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第2話
人を殴ったとき、最初に感じるのは手の痛み。それから、――快感だ。暴力というのは「くせになる」、それは絶対的真理。暴力で他人を支配するというのは最大級の娯楽になる。
神様は人間の作り方を間違えたんだ。"悪いこと"が気持ちいいように作るなんて間違ってる。でも神様がそうしたんだから、それは正しい。
先日の一件以来、間宮は俺にベタベタくっついてくるようになった。
「真利くん♡」
「やめろ来るな俺に近寄るな」
「なんで?真利くんはおれの王子様なんだよ♡いつでもおれと一緒にいなきゃ♡」
毎日この調子だ。気が狂いそうになる。せめてもの救いは御鏡が俺に同情的な態度を示していることで、なんとか俺はターゲッティングされることなく暮らしている。間宮はウザいし決して平穏とは言えないが、予想していたよりはまだマシな生活だ。
休み時間に入るなり間宮が俺の席に寄ってくる。間宮の席は窓側後方、俺の席は廊下側前方、教室の対角線を移動してきた間宮が俺の机に座った。3時間目は数学だが、俺は宿題のプリントをやってないので間宮が邪魔だ。正直御鏡たちよりも間宮の方がたちが悪い。御鏡は朝からサボりで教室にはいなかった。
「おまえ、俺にどうしてほしいの?王子様とかバカかよ。おとぎ話のプリンセス気取りか?夢みるのも大概にしろ」
間宮を押しのけて机のスペースを空ける。俺の数学の成績は3だ。これ以上下がると受験に響く。テストの点は悪くないのにねえ、と三者面談で担任はいつもそう口にする。
「おれは……おれは真利くんが好きだから、真利くんとずっと一緒にいたいだけだよ、ダメなの?真利くんはおれが嫌い?」
「嫌い、ウザい、どっか行け」
「やだ、そんなこと言わないで」
おとなしく机から降りた間宮が今度は俺の左腕にしがみつく。これはこれで邪魔。
「だって真利くん、おれにキスしてくれたじゃん!」
「バカ、デカい声で言うな!!だいたいあれくらいでおまえのこと好きなわけないだろ!俺は俺が一番かわいいんだよ。御鏡の言うなりになっておまえをいじめるのに加担してみろ、俺はトカゲの尻尾になるも同然なんだ!なんかあったら内申に響くだろ」
俺は慌てて間宮の口を塞ぐ。間宮なんかにキスしたのがバレたら白い目で見られること待ったなしだ。
他人に関わる利害を計算したとき、人間の天秤というものは自分の利に傾くようにできている。つまり、そうすることが正しい。神様は人間を利己的に作ったんだから。
「じゃあ……真利くんはおれのこと好きじゃないの?」
「当たり前だろ、おまえなんか可愛くもねーし頭も悪いし御鏡に殴られて喜んでる変態じゃんか。クソキモいよ」
「もう響生のこと好きじゃないから!おれが今好きなのは真利くんだけだから。真利くんのためになんでもする。お願い。おれのこと好きって言って。おれの王子様になって」
間宮は俺に縋りついて懇願する。鬱陶しいが気分は悪くない。こんな風に求められることなんか俺の人生にはあり得なかった。求められるのは気分がいい。それをすげなく断るのも気分がいい。俺は今、こいつの上に立っている。喉が鳴る。俺は間宮の支配者だ。
「――俺が死ねって言ったら、死ねる?」
俺の声はゾッとするほど残酷で、がやがやした背景とミスマッチだった。間宮の表情が凍る。間宮は泣きそうで、俺はたまらなく愉悦を味わう。無理だというならそれを理由に拒絶してやればいい。できると言うなら……それは嘘だ。イエスなんて言えるわけがない。
「おれ、は…………真利くんが、そうしてほしいなら…………」
いいよ、と唇が動くのが見えた。
「嘘つき」
左腕で間宮を振り払い突き飛ばす。隣の席の机に間宮の体がぶつかり、ガタガタと大きな音を立てた。教室の視線が一斉に俺を向く。
「おまえが悪いんだよ、間宮」
俺は殊更声を張り上げてそう言った。観衆はすぐに興味をなくしてそっぽを向く。間宮はこうされるためにここにいる。誰も俺を咎めたりしない。
「真利くん」
震える声で間宮が呼ぶ。
「おれ、」
ふらふらと立ち上がる。
間宮の手が伸びてくる。
俺は椅子に座ったまま、
後ずさりもできないで、
近づいてくる間宮の顔を見ていた。
間宮のメガネはさっきの衝撃でズレていて、レンズを通さない視線が俺をその場に張り付ける。鼻先1センチ。
「本気だよ。おれ」
ブラックホールみたいな瞳だった。
こいつは悪魔かなにかか?間宮が妙に恐ろしく思えて俺は精一杯仰け反って距離を取る。椅子に乗り上げて間宮が追撃してくる。背筋がもうこれ以上は伸びない、と思った瞬間、体が浮く感覚があって、
「ヤバ、」
俺は椅子ごとひっくり返っていた。椅子ごとっていうのはつまり、乗っかっていた間宮ごと、という意味だ。床に倒れた俺に覆いかぶさるように間宮が跨っている。
「クソ、頭打った。どけよ。もうすぐ授業始まるだろ」
「おれは真利くんのためならなんでもできるんだよ。ここで証明してあげる」
「はあ?!なら言うこと聞けよ、自分の席に戻れ!」
俺は手足をバタつかせて間宮をどけようと試みたが、間宮は全然意に介さない様子で、俺の学ランのボタンを外そうとする。何考えてるんだコイツ、ヤバい、(社会的に)殺されるのか?
――キーンコーン
休憩終わり5分前のチャイムだ。2時間めと3時間めの間の長い休憩が終わる。間宮もさすがに手を止め、俺の襟首を放した。
「……おれのこと、捨てさせないから」
そう言い残して、間宮は自分の席に戻ったのだろう。俺は椅子を起こして座り直す。ああクソ、宿題が終わってない。手もつけられてない。
捨てさせない?何様のつもりだ、あいつ、間宮のくせに。段々ムカついてきた。畜生。どいつもこいつも……
上に立つのは、俺の方だ。
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