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第9話

 一昼夜森を馬で走り続けて、ふたたび日が落ちてきた。元々逃亡の準備はしてあったのだろう。馬には色々なものが準備されていた。手際よく火を起こすと、金髪は馬に括りつけられてきた瓢箪を渡してきた。中には水が入っている。 「それで傷洗っとけ。たくさんは使うなよ」  そう言われて、俺は顔を切られていたことを思い出した。血はとっくに乾いていたが、渡された布を濡らして、傷口を恐る恐る拭う。  彼はさらに馬に括りつけられていた袋から干し肉を出すと、それも俺に渡してきた。  俺はそれを舐めた。硬くてすぐには噛み切れなかった。それでも、肉の味は美味かった。一日以上なにも食べていなかったし、肉なんて、最後に食べてからどれくらい経っていただろう。  夜の森は闇が訪れて火の周囲以外は真っ暗になったが、追っ手がいる身としてはそれが俺を守ってくれる気がして安心した。  ひととおり俺が干し肉をしゃぶり終えるのを待って、とっくに食事を終えていた男が聞いてきた。 「小僧。名前は」 「かいれん」 「カイレン? 灰簾(カイレン)か?」 「?」 「いい名だな。お前の瞳と同じ色の石の名前だ」  ふと、俺の瞳に呪いの言葉を吐き出したひとのことを思い出した。 『なぜおまえはそんな、あの男と同じ目の色をしているんだ?』  ああ、あのひとは。俺の、父親だっただろうか。 「あなたは?」 「琥珀」 「こはく……あなたの髪の色だ」 「そうだな」  琥珀、と名乗った男は薄く笑った。 「大丈夫か?」  琥珀の手が伸ばされて、俺の頭に触れた。俺は玉髄の手を思い出して、思わず体を引く。薬なしに他人に触れられるのは、どうにも嫌悪感が先に立った。 「ああ、……悪い」  俺が身を引いた意味がわかったのだろう、微妙な顔をして彼は手を戻した。 「……すみません」 「いや、俺が考えなしだった」 「……あの、大丈夫、です。あなたは、俺の恩人なので……」  俺は着ていたシャツを脱ぎ落とした。こいつの服は俺には大きすぎて、そもそも肩は半分くらい落ちていたのですぐに脱げた。  俺はぼんやりと火に照らされた目の前の男を見た。  俺のどこにそんなに役に立つところがあるのかはわからないが、この男が玉髄と同じことを求めているのなら、助け出してもらったことに対して俺が支払える対価はこの身体くらいしかない。 「傷だらけですが、よかったら……」 「いや、そういう意味じゃない。俺には子供を抱く趣味はない」  落ちたシャツを拾って、琥珀は俺の肩にシャツをかけてきた。 「頭を撫でてやりたかっただけだ」 「……どうして……?」 「んー、弟みたいな感じがしたからかな」 「……弟がいるんですか?」 「……いたかな。もう死んじまったけど。金がなくて親に売られておまえみたいな目に遭って、あのときの俺はまだガキだったからなんにもできなかった」 「じゃあ、なんで俺なんかを助けてくれたんですか。あなたの弟でもなんでもないのに」  冷酷に老婆を刺し殺した彼と、弟みたいに俺をかわいがろうとした彼の違いが大きくて、俺にはよくわからなかった。 「俺はおまえを助けちゃいない。おまえが自分で決めて、自分で逃げ出したんだよ」 「だけど、あなたのナイフがなかったら……」 「俺は誰も助けられるような力は持っちゃいない。自分で逃げられるやつの背中を押しただけだ」 「だけど、今だって」 「俺は、なんでも自分で決められるやつが好きなんだ。おまえは初めて会ったときから迷いのない目をしてただろう。俺たちに声をかけたとき、絶対あそこを出てやるって思ってるのがわかった」 「はい」 「それで、おまえを試したんだ。本当におまえが、なにもかもやる気があるのかを。おまえはそれに乗っただけだ」 「どうして?」 「俺は誰かを殺してでも、自分の目的を達成できるような仲間が欲しかったのさ。運命に身を任せるようなか弱いやつはいらない。俺にはやらなくちゃいけないことがある……灰簾、俺の仲間にならないか?」  俺の目的はとりあえず、<王国>を出ることだった。<王国>を出た後の世界がどんなものか俺にはまったく想像もつかない。それでも、俺自身について知るために、俺にはやることがひとつあった。 「琥珀……俺、できたら親を探したいんです。自分が、何者か知りたいので。……でも、どこにいるかわからないし、見つかるまではご一緒します。あなたに恩は返したいですし。別に、親と会えても一緒に暮らすのかはわからないですし」 「ああ、それでいい」  琥珀は嬉しそうな笑顔を見せた。俺も、さすがに知らない世界でひとりになるのは不安だったし、これからしばらくは腕が立つ大人と一緒にいられると思うと安心はした。琥珀は俺が人を殺せるか試してみたりさらっと抵抗もできない老婆を殺したりしてちょっとおかしいけど、少なくとも俺に危害を与えるつもりはないみたいだし。 「さあ、飯食ったらもう寝ちまえよ。おまえは怪我もあるんだし、休息が一番だ。そっちの袋に毛布入ってるから」  俺は言われたとおりに毛布を袋から取り出して、その場に横になる。 「明日は港に着くからな。そうしたら、船に乗ろう……」  港……、船、どんなところだろう。そうしてその先にはなにがあるのだろう。  逃亡生活のはずなのに、俺はなぜかわくわくしてきた。色々あったけど、<王国>を出るチャンスをただただ伺っていた生活よりもずっといい。昨日人を殺したところなのに。  俺も琥珀と同じで、どこかおかしい人間なのかも。  まあそれはそれでいい。そうでなければ、俺は今ここで生きていないのだから。 「灰簾、頭を撫でてもいいか?」  俺が怯えないようにだろう。目を閉じた俺に、琥珀が聞いてくる。 「……いいですよ」  俺は小さく笑って、琥珀に身を委ねた。微笑んだのなんていつぶりだろうと思いつつ。 呪いの子/ 終

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