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第1話
「いらっしゃいませー」
来店を告げる音、慌ただしく動くレジ、各々が自由に見回る店内にはたくさんの本や雑誌が置いてあった。ここは早坂書店、都内に複数展開するグループ店舗のうちの本店。ベータである僕、市原凜の働く職場でもある。
「こんばんは」
「こんばんは、いらっしゃいませ」
いつも、金曜日の夜にやってくる人がいる。その人は上質と一目見てわかるスーツに身を包み、ハードカバーの書籍や新書などを見たり、雑誌を見たりする。そして必ず一冊は買っていく、常連さんで僕にも挨拶をしてくれる。彼が入店すると、若い女性のお客様なんかは色めき立つほどに顔立ちが整っていて、男の僕でも惚れてしまいそうなくらいだし、実際に僕はそういう意味で惹かれている。叶うことのないことだけれど。
「この本、ないかな?」
「お預かりいたします」
棚の掃除をしていた僕の側にやってきた彼は、今日は珍しくメモを渡してきた。いつもなら注文はめったにないし、自分自身で探してしまう彼。僕やほかの書店員が探すなんてことはほとんどない、だからなのか、こう、頼られていると思わせるような彼の珍しい行動に僕はドキドキしてしまう。書店員である限り、お客様にお問い合わせされることはよくある。けれど彼のことに関してだけはいつものこと、なんて思えなかった。
「こちらにあるようです、ご案内いたしますね」
「ありがとう」
紺色のエプロンの裾を翻して、文芸書の棚へと案内する。最近、話題になっていた作家さんの本で、関連としてその作家さんの書かれた書籍はすべて取り扱っている。偶然にも今日の朝、発注したものが届いて品出ししたところだった。
「こちらになります」
「うん、これだ。ありがとう」
わずかに口角を上げて笑った彼に見惚れそうになるも、仕事だと頭を切り替える。彼から小説を受け取ってそのままレジへと一緒に向かう。
「本当にありがとう、読みたかった本なんだ」
「今朝、入荷したばかりだったので…。あって良かったです」
彼との少しの会話、どれをとっても僕をときめかせる。けれど、彼ほどの人ならきっと素敵なお相手がいるのだろう、アルファである、と考えられる彼にはオメガや同じアルファの女性もしくは男性がお似合いだ。僕のような、特に目立つ要素もとりえもない、普通に埋没してしまう人間は、不釣り合い。顔立ちも普通の僕は僕なりの精いっぱいの笑顔で彼に答えた。
「お疲れさまでした、お先に失礼します」
退勤時刻になり、そっと裏口から挨拶をして帰る。基本、僕は昼から夜の勤務なので帰宅するのはいつも夜の11時を越えてしまう。アパート暮らしだから、あまり遅い時間にお風呂に入るのは近隣の人に迷惑がかかると思い、朝に入るようにしている。今日も、彼との逢瀬が終わってしまった。次に彼が来るのは来週だ。だけど、来週僕は珍しく早番だ。彼がもしも、同じ時刻に来ても僕は会えない。僕じゃない誰かが彼の接客をするのだと思うと悔しくてならなかった。それほどまでに、僕は彼に恋い焦がれていた。
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