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第22話
「はあ~……よかった」
気が抜けたように心底そう言うと、相庭が何事かと首を傾げる。
「どうしたの」
「春休み中さ、相庭と連絡がとれなくなった時点で気が気じゃなかったから」
「えっ、うそ……いや、そっか。ごめん」
「ごめんじゃ済まされない。……誤解されるし、振られるし、ほんともう……!」
「わ、悪かったって!」
思い出すだけで怖くなって、椎名は両手で顔を覆った。よかった、とバカの一つ覚えのようにそれしか考えられない。
相庭は一方的にシャットダウンしようとしたことをちょっぴり悪かったと思っているのか、苦笑しながらフォローを入れる。
「ごめん。俺ももう振られたも同然と思って、それで――」
「責任とって」
「……へ?」
そんな謝罪一つで許してなどやるものかと恨みがましく指の隙間から片目を覗かせれば、予想外の言葉をぶつけられた相庭がポカンとしている。その顔の真ん前に、小指だけ立てた拳を突き出し、あくまでも真面目に言ってやった。
「俺を弄んで捨てた責任をとって、もう簡単に離れないって、今ここで誓って!」
力強く主張すると、相庭は真っ赤な顔で慌てて反論した。
「ちょっ、人聞きが悪い言い方するな!」
「いーや! ほとんど事実だし、このままじゃ不安で夜も眠れない」
「え、ええええ……」
そんなの言いがかりだという心の声が聞こえてきそうだったが、椎名は圧力をかけるように小指をジワジワ相庭に近づけていく。
「彼氏なら、責任とって俺のこと大事にして」
ダメ押しするようにそう言うと、相庭がハッとした顔で椎名を凝視した。
これからもずっと相庭には彼氏として隣にいてほしい。自分の価値観を変えたその関係性は、驚きと心地よさと幸せを運んできた。その延長線上に広がる未来を、どうしても一緒に見たい。
どこまで気持ちが通じたのかはわからない。しかし、差し出した小指に相庭は恐る恐る自分の指を絡め、泣き笑いのような顔で約束を口にした。
「大事にするって誓います。……好きだよ」
「……俺も好きだよ」
心の繋がりを誓いの言葉が強く結びつけてくれたような気がして、椎名は満足げに笑った。相庭がそばにいてくれるなら信じられる。他の誰に「いらない」方へ選別されようとも、もう自分はそんなことで己の価値を貶めるようなコンプレックスの塊ではなくなったのだ。
シャワーを浴びに行こうとベッドから這い出した相庭を引き止め、椎名は近いうちに一緒に富士山に行かないかと誘った。彼は一瞬言葉に詰まり、自分と一緒でいいのかと聞きながら、頬に涙の筋を作った。慌てて濡れた痕を指先で拭い、目尻にそっと唇を押し当てると、勢い任せにガバッと飛びつかれた。
――これで正夢決定だ。
胸の中でひとりごち、軽くガッツポーズをとる。実現した暁には、初夢で見たことを明かしてやるんだと一人わくわくしていた。
幸せの予感に満たされたついでに、椎名のイタズラ心が顔を出す。
「あのさ相庭、俺相庭のこと幸せにするから、ずっと一緒にいてほしい」
「……は?」
試すなんて良くない、良くないと思いながらどうしても答え合わせがしたかった。期待通りじゃなくたっていい。好きな人の価値観が実際にはどうなのか知りたい。ちょっとした好奇心。
「な、んなの突然。そんな、ぷ……プロポーズみたいな、言い方……」
耳まで赤く染めて戸惑う相庭の様子を見て、一瞬で罪悪感が跳ね上がった。本心にはかわりないが、反応を見るためにあんな言い方をするなんて狡かったかもしれない。椎名は慌てて撤回しようと口を開いた。
「や、やっぱりなんでもな――」
「俺はもう幸せなんだけど」
「え……」
話を切り上げようとした瞬間、相庭がむず痒そうな顔のまま、けれどハッキリした口調でそう言った。恐る恐る瞳を見つめると、僅かに不安の色を浮かべている。
「俺はずっと一緒にいたいけど、椎名のこと幸せにする力なんかないよ。そんな俺じゃやだ?」
「……そんなわけないだろ」
「……うん。俺も椎名にそんな力なくていいよ。俺今勝手に幸せだから、椎名も勝手に幸せになって」
ニッと相庭が白い歯をのぞかせた。何を言ってるんだ、とか、そんな無責任な、と思う人間もいるに違いないその言葉は、椎名の想像とは少し違っていた。
「でも幸せじゃないときは教えて。小さいことも全部話して。幸せじゃない時間は、二人で協力すればなくしていけると思う」
――ああ、相庭の答えはそうなんだ。
彼の想い描く恋人同士の姿は、すごく現実的で優しい関係に思えた。自分の力で立って、たまに協力し合う。それは椎名が今までできなかったことだ。
予想できるようでできない相庭という人間を、もっとずっと隣で見ていたいと心から思った。
「相庭ごめんな」
「え……なんで」
突然の謝罪に悲しげな顔をした恋人を見て、椎名は慌てた。違う、誤解だ、と思いながらも、試しただなんて絶対に言えない。
「否定したつもりはないんだ、むしろ、嬉しくて……そういうのいいなって」
「なら、いいんだけど」
「うん、だから、あの……」
言い淀んだ椎名の顔を見て、相庭が首を傾げる。リラックスした柔らかな表情は、腕の中に閉じ込めて、もう誰にも見せたくないほどただただ愛おしかった。
「プロポーズ……とまではいかないけど、就職したら一緒に暮らさないか。同棲を前提に、今後の進路と向き合っていきたいんだけど……」
「…………え……」
ポカンと、それはもう絵に描いたように見事に口を開けた相庭が、数秒フリーズした後、寝起きのような……夢を見ているような声でポツリと呟いた。
「あれ、俺もしかして、まだ寝てるんじゃ……?」
この期に及んで夢オチかと疑う相庭がおかしくて、椎名は堪えきれず吹き出した。真面目な話をしていたはずなのに、どうしてこうなってしまったのかはわからない。どこまでも予想外な相庭が、椎名にとってこれ以上ないほど最高の恋人だという結論は、揺るぎようもない。
自分で頬をつねり、椎名に反対側の頬をつねらせ、一度布団に潜って目を覚ますように上体を起こした相庭は、ようやくここが現実世界であることを悟ったらしい。ここまで挙動不審な姿は初めて見るぞと思いながら見守っていると、相庭が鼻をスンと慣らし、子どものような声で言った。
「……椎名と毎日一緒に寝てもいい?」
恋人が自分と同じことを望んでくれるのが嬉しくて、柔らかな髪をすきながら、こめかみにそっと口づける。
「大きいベッド買おうな」
ふたりの寝室に富士山の写真を飾ったら、相庭はなんと言うだろう。
END
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