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第7話

 ただ、その日だけは違った。  アケシノはいつものように縄張りを巡回していた。  その最中に、大烏と遭遇した。  随分と大きな烏神で、翼を広げると、真昼が夜になるほどだった。  大神の縄張りにさえ侵入しなければ、こちらから警告を出すことも、危害を加えることもしない。だが、その大烏はアケシノの姿を見つけるなり滑空して急降下し、アケシノの前へ降り立った。 「メスの赤大神……」  そう言うなり襲いかかってきた。  正確には、烏の翼手を持つヒトの姿でアケシノを押し倒してきた。  狼の姿だったアケシノは、「俺はオスだ」と答え、ヒト形に化けて教えてやった。  すると、烏は大笑いして、「なにを言う! 貴様は立派なメスよ!」と、両翼でアケシノを組み敷いた。  そこから揉み合いになり、着物の裾を割られ、肌を右の翼手で撫でられ、左の翼手で頭を土に押さえつけられた。 「生まれて何年だ? うん? まだ若いな。いつ代替わりした? 先代はどうした? シノオという名の、貴様よりもずっと気位の高い、血色の大神がいただろう?」 「……っざけるな!」 「ほら、もっと懸命に抵抗をしろ。先代のようにな。あやつは俺の右眼を食い潰したぞ?」  力で敵わない相手だった。  だが、かつてのシノオはこの大烏を撃退できたのだろう。  いまのアケシノでは無理なことを、過去のシノオはやってのけたのだ。 「はてさて、烏の種で狼は孕むのか……。腹の膨れた狼を嬲るのは愉快だろうな……」  隻眼の烏が舌なめずりする。 「……っ」  オスの熱を、内腿に押し当てられる。  着物越しでも分かるほどに、発情した鳥獣の匂いがした。 「人の嫁になにしてんだ」  ちり……、と鈴の音が鳴った。  途端に、アケシノに覆いかぶさっていた大烏が殴り飛ばされた。 「たたりすず!」  大烏は、木の幹にぶつかる寸前で翼手を使って空に飛ぶ。 「名を改めた。いまはミヨシだ。大烏、貴様、人の嫁に手を出したんだ、相応の覚悟があってだろうな。ケンカなら買ってやるから降りてこい」  ミヨシは空を見上げ、大烏へ向けて名乗る。 「貴様が上がってこい! 飛ぶこともできぬ狐めが!」  大烏が叫ぶなり、ミヨシはひとつふたつその場で助走をつけ、跳躍するように大きな一歩で走り、木の幹を三つ四つ駆けて飛ぶと、大烏よりも高く跳ねた。  瞬きする間に、ミヨシが大烏の右翼を捥いで、落下させる。  ミヨシはまるで綿毛のように着地すると、大烏の頭を踏みつけた。 「右の翼、右眼とそろいにしてやったが、……左もそろいにして欲しいか?」 「この黒鈴めが! ……貴様の悪名、その名の通りいずれ貴様に返ってくるぞ!」 「ほざけ烏、祟るぞ」  ミヨシが足を放すと、大烏は片翼を羽搏かせ、己の巣へ逃げ帰った。  大烏の姿が見えなくなると、ミヨシはいつもの笑顔と優しい声で、「あけちゃん、だいじょうぶ?」とアケシノに駆け寄った。 「……ミヨシ?」 「そうだよ。怪我してない? 今日は来るのが遅くなってごめんね」 「大烏は……」 「あの怪我だと、まぁ百年単位で大神の縄張りには来れないよ」 「……?」 「たたりすず」  ミヨシはそう言うと、飛んで跳ねた時に着物の外へ出たお守りを懐へ戻す。  昔からずっとミヨシを守ってきたものだ。  それは、シノオの血で書いた守り紙の入ったお守りで、銀糸で縫われている。  ミヨシは、それを竜の鱗で縒った紐に通して首から下げていた。  そのお守りには小さな黒い鈴がつけてあって、それもまた、生まれた時からずっとミヨシのお守りだった。 昔はもっと金の色をしていたらしいが、修行するにつれて、黒い鈴になったらしい。  その黒は、おそらく父親譲りだろう。  ミヨシの父もまた、黒御槌として恐れられている。 「滅多に鈴なんか鳴らさないんだけどね」  黒鈴は、守り鈴で、祟り鈴。  ミヨシの守りたいものを守り、祟りたいものを祟る。  アケシノを守り、大烏を祟る。  あの大烏は、己の営巣に辿り着く頃には、もう二度と飛べなくなっているだろう。 「もうあいつが来ることはないけど、おしのちゃんにもちょっかいかけてたみたいだし、ネイエちゃんにも教えてあげないと……」 「…………」  アケシノは、ミヨシを見上げる。  月夜に、見慣れぬ男の横顔が映える。  真っ黒な瞳で、アケシノに見せたことのない冷酷さをまとい、物を思う。 「……あけちゃん? ほんとに大丈夫? あけ、アケシノ、……アケシノ!」 「ひ、ゃ……っ」  ミヨシに肩を抱かれた瞬間、電気が走った。 「ごめん、痛かった? やっぱり怪我……」 「っ、ゃ……めっ、ミヨシ、……!」  触れられるたび、ぴりぴり、甘い痺れが走る。  ミヨシの爪先が触れただけで、ぎゅっと下腹が締まった。  見知らぬ感覚に戸惑い、反射的にミヨシの服を掴む。  地べたに座り込んだ尻が土くれに触れて、太腿が湿った草叢に冷えて、脹脛に小石の感触を感じて、なぜか、陰茎が熱を持った。 「……?」  頭のなかで、ぐるぐると疑問が渦巻く。  なんだこれは、なにが起こった、なんでこんなことになっている。  これは一体なんだ。  言葉にならない感情が勝手に溢れて、涙が出そうになって、心臓がとくとくと早鐘を打ち、息が上がって苦しくて、気づいたらミヨシの懐に縋るように抱かれていた。  肩や腰にミヨシの手が触れると、その熱に触発されて、体温が上がる。  身をよじると腰骨や尾てい骨が疼いて、それでまたひとつ体温が上がる。 「アケシノ」 「……っ」  名を呼ばれて心臓が跳ね、ぎゅっと目を閉じた。  名を呼ばれただけで、腰が抜けた。 「発情しちゃった? ごめんね?」 「は、はつ、じょ……」  呂律が回らなかった。  それどころか、ミヨシに支えてもらわなければそのまま地面に倒れ込んでしまうほど体から力が抜けて、火照って、ミヨシの声以外聞こえなくなっていた。  夜の森は、鳥や虫、風、いろんな音がして騒がしいのに、ミヨシの声しか聞こえなくなっていた。 「アケシノ、男の子のほうはもう迎えてるんでしょ? おしのちゃん孕ませたくらいだし。……でも、女の子のほうはまだだったんだね」 「……お、んな」 「孕める体になるほうの発情期。大神惣領ってことは、そういうことでしょ?」  子孫を遺す為の大神。  それが惣領だ。 「……うそだ」 「嘘じゃないって」 「……ちがう、そうじゃない、だって俺はシノオを孕ませたんだぞ」 「オスも機能してるってだけだよ」 「だからって、なんで……いま……急に……」  自分のなかのメスの部分が反応するんだ。  これじゃあまるでミヨシがかっこよくて発情したようなものじゃないか。  メスがオスに惚れて、恋に落ちて、生殖を許すようなものじゃないか。 「なんで泣くの? お祝い事なのに」 「泣いてない!」  がう! 牙を剥いて威嚇する。  そんなはずない。  そんなわけない。  己の感情を拒む。  自分の意志とは無関係に溢れる涙を呑み、喉を使わずに鼻を啜り、こみ上げてくる感情を押し留め、奥歯を噛みしめ、結局はその片鱗がすこしばかり漏れて……、声もなくしゃくりあげてしまう。 「アケシノって、しくしくめそめそ泣くタイプだったんだね」 「横、文字を……っ、使うな……」 「ごめん。でも、めちゃくちゃそそる」 「……おまえ、なぁ……」  怒鳴りたいのに、怒鳴る声も甘くなって、語尾が弱る。 「ごめん、でもうれしい。俺で発情してくれてありがと」 「さわんな……」 「大丈夫、手は出さない。だってアケシノ、まだ俺のこと本気にしてくれてないでしょ?」 「…………」 「だから、触らないし、手も出さない。縄張りに連れて帰るのは危ないから、今夜は俺と一緒に夜を過ごして、そのあと、おしのちゃんとこに送ってく」 「…………」 「よかったね、初めての発情相手が俺で」  群れのなかで発情していたら、シノオの二の舞だ。 ミヨシは爽やかな笑みでアケシノに微笑む。 「俺と一緒にいたら、守ってあげられる」 「…………ち、くしょう」  アケシノは逃げるにも逃げられず、一晩ずっとミヨシに抱きしめられて過ごした。  それはそれで生殺しだった。  オスの発情は自分で処理できるが、メスのほうは後ろに種をつけてもらわねば収まらない。  それを分かったうえでミヨシは手を出してこなかった。  アケシノは一晩中ずっと目の前のオスに否応なく発情させられ続けた。

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