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第2話
街は、もうそのほとんどが眠りについていた。
レナードの住む街は、都心から離れた小さな田舎街で、人も少なく、かわりに飼い犬や鳥といった動物が、街のいたるところに多く見られる。建物も古くからの物が多く、この辺りでは伝統的な茶赤色の屋根が、ぎゅっと身を寄せあって道の端で並んでいた。
丘の上のレナードの邸も、街のものよりは少し広くて大きいが、同じ赤色の屋根を、木々の葉の間からのぞかせている。もっとも日付が変わるか変わらないかという夜更けでは、屋根の色も木の色も、物の色はみな等しく暗い青色に塗り替えられてしまってはいたが。
まるみを帯びて柔らかそうな月が、街の上を静かに歩いていく。
レナードの住む邸も、その下で、もうそのあらかたがぐっすりと眠っているようだった。ただ、二階の窓が一つだけ、ほのかに灯(あか)るんでいるのが見える。オレンジ色の輪郭は、窓に映ってぼやぼやと揺らめき、そこに二つの人影を黒く浮かばせていた。
「……男が振り返ると、不気味な足音の招待は、なんと男の友人だった。……」
部屋の中は、燭台に蝋燭が三本だけ灯り、その明かりの輪のなかに二つのよく似た顔が照らしだされている。
「男はほっとして駆け寄った。今までの出来事は、みんなこの友人の悪ふざけだと思ったんだ」
前髪を左へ流した方が、低めた声で囁くと、隣の前髪を右へ寄せた方が、
「ところが……」
と続ける。こちらはもう一人よりも穏やかで優しい声音をしている。
「男はほっとしながらも、少し怒っていた。おい、お前だったのか。手の込んだことをしやがって、いったい今までどこにいた? でも、男の友人はにやにや笑うだけてま何も返さない。心配したんだぞ。そうやって詰め寄る男も、またしだいに不安になってきた。どうしてこいつは笑ってばかりいるんだ? どうして何も言わないんだろう? いや、この友人に走り寄った時から、自分はうすうす違和感を……違和感というよりは危機感を、はっきり覚えていたはずだ。崖に向かって走るような取り返しのつかなさ。いや、俺はきっと今も走り続けているんだ。暗い崖の底目指して……
「がしっ! と、強い力で手首を締めあげられた。掴まれる、というよりは、まさに締めあげられる強さだった。……なんだよ、もう脅かすことないだろ。無理やり笑いながら、男はその時初めて、友人の目をまともに見た。それまでは、にやにや笑う口元から上へ、自分の目を上げる踏ん切りが、なぜだかつかなかったんだ。……友人の目を見た男は全身で叫び声を振り絞ると、凄まじい力をもって掴まれていた手を振りほどき、もう友人のことなんておいて、一目散に逃げ帰った。その時、友人の目は……」
ひときわ声を落とす。穏やかな声が穏やかな分だけいっそう冷たく感じられる。そして後をつぐようにまた語り手が変わって、こちらは少しばかりやかましく、
「……血走った白い目で、ずっと男を見返していた! そう、友人は離れている間に何か良くないものに取り憑かれてしまったのだね。結局、その後彼は行方不明になってしまったそうだよ」
話終わると同時に、二人の青年はお互いに顔を近づけるようにして、両側から蝋燭を吹き消した。
「ぎゃーっ!」
突然訪れた暗闇に、ベッドの隅にいたレナードが大声をあげて毛布の下へ隠れてしまう。
「あはは、レナード、こんな怪談が怖いのかい」
青年たちのやかましい方、エドガーが、もう暗闇に慣れたのか、野性的な順応力でサイドテーブルを立つと、月明かりをずいずい歩いて、レナードの隠れた毛布の膨らみの前まで来た。
「……違う。今のは急に灯りがなくなったから……」
毛布の下から拗ねるような声がする。
「本当かなぁ」
「本当だ!」
明かりがついた。サイドテーブルのランプの明かりだった。部屋の四隅までは届かないが、蝋燭と暗闇に慣れた目には少し眩しく感じる、ぱっとした光だ。
「レナードくん、明かりつけたよ」
大人しい声を出す方の青年、エドモンドが、毛布の膨らみに向けてにこにこと声を飛ばした。白い毛布がもそりと動いて、赤みがかったブロンドがその下から現れる。
「…………」
レナードの薄紫の目は、もともと少し黒目の割合が小さい。だから、じろりと見られると少年ながらなかなかの迫力があって、兄二人はちょっと額に汗をかく思いだった。今は可愛いが、もっと大きくなって、人相が悪くなったりしないだろうか……。
「……しかし、レナード」
エドガーが気を取り直して、レナードの隣へどっかりと腰を下ろす。
「お前はもうすぐ十五歳の誕生日だというのに、本当に怖がりだね」
「うんうん、こんなよくある怪談で悲鳴を上げるなんて」
反対側に、エドモンドがそっと座る。
「だから、今のは怖い話じゃなくて灯りが……!」
「「そうだとしても!」」
「うっ……」
両側から詰め寄られて、レナードはベッドの上を後退る。
「どちらにしても、」
エドガーが腕組みをして言った。
「レナード、お前は少し臆病すぎるんだ。ポプラ家に生まれた男子として、これから少し痩せ我慢をしてでも、誇り高く振る舞わなくてはならなくなる! 怖い夢を見たからって、涙目になって俺たちの寝室へ枕を抱えるようじゃダメなんだ。嬉しいけど」
「ふふ、エドガー本音が出てるよ。僕はそういう貴族思想的なもの、どうでもいいんだけどね。エドガーがうるさくて」
「なっ、お前……! ずるいぞ!」
エドガーがびっくりしたように片割れを振り返る。腕を伸ばして、ぎゅっとその頭を抱え込み、こそこそと声を落として囁いた。
「自分だけ良いふりするつもりか?俺だって心を鬼にして、こんなこと言ってるのに!」
「ごめんごめん。可哀想だけど、仕方ないもんね……。でも兄さんが貴族思想が好きなのは本当だろ?」
「当たり前だ! 田舎とはいえ貴族の子息たるもの、常に騎士道精神を……じゃない、このミッションを完了させるためには、どうしてもレナードをあの屋敷にやるしかないからな……」
しかしレナードには、兄たちのこそこそ話は何ひとつ聞こえてはいなかった。相変わらず不機嫌な顔で、怪しい二人をじーっと見ている。
「えーと……こほん」
気を取り直すように、エドガーが振り返った。
「とにかく、お前を一人前にするために、お兄ちゃんから提案があります」
「おいで、レナードくん」
エドモンドが子供の手でも取るみたいに、優しくレナードの手を引いた。
「な、なんだよ……」
もう片方を、エドガーが快活そうに取る。二人の兄に引っ張られるような様子でベッドから立ち上がったレナードは、そのまま月光の降る窓辺へと連れられてきた。
庭の大きなプラタナスが、レナードたちの少し左の方で、葉を月明かりに濡らしている。足元に丘の木が密集していて、その木々のフレームの向こうに、街の小さな屋根々々が広がって見えた。そしてさらにその向こう、こじんまりとした家の塊の先には、森が夜の中真っ黒な海のようにしてあり、だからそれは、その海から小さな煙突をひっそりと突き出すようにしてそこにあった。
あの館のことは、前に兄たちが話していたことがある。無人の建物のはずか、夜中、たまに明かりがついたり消えたりしたとか、近くを通りかかった人たちが人の話し声を耳にしたとか、窓に首を吊る人の影が映ったのを見ただとか、好奇心から窓の中を覗いたら、床に真新しい血溜まりができていて、急いで逃げ帰ってきただとか……。
「レナード……」
数々の噂話を思い出して、身を強ばらせたレナードへ、エドガーがなんでもないことのように言った。
「お前、あそこへ明日泊まっておいで」
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