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第8話
楔だった。
大丈夫だ。こいつは耳はいいけど、俺の姿は見えていないはず。俺の足音だとわかっているかもしれないけど、あまり頭も回っていないはず。
一瞬、こいつに一緒に逃げないか誘ってみようかという思いが頭を掠めた。でもダメだ。
こいつは目が見えなくて足手まといだし、そもそも反対されるかもしれない。そんなことをしても逃げ切れないとか、主人への忠誠心とか。少なくとも、俺ほどにここから出ていきたいと思っていないことは確かだ。そんなやつと一緒にいたら、俺はきっと生き延びられない。
俺は黙って、楔のそばを通り抜けた。
しばらく行くと、渡り廊下に出た。庭が見える。
俺は庭を出口だと思える方角に駆け抜けた。
緑の屋根の家。あれだ。
俺はそこまで一気に走った。
「助けて!」
俺がどんどんと扉を叩くと、すぐに扉が開いた。
金髪の男が俺を中に引き込んだ。
「おまえ、やってきたんだな」
「やってきた! けど、これからどうすればいいのか」
「逃げるぞ」
「逃げるって、どこに?」
「どこか、ここじゃないどこか遠いところだよ。この街の領主の息子を殺して、俺たちはお尋ね者だ。とにかくここから離れないと。とりあえずそれは脱げ」
俺は返り血で真っ赤に染まった服を脱いで、渡されたタオルで体についていた血を拭った。金髪が俺にシャツを投げてきた。こいつのらしい。思ったより大きくて、俺の膝くらいまでは隠れた。
外に、黒い馬が待っていた。結んでいた手綱を解いて、金髪は俺の体を持ち上げて馬の上に乗せた。
「待ちなさい!」
突然後ろから声をかけられた。見つかったかと思って振り返ると、足取りも覚束ないひとりの老婆が追いかけてきていた。
「大奥様……」
涙を流しながら襲いかかってくる老婆を抱きとめながら、金髪はそう言った。誰なのか俺にはわからなかったが、年齢からして玉髄の祖母かなにかだろうか。
周囲を見回したが、まだ俺たちの周りにいるのはその老婆だけだった。
「その子が、あの子を殺したのね!」
彼女が金髪の腕の中で叫んでいる。
「あの子は、こんなふうに死んでいい子ではなかったのに……約束された未来がぁ……っ!」
「じゃあこいつは、『こんなふうに死んでいい子』だったのか?」
「あ……」
俺は思わず声を上げた。老婆が崩れ落ちていく。ためらいもなく金髪は腕の中の彼女を刺し殺したのだ。
俺もさっき人を殺してきたところだったが。なんの抵抗もできそうもない、自分とはなんの関わりもない老婆が殺されるのを見るのはまたさっきとは違ういやな気持ちがした。
その場に老婆を投げ捨てて、金髪男も馬に飛び乗ってきた。
「西の森を抜けたところに、隣の国まで行ける港があるんだ。とりあえずはそこまで行こう」
男は俺に説明したが、どこのことか俺にはまったくわからなかった。それでも、この男がいなければ俺は逃げきれないだろうということはわかっていた。
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