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第11話

「・・・え?」 「良いのか~。李棵坊。そんなことして~」 この場に似つかわしくない妙な声が頭上から響いたのは、それからすぐの事だった。 その影と妙な声に「え?」と師匠(仮)が顔を上げると、何とも妙な鳥と視線が重なった。 「・・・・・・・・・・」 見た目は・・なんというか。鳥である。鳥のくちばしも頭も鳥特有の瞳も変わらない。 顔は確かに鳥なのだ。鳥なのだけれど、身体だけは違っていた。 「・・・布?」 そう。その鳥は頭こそ鳥なのだが、体は布で出来ていたのだ。 「アーッハッハ!なんて顔してやがるんだ?お客人様よう」 「・・し・・喋った・・!」 「おーよおーよ!俺様はこう見えて絽枇の兄。絽玖の兄貴様なんだぜ~☆神が造りだした最高傑作の俺様を差し置いて何とする!山々から国々まで知れ渡るこの俺様の名はー・・ふぎゃん!」 「・・・・・」 名を言いかけた妙な鳥の頭に李棵の投げた桶が見事に突き刺さった。 鳥は一時、微動だにしていなかったが、その後すぐに復活すると、顔を左右に振りながら彼女に視線を向けた。 「何すんだテメェ!」 「何すんだはこっちだ!いい加減な事ばっか言いやがって!いつお前が絽玖様と絽枇様の上に立ったんだよ!ふっざけんな!」 「何おう!?」 布を引っ張りギャースカ騒ぐ李棵の頭をツンツンと鳥がつつき、またつつかれると今度は李棵が鳥のくちばしを手で掴み、ぶんぶん振り回している。 お互いに一歩も譲らず、引く事の無い光景を前にして師匠(仮)の瞳が丸くなった。 「ど・・どうしよう・・!」 「やれやれ・・一体何の騒ぎです?」 「あ。りょ・・くさん?」 「えっ!?」 呆れたような絽玖の声に、布鳥によって唇を横に伸ばされた状態のまま李棵の動きがピタリと止まり、瞬時に鳥も動きを止めた。 「これは一体何の騒ぎです・・おや?」 絽玖の形の整った瞳がふと細められる。その視線は師匠(仮)の破られた狩衣の袖に向かっていた。 「あ・・これは」 「李棵。どういうことです。説明なさい」 絽玖の声は言葉こそ穏やかなものだったが、その声色には怒りが滲み出ており、ピリピリとした緊張感が一瞬にして広がっていった。 その声にびくりと李棵の表情が強張っていく。 「あ・・これ・・は・・」 「説明なさい。と言いませんでしたか?」 ゆっくりと絽玖が李棵に近付いて行く。 笑みを浮かべたままゆっくりと進んでいた彼の足がピタリと止まると、彼女の掴んでいた布がゆっくりと離れて行った。 「あっ・・あのっ・・絽玖様・・っ」 「説明なさい、と申し上げたのですよ。私はっ」 グイッと彼女の髪を鷲掴みにしながら顔を近づけて問う絽玖の声からは笑みが消え、李棵は「いづっ・・」と顔を顰めている。 千切れんばかりの力を込めて髪を引く絽玖の表情は笑ってはおらず、見開いた瞳は真っ直ぐに彼女の瞳の中心を見据えている。 その気迫に師匠(仮)の背筋がぶるりと震えた。 「・・いづっ・・もうっ・・じわけ・・ありっ・・」 「謝罪が聞きたいのではありませんよ。李棵」 「ごっ・・ごめんなざっ・・ぐうっ・・!」 急に李棵の身体がぶわりと宙を舞う。 髪を鷲掴みにしたまま、絽玖が彼女のみぞおちに蹴りを入れ、その衝撃で彼女の小さな体が一瞬で吹っ飛んでしまったのだ。 「・・・・・」 倒れ込んでゲホッと咳き込む彼女の側に、絽玖が無言で近づいて行く。 その鬼気迫る背を眺めながら師匠(仮)は何も言葉を発する事が出来ないまま、ごくりと息を飲んだ。 「・・りよ・・ぐ・・さっ・・・・」 「・・・・・・・」 無言で上体を低くし、彼女の顔を覗き込む彼の表情は、こちらからは見えないままだ。 だが、彼が静かに激怒している事だけは彼の全身から放たれる空気の全てが物語っていた。 「・・・ごべっ・・もうっ・・ぢなっ・・」 「・・・・・・・」 ガタガタと肩を震わせながら泣きじゃくる彼女の頭をぐいっと鷲掴むと再度、絽玖は彼女に顔を近づけ勢いよく地面に叩きつけた。 「・・・・ぶっ!?」 ぐいんと顔を掴まれたままの彼女の顔は化粧が崩れ、涙と鼻血がとめどなく流れている。 ぐちゃぐちゃになった顔をそのままに泣きじゃくる彼女の姿に、師匠(仮)は生きた心地がしなかった。 『どっ・・どうしよう・・止めなくちゃ・・でもどうやって・・?』 喉はカラカラに渇き、背中を冷たい物が幾度も滑り落ちている。何度唾を飲み込もうとしても上手く入って行きそうになかった。それ程に場の空気は張りつめていて、全身が凍り付いたように上手く動かすことが出来なかったのだ。 「・・・・・・っぐ・・ひっぐ・・」 「お仕置きしなくてはいけませんね」 感情の無い絽玖のその言葉に、泣きじゃくっていた李棵の動きが一瞬、止まった。 目を見開いたまま、絽玖を見上げる彼女の口元がガチガチと震え、首が左右に揺れている。 「・・っ・・」 「来なさい」 「・・っ・・いっいやっ・・!それだけはっ・・!やだぁ・・!・・りょ・・さまぁ!」 彼女の悲痛な声も構わずといった様子で立ち上がった絽玖が彼女の頭を掴んだままズルズルと引きずっていく。 謝罪の言葉を叫びながら、彼の腕に何度もすがるように手を伸ばそうにも彼の足は止まることはなく、進む度に李棵のもがく足だけが揺れていった。 「もう。それくらいにしておやりよ。絽玖。」 「・・兄上・・」 「可哀そうに・・ぼろぼろじゃないか」 「・・・・・」 「お叱りは代わりに私が受けるよ。だからその手を離しておやりよ」 「・・・・・・」 「ね?離しておやり」 いつの間にか姿を消していた鳥と共に絽枇が絽玖に近付いて行く。 彼のその表情に絽玖は何も話すことなく、掴んでいた彼女の頭を無造作に投げ捨てた。 「・・・・・っぐ・・ひっぐ・・」 「ああ・・大丈夫だったかい・・」 ふんと顔を背けたまま去る絽玖とは対照的に、倒れ込んだ彼女に向かって絽枇が駆けて行く。 それさえも興味が無いといった様子で、振り返る事も無く真っ直ぐ歩く絽玖の表情はこちらからは見えないままだ。 「・・っぐ・・ひぐっ・・げほっ・・げほっ・・」 「・・・血が出ているじゃないか・・こっちへおいで。手当をしよう」 「・・りょ・・ぐさまっ・・りょ・・ぐざまっ・・」 「ああ。うん。だいじょうぶ。だいじょうぶだから・・絽玖はお前の事を嫌いになったりしないよ。さあ行こう。立てるかい?」 おろおろと手を動かしながら狼狽する絽枇の手をすがるように取りながら、何度も絽玖の名を呼ぶ彼女の瞳からは、ぼろぼろと流れる涙が止まらないままだ。 彼女の声を受け止めるように、絽枇の手がゆっくりと彼女の頭を撫でていく。 その手を取りながら、よろよろと立ち上がった李棵のおぼつかない足を支えるように絽枇が彼女の腰を抱き、ゆっくりと進む姿に師匠(仮)はホッと安堵した。 張りつめていた緊張の糸がゆっくりと解けて行くのを感じながら、息を吐いた彼の前に、ふわりと甘い香りが広がった。 「・・っ!」 「・・お見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ありません。私の部下の非礼を、まずはお詫びします」 いつの間に近付いたのか。 師匠(仮)の前で深々と頭を下げる絽玖の顔は、最初に出会ったときとなんら変わらず穏やかな風をその身に纏っている。 「・・・・・・・」 その声を耳にしながら師匠(仮)は無意識に後に下がった。 何故か。その理由を上手く説明する事が出来ないまま、絽玖に視線を向けた。 顔を上げた彼の表情は穏やかで、身に纏う風も、どこか優しさを含んでいるかのようだ。 先ほど見せた彼との差を、まざまざと見せつけられながら、師匠(仮)は目を逸らす事が出来ないまま、ごくりと唾を飲みこんだ。 「・・・お屋敷へいらっしゃいませんか?湯を用意しましたので、もしよろしければお入りください」 「・・あ・・りがとう・・ございます」 有無を言わさぬその声に弾かれる様に発した言葉は枯れていて、上手く伝える事が出来そうになかった。 「・・・・・・」 ぱしゃんと湯が揺れる音がする。一人で入るには広すぎる浴槽の湯は花の蜜でも浸してあるのか、湯が揺れる度に甘い香りがふわりと広がっていく。 湯の中に身体を深く沈めながら、彼は先ほどまでの事を思い返していた。 「・・・・・・・・・・・・・・」 なんて場所に連れて来られたのだろう。先ほどまでの鬼気迫る絽玖の背を思い返すと今でもぶるりと背筋が凍り付いてしまう。コンちゃんと一緒にいた時の雰囲気とは打って変わって、近付いただけで斬られそうな風を纏っていた。 「・・・・彼女は・・大丈夫かな・・・」 ・・・私にした行動は、恐らく嫉妬の類だろう。 最初は気が付かなかったけれど、先ほどの銀髪の男性に向かってずっと絽玖さんの名をすがるように呼び続けていた。 彼女のその悲痛な声が未だ、自身の耳と目に色濃く残っている。 「・・・・何故・・あんなに激しく怒る必要があったんだろう・・?」 普通に注意すれば良いだけなのに・・。 「・・分からない・・私には、足りないものが・・」 そうまで言いかけて、のぼせてしまうから、もう上がろう。と不自由な足を引きずりながら彼は浴槽から離れる事にしたのだった。

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