1 / 8

第0話

 いつか運命の番と結ばれてみたい。  そんな話を、よく彼にしていた時期がある。締まりなくにやけた顔をして、白いしっぽを揺らしながら。  彼はα(アルファ)。おれたちリカントロープ(狼人間)の群れの頂点に立つことを、初めから定められた性に生まれついている。  一方おれはβ(ベータ)、一番数が多くて、一番平凡で、可も不可もないごく普通の性。  世の中にはもうひとつ、Ω(オメガ)と呼ばれる性もある。その数はごく少なく、αとは正反対に、彼らは生まれつき最下層で虐げられる運命を定められている。  リカントロープには普通の人間とはちがうところが二つあって、一つは一見ただの人と変わりのない身体から狼の耳としっぽを生やしていること、そしてもう一つが、男性女性という性別とは別にそれぞれこの三つの性に分かれて産まれてくること。  おれの暮らすネウロア王国の建国の王は、人と神狼の間に生まれた混血児だったと伝わっている。  太古の昔、精霊たちの王である神狼として森に生きるのでなく、自らの半身を為す人間の血に従って生きることを選んだ彼は、人間の娘と(つが)ってさらに人に近い血を流す子を幾人も残し、そしてこの土地にリカントロープの国を作ったらしい。だからおれたちには、いまでも祖である神狼の特徴が色濃く残されているのだ。  単純に見た目だけで判断できるオスメスと違って、αβΩの三性は専門の検査をしないとわからない。大抵産まれてすぐにみな検査をし、そしてその時点でその子がその後どんな人生を歩むのかはだいたいが決まってしまうことになる。  人の上に立ち支配する側か、それともそれにただ従うだけのその他大勢か、あるいはの最下層か。  大抵のひとは、自分の子がΩだと知ると、ひどく絶望するものだという。今後その子が人生を何ひとつ自ら選ぶこともできずに生きていくことになるという、それは一種の死刑宣告のようなものだからだ。  でもおれは、正直Ωをうらやましいと思っていた。  なぜかといえばごく単純な話で、Ωはαと(つが)えるからだ。  Ωが『虐げられる』性と呼ばれるのは、その特殊な体質に原因がある。彼らはある程度成熟すると、男女に関わらず三ヶ月に一度『発情期』というものを迎えるようになり、全てのオスを誘うフェロモンを発するようになるのだ。  例え一見男の身体をして産まれてきても、Ω男性は直腸の奥に女性の子宮と同じ機能を持つ生殖器を備えており、ちゃんとオスを受け入れられる身体のつくりをしているし、子供を産むことだってできる。Ωというのは、男女に関わらず孕み、産むことのできる性なのである。  このフェロモンは大変に強力で、動物と違い理性のあるリカントロープでもすぐさま正気を失ってΩを襲ってしまうくらいの威力がある。そのうえ誘引灯が虫を集めるように誰彼構わず引き寄せてしまうわけだから、Ω自身にとってもその他のオスにとってもΩのフェロモンは大変に危険かつ悩ましいものである。  けれどそれを発さない体質になる方法が、たった一つだけある。それが、αと(つがい)になること。  さながら交尾中の狼のように、αがΩのうなじを噛めば、そこにはけして消えないαの歯型が残されて、そして二人の間には番の契約が結ばれるという。  番をもつΩのフェロモンは自らの番のαしか誘惑しないし、また番をもつαももうほかのΩのフェロモンには誘惑されなくなる。フェロモンのために何かとトラブルを引き起こしやすいΩが、唯一完全に無害な存在になる方法がαの番となることなのである。  だからΩは早く番を得るようにと周囲から迫られるし、αも不用意にフェロモンに誘われることのないように番を作ろうとする。  これは『結婚』とは違う、もっと動物的な繋がりで、別に二人の間に愛がある必要はない。特にたった一人しか番を得られないΩと違い、αは何人でも番を作れるから、複数のΩの番を囲いながら正式に結婚しているのはαやβ、なんていうαもよくいるらしい。  けれど書面一枚で簡単に覆る婚姻関係と違って、番の間に結ばれるのは本能に縛られたもっと強固な繋がりである。  おれはそれを、何となくロマンチックだなあと感じていた。  世の中には、フェロモンを少し嗅いだだけでお互いにすぐに『この人だ』と分かってしまうような、『運命の番』というものも存在するという。その二人は普通の番よりもさらに強い絆で結ばれて、もうけしてお互いにほかのαやΩに目移りするようなこともなくなるらしい。  多分そこには、恋愛感情とか、愛情といったものがちゃんと存在するんじゃないだろうかと、おれは勝手に思っている。  彼もいつか運命の番と出会うのだろうかと、そのころおれはよく考えていた。やがて番をつくるというのなら、彼にはその番と出来るだけ幸せになってほしいと思う。それなら、相手は『運命の番』がいいだろうなあ、と。  正直にいえば、要するにおれは彼のような人の『ただ一人』になれる誰かが、うらやましくて仕方がなかった。けれどばか正直にそう伝えるのが許されざることであることにはすでにちゃんと気付いていたので、いつもへらへらしながらただ彼にこう言っていた。  ヴェリルはいいなあ、おれもいつか、運命の番と結ばれてみたい。  ただの何の変哲もないβのおれには、とても叶えることのできない夢だと知ってはいたけれど。  おれがまだ彼への想いを前、自分の立場を分不相応にも勘違いしていたころの甘酸っぱい思い出。  ちなみにこの何年かあと、なんの間違いか実はおれがΩだったってことが判明するんだけど、この頃のおれはそんなこと当然ながら想像すらしていなかった。

ともだちにシェアしよう!