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第12話

 いやな予感が、俺の胸をかすめる。こんな気持ち、つい最近味わった気がする。  そうだ。琥珀をおいていったとき。 「俺がここに残れば、みんなはしばらく襲われないだろ。あいつらも誰か、連れていかなければ困るんだ」  俺は慌てて彼の囚われた手元に、自分の手を伸ばして握ろうとした。  自分が何をしようとしていたのか、自分でもわからない。彼を説得するより、彼に犠牲になってもらう方がきっと、<純血>のみんなは喜ぶのに。 「でも、ベルデは次の長老になるんでしょう?」  ベルデは微笑んだ。 「一族に男はまだいるから、誰かがなるよ。俺のことはいいんだ。だけど、願いをひとつきいてほしい」 「お願い?」 「こいつを、<楽園>に還してやってくれ。エトナさまに言えばわかるから」  そう彼が俺に向かって言ったとき、さっき感じていたいやな予感が、俺の中で我慢できないほど膨らんでいるのがわかった。 「ベルデ、イラスは……?」  そう言う自分の声が震えてしまう。 「ここに。でも、もうここにはいない」  ベルデがそっと、自分の膝の上を指し示した。彼の自由な方の手は、そっとその上に横たわっている人物の髪を撫でていた。 「イラス!」  炎のようなくせのない赤毛。その間から覗く、かたく閉じられた瞼。  それを見て、俺の胸が凍った。 「さっきの、あの、煙、は……」  俺は、自分の手が震えだすのを止めることができなかった。 「そう」 「どうし、どうして……」  俺が、こんなふうに動揺するのはおかしい。誰かを殺したことのある俺が、誰かが死んでいるのを見たくらいで。  ベルデは何かを言いかけて、苦しそうに黙った。  それから、思い直したようにぽつりと言った。 「俺を、守ろうとして」 「どうしてあなたが……」  言葉を失った俺に、彼は深いため息をついて呟いた。 「俺は、全員殺してもイラスと逃げるつもりだったんだ。それで、戦いになった。イラスは最初から、みんなのために、自分が生贄になればいいと言ってたのに。それで、俺をかばって。……俺は間違ってた。最初から、俺が代わりになると言えばよかったんだ。俺が守りたいのは、イラスだけだったんだから」  イラスが守りたかったのも、ベルデだと俺は思った。わからない。もしかしたら他にもたくさん守りたいひとはいたのかもしれないけど、イラスが一番守りたかったのは。だって、イラスはベルデが大切だって言ってた。 「ベルデ……、生贄になるのは、あなたがやらないといけないこと?」  俺は、イラスは彼を守りたかったんだと思って、思わず彼に尋ねた。イラスはベルデに生贄になんてなってほしくなかったと思う。 「誰かが、やらないといけないこと」 「あなたが生贄になるのは、イラスがそれをやろうとしたから?」  ベルデは微笑んだ。 「そうだな」  そのときだった。扉からがちゃがちゃと音がして、誰かが鍵を探しているような音がした。 「頼むよ、灰簾。あと、エトナさまに伝言を頼む。『あなたは希望です』と」  ベルデは、膝の上に乗せていたイラスを抱き上げて、俺に押しつけた。それと同時に、鎧戸が閉まる。  俺は、自分より大きなイラスの体を押しつけられてバランスを崩し、慌てて庇に座り込む。  イラスは細い方だったけれど、それでも俺より年上だ。自分より大きなひとの体を抱き上げるのは俺には難しいし、俺に触れたイラスの体はもうひんやりとして、人間でないみたいになっていた。 「灰簾!」  俺の下で、琥珀が小さく叫ぶ声がした。俺は慌てて彼の腕の中に飛び降りる。  飛び降りた琥珀の胸の中は温かい。まだ生きている人間の体温。  俺はそれにほっとした。 「琥珀、イラスを下ろすのを手伝って」  琥珀はその俺の言葉で、だいたい何があったか察したらしい。庇の上に横たわってしまったイラスを手際よく下ろすと、彼を抱き上げた。 「あいつらが来てます」  俺が言うと、彼はうなずいた。 「とりあえず逃げるぞ」  俺はもう来た道がわからなくなっていたけれど、琥珀はわかっていたらしい。人間をひとり抱えているとは思えない足取りで、琥珀は人気のない道を選んで街外れまで歩いていく。俺は、せめて自分は足手まといにならないように彼を追った。 「……あのっ、イラスをっ、<楽園>に還してほしいと、ベルデが」  街外れのらくだを結んでいたところまで戻ったころには、すっかり太陽が高くなっていた。 「わかってる」  そう答える琥珀の顔は暗かった。
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