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第10話

「絽玖さま~!」 ぱぁっと明るくなった李棵だったが、その影を見た瞬間、彼女の表情が曇りを見せ始めた。 風の中に微かに映る足がどうにも引っかかってしまったのだ。 「ああ。只今戻りましたよ。李棵。兄上」 「うん。おかえり。何処に行っていたのかな?」 「ええ。少し、不撓(ふとう/先生の通り名のひとつ。主に絽玖が好んで呼んでいる)の所へ行っていました」 「そう。ふーちゃんの所へ・・」 「・・・・・・・・」 にこやかに会話する両名の姿を目にしながら、李棵の肩が少しずつ落ちて行く。 その視線は絽玖ではなく、絽玖が横抱きの姿勢で抱いているある人物に向けられたものだった。 「ああ。李棵。今帰りましたよ」 「・・・おかえり・・なさい・・」 「・・・・絽玖。先ほどから気になっていたのだけど、その腕に抱いているものは何だい?」 「ああ。気に入りましたのでね。連れ帰って来たのですよ。可愛いでしょう?」 そう話しながら、絽玖がゆっくりと腕に抱いていた師匠(仮)を地面に降ろす。 降ろす寸前、バランスを崩して横にぐらりと揺れそうになった師匠(仮)の腕が絽玖の衣を掴むと、李棵にまとわりついていた雰囲気がピリリと強張った。 「・・絽玖様・・」 「うん?どうしました?」 「その子・・」 「ああ。今日から数日の間、この屋敷にお迎えする客人ですよ。李棵。失礼の無いように、もてなしをなさい」 「・・・・・・」 「李棵」 「・・・は・・い・・」 絽玖の強い口調に俯き加減で顔を横にそむけながら言葉を返す彼女の表情は、けして笑っていない。 急な訪問者の来訪に戸惑いを見せている事は師匠(仮)にも直に伝わっている。 それ以前に彼もまた、急な訪問の仕方に戸惑いを見せずにはいられなかったのもまた事実ではあった。 急な強い風に包まれたと思えば、風が止むと同時に自身の身体は別の世界へと飛ばされていたなんて、どう考えても無茶な話である。だが、これは現実なのだと彼の視界の全てが物語っていた。 「・・・・あ・・はじめ・・まして・・」 「ふん」 「・・・・・・」 ふっと顔を上げた李棵と視線が絡み合う。 絽玖が自分に背を向けているせいもあるのだろうが、自分を見る彼女の顔はけして笑ってはいない。 大きな瞳と形の良い眉が吊り上がり、唇は歪んでいて、この訪問を歓迎などするものかと言わんばかりの威圧感を漂わせている。 絽玖が「あとは任せましたよ」と絽枇と屋敷の中に戻ったことを確認して、師匠(仮)を頭の先からつま先まで、じろじろと眺める彼女の表情が先ほどよりも険しくなった。 「・・・・・・いで」 「・・え?」 「脱いでって言ったの。聞こえなかった?」 ずかずかと大股で歩いて来る彼女の声は冷たいままで。 何処か見下したような表情で師匠(仮)を一瞥すると今度は白い狩衣に手を伸ばした。 「・・え・・」 「脱げって言ったんだよ。僕は。その薄汚れた衣で絽玖様のお屋敷の中を歩くつもり?脱ぎなよ早く!お脱ぎったら!」 「やっ・・やめ・・っ・・!」 ぐいっと掴まれた白い狩衣を脱がされまいと抵抗する彼とは対照的に、女性である李棵の力は予想以上に強いものだった。 力強く引っ張ったせいか、左の縫腋(ほうえき/脇の部分を背で縫いあわせているため、袖が落ちない)が勢いよくビリビリと破られていった。 後ろに後ずさろうにも、動かない足が邪魔をしているせいで上手くかわすことが出来ない。 『・・・このままではまずいっ』 そう師匠(仮)が思った瞬間、眼下に長い影が出来た。

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