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第1話
【序】
アケシノは隣山にいた。
隣山の魔王と恐れられている神様と会う為だ。
隣山は鹿神(しかがみ)山と呼ばれているが、その山にそんな悪そうな奴が暮らしているなんて聞いたこともなかった。
だが、どうやら、その魔王とやら、近頃、人間を祟り始めたらしいのだ。
神仏が人間をこらしめることはままあるが、今回は祟りだ。
それもかなり手酷いやり口らしく、同族である神仏や人外の連中ですらも「なにもそこまでせずとも……」と、遠巻きに怯えるほどらしい。
そいつがなぜそこまで人間を祟るのかは知らない。
だが、アケシノはその魔王とやらと話をつけて、鹿神山で行方知れずになった人間の子を返してもらう必要があった。
なぜ、赤大神のアケシノがそんな面倒を背負い込んだのか……、という話だが、まぁ、成り行きだ。それ以上は説明のしようがない。
魔王とやらも、同胞に畏怖されるほど手酷く人間を祟るくらいなのだから、人間を憎んでいるか、怒っているか、恨みに思っているか……、なにがしか思うところがあるのだろう。
ご機嫌取りは得意ではないが、行きがかり上、魔王を執り成すことになったアケシノは鹿神山くんだりまで出向いたというわけだ。
「……っんで、お前なんだ!」
魔王と対面するなり、アケシノは怒鳴っていた。
「…………」
その男は、随分と冷たい表情でアケシノを見据えていた。
「なんでお前が人間を祟ってんだ!」
「だって人間が悪い」
問い詰めるアケシノに、その男は悪びれもせず言ってのけた。
その腕には、アケシノが探していた人間の子が抱かれている。
まだ小さな子供だ。
生気がなく、死んだような顔をして瞳を閉じ、睫毛ひとつ動かさない。
「これは生け贄」
男は目を細め、口端を吊り上げる。
情のない瞳で、実につまらなさそうに、愚かな人間を嗤う。
もっと屈託のないお日様みたいな笑い方をすれば、この男はとても爽やかな男前だろうに、まるで、この世の悪のすべてを煮詰めたような表情で笑う。
そして、その笑みは、この男の容貌に恐ろしいほどに似つかわしかった。
人間を祟る凶神そのものだった。
「これ以上、ヒトを祟るのをやめろ」
「明日は、この山で一番大きな楠を倒し、崖を崩す予定だ」
「それで人間が死んだら……、どうするつもりだ」
「さぁ」
「そんなことしたら、お前、自分がどうなるか分かってんだろうが! やめろ!」
「アケシノが俺の嫁になってくれたら、やめてあげるかも」
「…………」
「うそ、やめない」
ぜったいにやめない。
ヒトという生き物は、俺によって、呪い、祟られるべきだ。
「やめろ」
「大丈夫、君は心配しなくていいよ」
その男は、アケシノに優しく微笑みかける。
ヒトへ向けて笑むのとはまったく異なる、彼本来の優しさをアケシノに向ける。
「……やめろ! ヒトを殺すな!」
「なら、君が俺を止めるか?」
「……っ」
アケシノは歯噛みして、拳を固く握る。
「明日は倒木と崖崩れだが、明後日は大雨を降らせて川の上流を濁流に変える。明々後日は晴れにしてやるが、前日の大雨で地滑りが起きるだろうな。……さて、偶然、哀れにも、たまさかそこにいた人間たちはどうなるだろう?」
「……やめろ」
「仕方ない。そうなるようなことをしたのは人間だ」
それはまるで暴君のような思考だった。
魔王と呼ばれても仕方のない非道な口ぶりだった。
「やめろ」
アケシノは戸惑いを隠さず、男を見つめ、同じ言葉を繰り返す。
「君が俺を止めるなら、俺は君とここで永遠に袂を分かつ」
「意味分かって言ってんのか……」
「分かってるよ。アケシノと俺は永遠にずっと一生さよならってことだ。……君が、俺のすることを邪魔するなら」
「……ミヨシ」
「ねぇ、アケシノ……君はどうする?」
「俺、は……」
俺は、どうすればいいんだ。
俺は、この男をどうすればいいんだ。
アケシノはそれ以上の言葉も行動も思いつかず、禍々しくヒトを祟る魔物を見た。
何度見ても、やっぱりそこにいるのは、昔から知っているあの黒い狐だった。
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