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炎の子 1章 第1話

 おやすみ、いとしご。火の子、石の子、光の子。  素敵な夢を。  かわいいはみにくい、やさしいは残酷。  愛は憎しみ、楽園は地獄。  正しいは悪魔、自由は束縛、与えるひとは奪う。  どうかこの血まみれの世界の中で、誰よりもやさしい夢を。  たったひとつの、あなただけの残酷な愛を。  夢を見ている。古い夢。  さやさやと風に吹かれる草の音。静かに聞こえる、波の音。  まるで少女のような、あどけなく澄んだ声。やわらかく頬に触れるのは、そのひとの指だろうか。  この歌には聞き覚えがある。何度も繰り返し、幼いころにささやかれた。 「──お母さん……?」  衝撃がして、俺は目を覚ました。なんだか、とても古い夢を見ていたような気がする。 「ああ、起きたか。おはよう、灰簾」  無造作に髪を撫でられる感触がした。琥珀の指だった。彼の粗野で無造作なしぐさに、夢の中のやわらかい感触が失われていく。 「今日はおまえに知らせることがあるぞ。どちらかといえば、いい知らせかな」  そう言いながら微笑む琥珀はとっくに起きていたらしい。船旅の間にだらしなく伸びた金髪が耳元からこぼれて、窓からの光に輝いていた。細身だが無駄なく筋肉のついた肩。その下の腰のベルトには短刀を下げて、いつもよりきちんと着込んでいる。 「いい知らせ?」  体を持ち上げながら俺が琥珀を見ると、彼はにやりと笑った。  ゆらゆらと大地が揺れているのは、いつもどおりだ。でも、いつもと何かが違う。天気が悪いときとは違う、規則的な揺れ。 「窓の外を見てみろ」  そう言われて、俺は丸い船倉の窓に顔を押しつける。  いつもどおり、まっすぐな水平線。そう思って、横に視線をやる。目の端に、チラチラと何かが動いている。それが乗っている、不規則な、茶色い海岸線は……。 「大地だ!」  思わず大きな声を出した俺に、いつのまにか立ち上がって、隣に立っていた琥珀が満面の笑顔を浮かべた。さっきの衝撃は、陸に船がつながれたときの振動だったのだろう。 「そう。今日は上陸するぞ。<赤き海の大陸(マーレ・ルーブルム)>だ。街に着いたら、うまいもん食って、久しぶりに寝台で眠ろう。小さい魚でもフライにするとうまいんだぜ。魚は食ったことあるか?」 「魚……?」  俺は首をかしげる。聞き覚えはあるような気がしたが、どんなものかうまく想像できない。 「まあ、陸に下りたらそこらじゅうで見られるさ。今は上の階のやつらが下りてるところだからな、おまえも着替えてここから下りる準備だ」  そう言うと彼は、無造作に俺の上衣を片手で引っぱり上げた。 「なんですか…」  むりに服を脱がされた格好になって、俺は不満の声を上げた。上衣が肩のところに引っかかっている。着替えさせるにしても、雑すぎだ。別に、自分は着替えを手伝ってもらわなくてはならないような年齢の子供でもないのだが。 「んー、きついな。おまえ、成長期だなあ」  琥珀は嬉しそうに言った。 「待ってください。ボタンを外さないと破れます」  そう言うと、服が絡まったままなのに、船で伸びっぱなしになってしまった髪をまたぐしゃぐしゃに撫でられた。  この男は、また。  失った弟と自分を重ねている。 「着いたら新しい服を買ってやるよ。どうせこんなんじゃ暑くていられないだろうしな」  襟元のボタンを外そうとした俺の指の上から、割り込んできた琥珀の指が手際よくボタンを外す。  ボタンが外されて、上衣がばさりと床に落ちた。  日の光にさらされた俺の色素の薄い素肌には、小さな傷痕が無数に残っている。ここに来る前に、閉じ込められていたところでつけられた痕。  別に傷痕が気になるわけではないけれど、色も薄くて、鍛えられた琥珀の胸回りに比べると、自分の外見がみすぼらしい感じがしてちょっと面白くない。 「でもまた、すぐきつくなるだろうなあ」  琥珀は、そんな俺の気持ちにはまったく気づかない様子だ。彼は着替えを俺の頭からかぶせると楽しそうに、くすくすと笑った。
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