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第1話

αだとかΩとか、そんなものとは殆ど無縁の小さな田舎の漁村に俺たちは生まれついた。 潮騒と魚の匂い。海鳥の鳴く声。猫のあくびと陽溜まり。 平穏と退屈に挟まれながら、それでも日々の好奇心は尽きることなく能天気な青春時代を満喫していた。 「──だから、村長さんはαかもしれないんだって」 もう何度ネタにされたか分からないその噂話を、幼馴染みの高鳥和葉が振ってくる。 「あんなボーっとしたじいちゃんがαな訳ねえだろ、って何回言や分かるんだよ」 高台にある高校から長い坂を下って帰る途中だ。坂のすぐ下は砂浜になっていて、その先で夕日を受けた水面がオレンジ色にキラキラと輝き俺の目に刺さってくる。 逸らした視線の先に和葉が大きな瞳で笑っていた。 「今度は信頼できる筋からのネタ提供なんだよ」 よく飽きもせず毎回こんな話を拾ってくるなと思う。 だけどそれも仕方なかった。この小さな村にはαもΩも居ない。だからβという言葉も一般的ではなかった。差がないから区別する必要がない。みんな普通の人、だ。だからこそ、芸能人でも探す感覚で誰ソレがそうなんじゃないかという噂話が尽きない。でもいつも噂は噂だった。俺は呆れながらも話題に乗ってやる。 「それどこ情報?」 「郵便局の長谷川さん」 それなら知ってる。俺の母ちゃんの噂話仲間だ。 うちと家が隣同士の和葉の母ちゃんも、もちろん知り合いだろう。 「そのおばちゃんさあ、前は駅長がαだって言ってなかった?」 「そうだっけ」 そうだ。彼女は長が付く人間を片っ端からそう言っている。 一軒しかないコンビニの店長も、自分の郵便局の局長もおばちゃんの噂の被害者だ。 「その話のどこらへんを信頼したのかを知りてえよ」 「淀みのない滑らかな口調で断定した……ところ?」 「賭けてもいいけど長谷川さん、ウチの校長もαだって言い出すぞ。そのうち」 「あのサーフィン一筋の?それは無いわー。まだ悠真だって言われた方が信じる」 人を勝手にα扱いし、うっすらと笑みを残した表情で俺を見つめる。 海側を向いている和葉の瞳に夕焼けの輝きが映り込んでいる。 眩しくないんだろうか、そんな事を考えていたら目を逸らせなくなった。 「ん、どうかした?」 和葉が不思議そうな顔をした。俺は引き剥がすように視線をあさっての方向へ向ける。 ──俺は昔から、それこそ幼稚園の頃から、たまにこうやって和葉に見とれてしまう。 高校に入るまではどんぐりの背比べだった身長が、二年間で十センチ以上差が開き、今では並ぶとつむじの見下ろせる柔らかそうな栗色の髪が潮風になびくときに。そのアーモンド型をした二重でこげ茶色の瞳が俺に向けられるときに。ふとした時、和葉を見つめる自分に気付く。 けれどもこの気持ちの意味を、俺は積極的に知ろうとはしていなかった。 「そんな事より問題なのは期末だよ、期末テスト。おまえ勉強してる?」 あと一ヶ月でやってくる夏休みという名の楽園の手前で門番をしているソレに、さりげなく話をすり替える。 「してませーん」 軽いノリで和葉が口を尖らせて言った。 「俺もしてませーん」 口調を真似て俺が言い、二人で吹き出す。 笑ったままの勢いで、俺は意味のない事を俺は叫んだ。 「肉食いてーえ!」 「俺もー!」 その時の俺たちはただのアホな田舎の学生だった。それで満足でそれだけで良かった。

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