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31 大好き

 今日は午後から、手の空いている職員で集まって、職場の倉庫部屋の片づけをした。   倉庫部屋には、古い書類や使わない机、壊れかけの椅子や用途不明の道具等が所狭しと置いてある。見覚えのある大鍋や、でっかいトレーやまな板などの調理器具も積んであった。  一旦中の物を全部取り出し、壊れたものや使わないものをゴミにまとめ、掃除して整理して倉庫へ戻す。次回使う時に困らないよう、プレートを貼りなおしたら終了だった。  意外と物が多くて大変だったけど、所長さんの音頭のもと、みんなでわいわい作業したので、予定よりも早く終えられた。  動いているとけっこう汗をかくものだ。だけど換気のために全開にした窓からは冷たい風が忍び込んで、腕まくりしているとちょっと寒い。  といっても、冷える季節ももうすぐ終わりである。  今朝は道の隅っこに、春先に咲く小さな水色の花がたくさん蕾をつけているのを見かけた。  あの花が開花したら春の始まりなのだと、王国では昔からいわれている。獣人の街でもあの花は、春を運ぶ花だと思われているようだ。明日か明後日にでも咲き始めるんじゃないかと、獣人たちが噂していた。    獣人地区での冬は、王国にいた時に比べると、なぜだかわりと暖かかった。  たぶん、どこにでも性能の良い暖房器具が置かれていることや、あったかい毛皮の防寒具がお手頃で手に入りやすいこと、同室者の体温が俺よりもちょっと高めなことが理由なんじゃないかなと思う。 「やあ、すっかり片付いたね! みんな本当にお疲れ様。お茶の時間にしよう!」  作業をすっかり終えたころ、カバ獣人の所長さんが、そう言って温かいお茶とお菓子を持ってきてくれた。  それでみんなで、倉庫の空きスペースにいろんな木箱を持ち寄って、腰掛けて休憩を取ることにした。  淹れたてのお茶のカップは、手にしているだけでほっこり温まる。  ただし、みんな猫舌なので、一斉にふーふーしながらゆっくり飲んだ。お茶菓子にもらったビスケットは、玉子とバターとミルクの香りでとても美味しい。作業後の疲れた身体には嬉しい甘さだった。  休憩を終えると木箱を片づけ、それぞれが自分の仕事へと戻ってゆく。カップは所長さんが洗っておいてくれるというので、みんなで甘えることにした。  手を洗い、俺も仕事に戻ろうという段になって、もう一抱え、処分しなければならないゴミが忘れられているのに気が付いたので、外のごみ置き場へと運ぶことにした。  ごみ置き場は、敷地の北側の隅にある。  ごみ置き場周辺は、夏場は雑草が生い茂り、冬の間は乾いた土がでこぼこしているだけの場所だ。だけど今見たら、そこにも小さな葉が芽吹き、青い小花がたくさん蕾を付けている。  俺が初めてこの街へ来た頃、建物の雰囲気や街行く人の姿かたちなど、見るもの全てが馴染み無いものばかりで、とても不安だった。  けれどこの小さな花は、王国でもよく見かける親しみのある雑草で、街の端々で目立たず健気に咲く姿に、なんだかほっとして、励まされるような気持ちになったものだった。  俺がこの街へ来てから、もうすぐ一年が経とうとしている。    「シオ」  建物へ戻ろうとしたら、所長さんに呼び止められた。 「シオ、最後まで手伝ってもらってすまないね。いつもありがとう」  所長さんはそう言って、小さな油紙の包みをふたつ、俺に手渡してくれた。雰囲気からして、どうやら中身はお菓子のようだ。 「わぁ、ありがとうございます!」  お礼を言って、さっそくその場で開けてみたら、中からは、白くて小さいふわふわしたものが出てきた。甘い匂いがふんわり香る。見たことのないお菓子だった。  ちょっと珍しいお菓子で、とても美味しいんだよ。と所長さんが言うので、その場で半分かじってみた。  この味は、バニラだろうかミルクだろうか? ほのかに甘くて、噛むと少しだけ弾力があった。もちもちしていて、だけどいつの間にか口の中で溶けてしまう。不思議な触感だった。 「すごく美味しいです!」  ちょっと感動するくらい美味しく感じた。労いの心遣いも嬉しくて、残りの半分も味わって大事に食べた。  もう一つの包みの方は、すぐには食べずに持って帰ることにした。  このもちふわの美味しさを、是非ともラグレイドにも味わってほしい。そうして一緒に美味しさに感動したい。  というわけで、残りの包みは鞄の中にそっとしまって、大事に家に持って帰った。    玄関のドアを開けると、とたんに旨そうな料理の匂いに包まれた。 「ただいまー」  声を掛けると、同室者であるエプロン姿の黒豹獣人の青年は、すぐに玄関に出迎えに来て、俺のことをぎゅうと抱く。 「おかえり」  相変わらず、耳に沁みる低くて穏やかな良い声だ。  ラグレイドは今日は夜警明けの休日のはずだ。料理をしながら待っていてくれたのだと思うと、とても嬉しくてありがたい。 「俺ね、今日すごく珍しいお菓子をもらったんだ」  手洗いを済ませダイニングに戻ると、俺はさっそく鞄の中から持って帰ってきたお菓子の包みを取り出した。 「これ、すごく美味しくてふわふわしていて柔らかいんだよ」  油紙を開き、倉庫の片付けをしたこと等も話しながら、ほわほわの真っ白い菓子をラグレイドに見せた。  黒豹獣人の青年は、そこに現れた手のひら大のわた雲のような菓子を見ると、ふわりと優しげに微笑した。 「マシュマロだな」 「知ってるの?」 「ああ、子どもの頃によく食べた」  ちょっと衝撃を受けた。  俺は今日初めてマシュマロを知ったんだけど、ラグレイドは子どもの頃から食べていたとは。  一緒に感動して欲しかった身としては、ちょっとがっくりなんだけど、よく考えたら獣人であるラグレイドが、獣人地区のお菓子を知らないわけがない。  小さな頃からこんな素敵なお菓子を食べられるなんて、獣人たちがちょっとうらやましくなってくる。  マシュマロはナイフで半分にして、片方をラグレイドに手渡した。ラグレイドは目を細め「今まで食べた中で一番美味しくて、一番価値のあるマシュマロだ」と言う。  大げさだなぁと思ったけれど、嬉しかったし、それに誇らしい気持ちにもなった。持って帰ってきて良かったなぁと思う。  こうしてご褒美のお菓子を食べられるのも、ラグレイドの支えがあったからだなぁと思う。同室者がラグレイドじゃなかったら、俺はきっとここまで元気には頑張れなかったと思うんだ。  一緒に食べられることに感謝しながら、俺ももう片方のマシュマロを口にした。 「それに、こういう食べ方をするのは、初めてのことだな」  ラグレイドがどこか感慨深げに言うので、 「こういう食べ方?」  もぐもぐしながら尋ねてみた。 「つまり、恋人と分け合って食べるというのが」 「............、恋人?」  初めて耳にする「恋人」というフレーズに、俺は思わず目を丸くした。  するとラグレイドも「え、」と言って俺を見て、呆然とした表情のまま固まってしまった。   「......恋人、だろう? 俺たちは。......そうじゃなかったら、いったい......」    言われれてみれば、「恋人」に似ているかもしれない。  毎晩キスをするし、たまにえっちもしているし。 「......待ってくれ」  ラグレイドはなぜか焦ったように、椅子に腰かけている俺の傍らに移動して来て、跪いて俺を見た。 「恋人じゃなかったら、シオは俺のことを何だと認識しているんだ? この関係を?」 「え......えっと、......同室者?」 「............同室者......。そうだな、確かに......」  俺は、この時になってようやく、「そうか」と理解した。   ラグレイドは俺を好きだと言ってくれるし、俺もラグレイドが好きなのだから、この場合「恋人」で十分合っている。「同室者」なんて、味気ない言葉で済ませられるような関係じゃない。  今まで「恋人」という響きとはあまりにも無縁な生活を送ってきたから、自分には一生当てはまらない称号なのだと、勝手に思い込んでいたけど。 「そっか、俺たち『恋人』なんだね」  ちょっと照れて、えへへと笑ってしまったけれど。  ラグレイドは、どこか憂いの漂う眼差しのまま、俺のことをじっと見つめて、そうして、わずかな躊躇いを滲ませながら聞いてきた。 「......シオは、俺のことが好きか?」  膝に置いていた右手は、いつの間にかラグレイドの大きな両手に、包み込まれるようにして握られてた。  とても真剣な祈るような眼差しが俺を見ていた。  もしかしたら、と、俺は急に不安になった。  もしかしたら俺は、ラグレイドにちゃんと「好き」と伝えていなかったのかもしれない。 「好き。だよ、俺、ラグレイドのこと、すごく好き」  大好き。  口に出してそう言うと、なんだかちょっと恥ずかしくなってきて、頬が火照った。  俺の言葉を聞くと、ラグレイドは琥珀の瞳をより一層美しく煌めかせ、そうして一度俯いて深呼吸すると、再び顔を上げて俺を見た。  男らしく精悍で、ちょっと強面、だけどよく見るととても整った顔立ち。そんな黒豹獣人の青年騎士は、俺のことを眩しいぐらいに綺麗な眼差しで見つめて、俺の右手をぎゅっと握る。  武骨であたたかくて大きな両手だ。  料理上手で優しくて、意外と器用で力が強い。寂しい時には抱き締めてくれ、困った時には寄り添ってくれる。逆に苦しいくらいに抱き付かれ、その背を撫でることもある。  逞しい太い腕や、頼りがいのある厚い胸、美しい毛並みの耳やしっぽも、男らしい顔立ちも、穏やかに見つめる琥珀の瞳も、全部好きだ。   「明日、指輪を買ってくる」  何を思ったか、ラグレイドは急に宣言するかのようにそう言った。 「? 指輪?」 「そうだ。恋人の証しだ。2人で揃いの指輪を嵌めよう。そうして、俺と結婚しよう」 「?? 結婚?!」  話が、とんでもない方向へと発展している。大丈夫だろうか、ラグレイド。 「そうだ、結婚だ。恋人同士なのだから何も問題はない。今すぐにでなくてもいい。いつか必ず結婚しよう。人生の伴侶として、この先もずっと一緒に生きて行こう」  話の展開が急激すぎる......と、びっくりしながら思ったけれど。  ずっと一緒に生きてゆく。  その響きは、すごくいいなと思った。  一緒にいたい。  この先も、ラグレイドと一緒ならば、きっと楽しくて、幸せで、あたたかいに違いない。二人でいれば、何があっても心強く、勇気を持って歩んで行けるに違いない。 「俺、ラグレイドとずっと一緒がいい」  それに、獣人の街は居心地が良くて、食べ物が美味しい、人が優しくて、景色は美しい。  俺がそう言って頷くと、ラグレイドは琥珀の瞳を煌めかせ、見蕩れるほどの格好いい笑顔になって、俺の身体を大事そうに抱き寄せた。  そっと唇が重なり合う。  ラグレイドの腕の中は、居心地が良くてあたたかい場所。  大好き。    もう一度俺が言うと、獣人青年は少しうつむいて照れたように笑い、 「俺もシオが大好きだ」  と、耳元でやさしく囁いた。    

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