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第2話

 向かいの魚市場から魚の匂いが漂ってくる、屋外の小さなテントの前。  俺と琥珀は、その周りに置かれた木箱を使った簡素なテーブルな椅子の周りで、さきほど琥珀が言った魚のフライを口にしていた。  油で揚げられてつやつやとしていた、それは塩味が効いていておいしかった。  大皿に乗っていた小魚を数匹口にして、俺はちらりと琥珀の手元を見る。  全体の四分の一くらいだ。もう少し食べたい気がするが、琥珀の方が体も大きいし、空腹だろう。 「ん? 口に合わないか?」  俺の視線に気づいたのだろう、琥珀が尋ねる。 「石の大陸の食べ物も注文してやろうか?」  俺は小さく首を振った。 「おいしいです」  琥珀は不思議そうな顔だ。 「腹減ってないのか?」 「いえ……」  視線を逸らす。 「でも、あなたが楽しみにしていたんですよね?」  琥珀は苦笑する。彼はそのまま手を伸ばして、俺の頭を撫でた。 「また注文すればいいから、気にするな。金ならある。あいつのところから持ってきたからな。食べたいだけ食えばいい」  俺は琥珀を見上げた。自分は、この男の弟ではないし、そんなふうに面倒をみられる立場ではないのに。 「俺は、何も返せません」 「いいんだよ。おまえは俺の仲間なんだから。これから先、色々と、俺のために働いてもらうしな」  仲間。この男は、前もそんなことを言った。だけど、自分は今特に何も求められていない気がする。 「あの、琥珀。俺はあなたに、何もしていない気がします」  そう言うと、琥珀はひとが悪そうな笑顔を見せる。 「大丈夫。そのときになったら、おまえも自分のやることがわかるから。今は全部受け取っておけ」  自分はいったい何をさせられるのだろう? これだけただ飯を食べて面倒を見てもらって、もう返せないくらいのことをさせられるのだろうか? 「あの、今は聞けないんですか」  琥珀は意味ありげに微笑んだだけだった。  まあいいか。この男がいなければ、自分はとっくの昔に死んでいたのだろうから。何を求められても、今までより悪くなることはない。ぼろぼろになるまで慰み者にされても、残酷な仕打ちを受けても、自分の身を犠牲にさせられても。  そんな対価を払っても仕方ないぐらい、<王国>にいたころよりも、あいつのところにいたころよりも、今の自分は恵まれている。  とりあえず、与えられたものを全部享受して楽しもう。  俺は目の前の魚のフライに手を伸ばした。  おいしい。  ひとつ食べると止まらなくなって、夢中で次を口にした。  残りがふたつになって、ふと手が止まる。そういえば琥珀は、ひとつも口にしていないのではないだろうか。  再び隣の琥珀を見上げると、琥珀はじっと、遠くを眺めていた。  険しい顔だ。  俺もその視線の先に自分の目を向けた。魚市場のさらに向こう。ひとすじの黒い煙が、遠くにまっすぐ伸びている。  どうしたのだろう。 「琥珀?」  俺が彼の袖を引いて名前を呼ぶと、彼は我に返ったような表情をした。 「ああ、灰簾」 「どうしたんですか?」 「ああ、ひとが死んだんだなと思って」 「ひとが?」 「そう。おまえもそのうち見ることがあるだろう。あれは、俺たちの死のしるしだよ」  彼はかすれ声でそんな呟きを落とした。 「死のしるし?」 「ああ。<火の一族>は死ぬと、黒い煙となって自らの祖が住むところである、<楽園>に還っていく」 「あなたは……」  俺たちの。琥珀がそう言ったことに気づいて、俺は口を開く。あなたは、石の一族の名前だけれど火の一族なんですか? そう聞こうとした俺の言葉に、彼は我に返ったような顔をした。彼の長い人差し指が、そっと俺の唇に当てられる。 「言うな」  俺はこういうとき、何を言ってはいけないのかすぐわかる。黙ってうなずいた。  琥珀はそれを見て俺の頬を軽く撫でた。傷のあるほう。 「明日から、あの煙の場所に行こう。彼らと合流したい」  俺はうなずいた。それにしても、彼も何か食べた方がいい。 「わかりました。ところであの、これどうぞ。俺はもういっぱいです」  俺が差し出した大皿を見て、琥珀は微笑んだ。 「うまかったか?」 「はい。ありがとうございました」 「それはよかった」  琥珀は残りを手に取った。俺は、彼がここに来て初めて食事をしようとしたのを見てほっとする。 「──!」  そのときだった。  生ぬるい空気を一瞬で突き刺すような甲高い声がして、俺は思わず振り返った。
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