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第1話

「ばかやろうーー!」  狭い馬車に突如響いた大声に、ごとん、と驚くように車輪が跳ねた。つられて座席の上で尻が跳ねるのか、車内から「わっ」「いて」と小さな声が口々に漏れる。  夕暮れ近くの山の中。弱まった日差しがその分鮮やかさを増し、枝や葉の色を塗り変えている。太陽は後ろにあって、行き先は先へ進むごとに暗くなっていくように思える。しかし背後はまだ昼の明るさで、ちょうど向かいに落ちかかった太陽が、馬車の後ろの窓からいっぱいに入りこんできていた。  その黄色い座席の上で、まだ幼さの残る少年が一人、彼とどことなく顔かたちの似た青年二人に両側から押さえつけられている。橙色にも見える明るいブロンドが、恐らくずっと暴れつづけていたせいだろう、あっちもこっちも癖になって飛び出していた。 「離せ! 降ろせ! バカ! バカ兄貴!」  青年の方は双子らしく、瓜二つの姿をしていて、見分けがつかない。前髪を片方は右へ、もう片方は左へ流していて、二人とも襟足が少し跳ねている。 「いてっ! ぶつなよ、そんなに暴れなくてもいいだろー」 「いたた、大きくなったねぇ、レナードくん……」  少年の靴や拳、時には頭突きを受けながら、彼らは同じような顔で同じように眉を下げる。そこへ、 「ちょっと、三人方、うるさいなぁ。馬が怖がるでしょうが」  御者台から老使用人が振り返って文句を飛ばした。 「「はーい」」  双子の青年が聞き分けよく返事をして、片方が少年の口を塞ぐ。 「むがが」  少年の頭に怒りマークが浮かんでいたなら、まさにいま、一つ増えていたことだろう。  馬車はぼこぼこと進んでいく。 「ほら、着きましたよ。本当にこんなところに置いていくんですか?」  穏やかな減速をして、老使用人の動かす馬車が止まる。そのすぐ前に、細い鉄棒を何本か立てたような門が、ブナやスギの枝に覆い被さられるようにして立っていた。 「ご苦労さま、フィリップ」  双子の片方が、抱え込むほど大きなトランクを持って馬車を降りしな、御者台にひらりと手を上げた。後ろを振り返り、 「よいしょ、ほら、レナードくん降りて。荷物はお兄ちゃんが運んであげるから」  馬車の中はバタバタと、止まっているのに動いているより騒がしい。中でレナードが暴れているのだ。やがて、出入口のドアから、まだ細い足が二本、じたばたしながらひょっこり顔を出したかと思うと、兄の肩に担がれたレナードが、足から先に外へ出てきた。 「やめろ、バカ! 家へ帰せよ!」 「あはは、ほんとに大きくなったな、レナード。もう15歳だもんな」  いちいち抗議する間もなく、少し離れた向こうから、別の兄の声も飛んでくる。 「おーい、レナードくん。荷物、ここでいいかな? 中まで一応運ぶかい? ってあれ? レナードくんがお尻しか見えない」 「くそ…………」  ――兄さん達なんか、大嫌いだ。  担がれたまま門をくぐりながら、レナードは涙目にならないよう、ぎゅっと顔を引き締めた。兄達は、きっと自分に嫌がらせをするのが趣味なんだとしか思えない。そう、いつもこうなんだ。いつも!  大ぶりな枝が、風が強いのかその時いっせいに揺れた。それにつられて雨でも降るような音で、あっちこっちでサーッと重たい葉擦れが鳴る。空気が冷たくて、この分では本当に雨が降るだろう。  ふと顔を上げたレナードの目が、こちらをのんびり眺めていた老使用人の目とかち合った。御者台で、元気づけるように手を振り始めた彼の顔が、夕暮れのせいでだんだんあやふやになってきている。レナードの身体がふるりと震えた、足の裏で氷を踏みつけたみたいに。それを感じてか、 「大丈夫だよ、レナード。ここ、なぜか電気も水道も通ってるんだ。暖炉に薪もあるし、おやつもたくさん持ってきたからな」  少年を担ぐ兄が、慰めるようにそう囁いて、彼の腰を軽く叩く。 「お前なら大丈夫さ」 「…………」  どうしてこんなことになったんだろう。それは昨日の夜まで遡る――

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