12 / 51
第2話
向かいの魚市場から魚の匂いが漂ってくる、屋外の小さなテントの前。
俺と琥珀は、その周りに置かれた木箱を使った簡素なテーブルな椅子の周りで、さきほど琥珀が言った魚のフライを口にしていた。
油で揚げられてつやつやとしていた、それは塩味が効いていておいしかった。
大皿に乗っていた小魚を数匹口にして、俺はちらりと琥珀の手元を見る。
全体の四分の一くらいだ。もう少し食べたい気がするが、琥珀の方が体も大きいし、空腹だろう。
「ん? 口に合わないか?」
俺の視線に気づいたのだろう、琥珀が尋ねる。
「石の大陸の食べ物も注文してやろうか?」
俺は小さく首を振った。
「おいしいです」
琥珀は不思議そうな顔だ。
「腹減ってないのか?」
「いえ……」
視線を逸らす。
「でも、あなたが楽しみにしていたんですよね?」
琥珀は苦笑する。彼はそのまま手を伸ばして、俺の頭を撫でた。
「また注文すればいいから、気にするな。金ならある。あいつのところから持ってきたからな。食べたいだけ食えばいい」
俺は琥珀を見上げた。自分は、この男の弟ではないし、そんなふうに面倒をみられる立場ではないのに。
「俺は、何も返せません」
「いいんだよ。おまえは俺の仲間なんだから。これから先、色々と、俺のために働いてもらうしな」
仲間。この男は、前もそんなことを言った。だけど、自分は今特に何も求められていない気がする。
「あの、琥珀。俺はあなたに、何もしていない気がします」
そう言うと、琥珀はひとが悪そうな笑顔を見せる。
「大丈夫。そのときになったら、おまえも自分のやることがわかるから。今は全部受け取っておけ」
自分はいったい何をさせられるのだろう? これだけただ飯を食べて面倒を見てもらって、もう返せないくらいのことをさせられるのだろうか?
「あの、今は聞けないんですか」
琥珀は意味ありげに微笑んだだけだった。
まあいいか。この男がいなければ、自分はとっくの昔に死んでいたのだろうから。何を求められても、今までより悪くなることはない。ぼろぼろになるまで慰み者にされても、残酷な仕打ちを受けても、自分の身を犠牲にさせられても。
そんな対価を払っても仕方ないぐらい、<王国>にいたころよりも、あいつのところにいたころよりも、今の自分は恵まれている。
とりあえず、与えられたものを全部享受して楽しもう。
俺は目の前の魚のフライに手を伸ばした。
おいしい。
ひとつ食べると止まらなくなって、夢中で次を口にした。
残りがふたつになって、ふと手が止まる。そういえば琥珀は、ひとつも口にしていないのではないだろうか。
再び隣の琥珀を見上げると、琥珀はじっと、遠くを眺めていた。
険しい顔だ。
俺もその視線の先に自分の目を向けた。魚市場のさらに向こう。ひとすじの黒い煙が、遠くにまっすぐ伸びている。
どうしたのだろう。
「琥珀?」
俺が彼の袖を引いて名前を呼ぶと、彼は我に返ったような表情をした。
「ああ、灰簾」
「どうしたんですか?」
「ああ、ひとが死んだんだなと思って」
「ひとが?」
「そう。おまえもそのうち見ることがあるだろう。あれは、俺たちの死のしるしだよ」
彼はかすれ声でそんな呟きを落とした。
「死のしるし?」
「ああ。<火の一族>は死ぬと、黒い煙となって自らの祖が住むところである、<楽園>に還っていく」
「あなたは……」
俺たちの。琥珀がそう言ったことに気づいて、俺は口を開く。あなたは、石の一族の名前だけれど火の一族なんですか? そう聞こうとした俺の言葉に、彼は我に返ったような顔をした。彼の長い人差し指が、そっと俺の唇に当てられる。
「言うな」
俺はこういうとき、何を言ってはいけないのかすぐわかる。黙ってうなずいた。
琥珀はそれを見て俺の頬を軽く撫でた。傷のあるほう。
「明日から、あの煙の場所に行こう。彼らと合流したい」
俺はうなずいた。それにしても、彼も何か食べた方がいい。
「わかりました。ところであの、これどうぞ。俺はもういっぱいです」
俺が差し出した大皿を見て、琥珀は微笑んだ。
「うまかったか?」
「はい。ありがとうございました」
「それはよかった」
琥珀は残りを手に取った。俺は、彼がここに来て初めて食事をしようとしたのを見てほっとする。
「──!」
そのときだった。
生ぬるい空気を一瞬で突き刺すような甲高い声がして、俺は思わず振り返った。
ともだちにシェアしよう!