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第5話
「おい! 大丈夫か」
何度目の呼びかけだったろうか、そうやって肩を揺すると、丸机に伏していたその少年は、ようやくこたえるように身動きした。
「ん……ん?」
紺にも見える黒髪のすき間から、すっと切り込みを入れたような青がのぞく。あんまり淡くあやふやで、もう暗くなった部屋の中では、それがなんなのか、一目では分からない。だから、レナードははじめそれが少年の瞳だということは分からず、なにかそこに星でも落ちているのかとさえ思った。ほんの切り込みくらいの細さで、伏せたまつ毛に覆われていたそれは、蝋燭の明るみに照らされたレナードの影をとらえたとたん、ぱっと大きく見開かれる。
がばりと上体を起こした少年と、はっきり目があった。
「き、君は……?!」
少年の淡い目の中には、戸惑いこそあれ、敵意や悪意は見当たらない。
「……えーと、」
レナードは少し面食らってどぎまぎしつつ、
「僕はレナード・ポプラ。ブラウンズベルに住んでる」
差し出した手を、彼はあいまいな様子で取った。その時、
「あ……た、たかい……。生きているの……?」
問いかけというよりは、独り言のような低さだった。レナードもすべてを拾いきれず、
「? 何か言ったか?」
身を乗り出すも、少年はすぐに慌てたように首を振る。
「……なんでもありません」
「ふぅん……。で、お前は?」
「えっと……」
少年は迷うように、ちょっと左右に目を走らせた。誰かを探しているような仕草だが、もちろん周囲には、なんの姿かたちもない。
「僕はサンテリ……ただのサンテリです」
姓を名乗らないことを少し疑問に思ったが、レナードはわざわざ追求することはやめた。
二人の間で、燭台の炎がほやほやと暖かい。
「サンテリ、大丈夫か? すごくうなされていたけど」
「うなされて……僕がですか?」
「うん」
うなずくレナードに、サンテリは困ったような仕草で、
「さぁ……、夢見が悪かったんだと思います。あの、レナードくん……は、どうしてここに?」
「お前こそどうしてだ? 僕はつい今しがた、兄にここへ置いていかれた。ここでひと晩過ごして、怖がりを治せってさ。荒療治ってやつだ」
言いながらさっきの怒りを思い出したようで、レナードは腕組みをして、ふんっと胸をはる。
「ほんとに、いつも勝手なんだよな、あの二人は! ……あ、でも別に……すごく怖がりってわけでもないからな」
「置いて……?! ここに宿泊するんですか?」
サンテリはいよいよ慌てたというふうに、おろおろと立ち上がり、その拍子に椅子の脚を蹴飛ばしてしまったが、レナードのほうでは兄に対する怒りでそれどころではなかった。
「帰ってください!」
逼迫した声音にも気が付かない。
「無理だよ、サンテリ。外は嵐なんだ。……でも、お前がいて良かったよ。で、お前はどうしてこんな幽霊屋敷にいるんだ?」
サンテリはちらりと、後ろの窓を振り返った。そうだ、雨が振っている。大粒の雨が、窓ガラスを石つぶてのように叩いている。
その時、ほんのたまゆらの隙に、何かを思い出しかけて、サンテリは眉を寄せた。
――そういえば、僕は夢の中でも、雨音を聞いていた気がする。
雨音と……。
「僕も、ここへ連れてこられたんです。家族に……」
「えっ? お前も?」
「はい。でも僕は……、」
「なに?」
急に黙り込んだのに首を傾げて、レナードは聞き返した。何か変だ。今のは、何か言いそうだったのを、まるで誰かが横から口を塞いだみたいだった。
「うーん……まぁ、いっか。じゃあ、お前も荒療治に来たってことか? でもそれにしては、幽霊屋敷で寝ていてうなされるなんて、こんなところで寝られるなら、お前もそんなに怖がりってわけじゃなさそうだな。いや、待てよ。でも……」
レナードの顔色が少し悪くなった。そういえば、霊に意識を奪われて、気がついたら崖の前……なんて話を、兄さんが前にしていたっけ。他にもあんな話やこんな話や……。
「……あわわわわ」
1人で想像力を膨らませるレナードに、サンテリは何も言わなかった。はっきりと目が覚めて、自分の失言を後悔していた。夢の中の雨音に誘われて、言ってはいけないことを言ってしまうところで、あやうい。
「そうだ!」
ぶつぶつ言っていたレナードが、突然ぱちんと手を合わせた。
「なぁ、せっかくだから一緒にひと晩、過ごさないか? 幽霊がもし本当にいたとしても、一人でいるより二人のほうが襲いにくいだろ。な?」
「で、でも、君は……。いや、そうですね……」
なんだかつまずくように、サンテリはうなずいた。それに対してレナードは、思わず顔中で微笑み、ため息までつく。
「よし。……はぁ~、良かった。よろしくな、サンテリ。お前がいて、ほんとに助かったよ」
もう一度、今度は強引にサンテリの右手を掴んで、両方の手でぎゅっと握った。
「…………!」
少し唐突だったので、サンテリは受身を取り損ねたように戸惑う。
暖かい。
レナードの手があんまり暖かくて、サンテリは手のひらを通して身体に何か入ってくるかとさえ思った。血を巡って、寝起きの心臓を温める。
「……う、うん。よろしく、レナードくん」
本当は、彼と一緒にいるのは良くない。自分にとっても、レナードにとっても。それでも、サンテリは自然と微笑み返していた。
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