立っていた。つい、ふわりと漂う豆の香りに意識をとられてしまう。 「はい、こちらHarmony特製コーヒーです」 「ありがとうございます!」 「どういたしまして。柊くんはあちらの帰られたテーブルのバッシング、お願いしてもいいかな」 「は〜い」 柊がお盆を持って去っていくのを目やり、葵は苦笑いを受けべる。 「柊くんが失礼な事言わなかった?」 「いえ!」 「そんなに畏まらなくていいよ」 コーヒーを啜りながら、チラリと葵を盗み見る。確かに綺麗で美人ーーだがどこからどう見ても男だ。柊はああいう話を振ってきたからには、葵をそういう目で見ているんだろうか。 「ーー!美味しい!凄く美味しいです!葵さん!」 「ふふっ、ありがとう。嬉しいよ」 「俺、あんまりコーヒーの味とかよくわからないんですけど、すごく美味しいって事はわかります!」 口に含んだ瞬間、鼻にふわりと抜けるコーヒーの豊かな香りや、程よい酸味と苦味がなんとも言えないハーモニーを奏でている。 こんなに美味しいものを生み出せるなんて、と羨望の眼差しで葵を見やると、ふわりと微笑み返され心臓がはねた。

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